本当かうそか知りませんが、オーストラリアの駝鳥について、こういう話を聞きました。つまり駝鳥は、砂嵐など、困ったことが起こると、砂漠に穴を掘ってそこに首を突っ込み、見ない振りをして、それが過ぎ去るまでじっとしているのだ、というのです。
近ごろ学生にこういうタイプが少なくないのです。何か困難が起こる、すると何もしないで、終るまでじっとしている。要するに自分からは、現状に何か加えるような面倒なこと、自分を少しでも動かすことは一切しないということです。自分が動くにはエネルギーが必要ですが、それを節約する、そして自分が動けば自分もそれなりに変化をこうむるのですが、こうした現状の変化を極端に嫌がる、そういったタイプです。そんなことでは事柄はうまくいかないはずですが、それが多くの場合うまくいってしまうのです。というのは、現代は豊かな社会のため、周辺の多くの人々にはそれなりの余裕があります。そこで人々は親切心から、人にあまり過酷な負担がかからないように配慮してくれます。つまり負けてくれる、一般に人々が対人的対応において甘い、厳しさがない、そういうことです。周囲がやさしいということです。それに加えて、稀に厳しい状況が来たとしても、本人が何もしないうちに、誰かが助けてくれてしまう、他人が解決してくれる。ですから当人は、何の努力をしなくても、結果的には事柄はいい方向で終了してしまうわけです。そんなことが続けば、味をしめてというか、それなら何もすることはないとなるのです。
これらの人がなぜ駝鳥になってしまうのかといえば、上に述べたことのほかに、彼らは困難に対処した経験がないからだともいえます。何もしないという以前に、何か起きたとき、何をしていいか分からないのです。しかし経験は順に積まねばなりません。それにはその時々与えられた困難に不十分でも自分で対応していかなければなりません。そのとき大切なのは「戦う」という姿勢でしょう。唄を忘れたカナリアというのがありますが、人の好意に乗ってしかもそのことに気づかずに、自分の戦いを忘れた人間あるいは若者であり続けては困るのです。