立春を迎え暦の上では春となった。
日本ではまだまだ寒いようだが、ここケンブリッジはだいぶ寒さが緩んできた。もうすっかり春の気配である。春のうららのケム川なのである。ついつい歩調が遅くなる。
もっとも今年は暖冬らしい。そういえば雪は一度だけ、しかも午後には消えてしまっていた。十年前に私がロンドンに滞在したのは3月だったが、もっと冬の感じがしたし、雪がちらつくこともあった。また寒さが戻るかもしれないが、何にせよ日一日と日が長くなってくるのはうれしい。ついこの間までの暗く重苦しい冬が嘘のようである。鳥たちのさえずりが多くなる。川岸に縮こまっていた鴨や白鳥が悠然と泳ぎ回るようになる。街を行く人々の顔つきも心なしか穏やかである。
もちろん春の訪れを顕著に知ることができるのは植物からである。といってもイギリスの芝生は冬でも青々としている。木々の葉が落ち草花が枯れても芝は枯れることがない。どうかすると霜柱が青い芝を持ち上げていたりする。少しでも暖かい日が続くと、すかさず日だまりにデイジー(daisy:ヒナゲシ)が芝の間から顔を覗かせる。daisyとは古英語でday's eye(太陽の目)の意だそうだが、なるほどいい得て妙である。それに秋からクリスマスにかけて赤や黒、黄色の実をたわわにつける植物が多いので、冬といっても色数は決して少なくない。日本のように荒涼とした雰囲気にはあまりならない。
とはいうものの、やはり春の訪れは格別である。
秋口から誘われて毎週のように植物園に行っているのだが、注意深く見ていると、冬の寒い間にも葉を落とした枝の節々が徐々に脹らんでくるのがわかる。春に向けて着々と新芽の準備をしているのだ。そして暖かくなるにつれ、新芽が色づき脹らんでくる。やがてつやつやとした幼い若葉が広がってくるのだろう。まさに芽吹くのである。言い古された表現だが、自然の息吹を感じる。日本の桜や桃に似た花も咲き始めている。
そして下に目を移すと、平らな地面が突然盛り上がるようにして、細長い葉の一群がまっすぐに伸びているのに驚かされる。うちの近くの日当たりのいい土手も広範囲にわたって地面がせり上がったかのようになっている。球根種の花である。じきに先が色づいて、地上近くでさまざまな花を咲かせるようになるのだ。
今の時期はスノードロップ(snowdrop:マツユキソウ)が全盛である。頭を垂れるように白い花を咲かせる。よく見ると背の高いもの、低いもの、花弁が二重になっているものなどがある。寄り添って咲いている姿は可憐である。それからアコナイト(aconite)という黄色い花。日本では同様の白い花の節分草というのがあるそうだ。ぴったりの名前である。これは花の下部を大きなガクがぐるりと囲んでいて、ちょっと赤ちゃんのおしゃぶりのような形である。いきなりガクに包まれた花ごと地面から出てくる感じで、一面に咲く。それからぽつぽつと咲くクロッカスの淡い紫色が彩りを添える。
しばらくするとdaffodil(らっぱ水仙)が咲き始めるだろう。大学の裏の土手(Backs)いっぱいに黄色いらっぱ水仙が咲き乱れている写真を絵葉書で見たことがある。私たちがここにいる間に見られるだろうか。それが終わったら今度は、ちょうど私たちがここに来た頃に咲いていたデイジーとバターカップ(buttercup:キンポウゲ)の出番である。
そのうち、冬の間姿を消していた牛や馬がのんびり草を食み始めるかもしれない。帰国がせまる寂しさとは裏腹に、心浮き立つ春である。