経済学用語で、経済、産業の成立の基本となる基盤、例えば、交通、上下水道、電力、その他を、インフラ(infrastructure)といいます。しかし、経済産業も含めて全人類の人間としての生活を成り立つについて、もっと基本的な、最大のインフラがあります。それは「言葉」です。言葉がなければ人間生活という一大プロジェクトが成立しません。人間は環境自然を巧みに利用して、あるいは巧みに自分のなかに取り入れて生活します。これは言葉によって、対象を写し、分析して、出来ることです。環境自然を言葉で書き分けることによって、我々はそれに対処します。また人間は、ほかの人間と協力して、生活します。言葉によって、人間同士の共通意志が可能になるのです。環境自然との、ほかの人間同士とのいわば共同生活は言葉の上に成り立っているのです。
ですから、言葉について、次のことは承知しておかなければなりません。相手を打ち負かすために、言葉をいわば銃弾として、使おうとする人がいます。(言葉でもって戦うなどといいます)。しかし、言葉は元々、戦いの道具ではなく、和解や、融和のためのものです。人間は本来孤立したバラバラなものですが、言葉を用いることによって初めて、共通な意志を持ち、異なった人々が一つになって行動できるようになるのです。ですから言葉で戦うのは言葉の誤用です。
言葉は公共的なもので、自分の利益のために恣意的に用いてはいけないのです。例えば同じ語句の意味をその時々で自分の都合のよいように変えて押し通す、真実味のない言葉を使う、言葉巧みにだます、その時はそれで通っても、長い目で見れば、言葉に信頼がなくなります。これは貨幣価値が日々大きく変動するような信頼のない通貨のもとでは安定した生活が出来ないのと同じです。これを言葉の汚染と言います。環境汚染同様、それよりももっと以前の問題として、言葉を汚染させてはいけないのです。
インフラの上に私たちの生活は成り立つのですから、そのインフラを意味もなく壊してはいけないのです。