夕方になり体の具合も落ち着いてきたので、バクタプル行きの遠足に参加することにした。団体バスに乗り込む。この街は古く美しく、町並みそのものが観光スポットになっている。街自体に入場料が必要な、生きた化石のようなところらしい。カトマンズの市街地からかなりの距離の街道を行く。街道、といってもすぐに大きな石やぬかるみのある泥んこ道になる。
道の左右には家が点在する。どれも崩れ落ちそうなレンガや石造りの家である。人々は家の外に出て世間話をしたり、何をするでもなく往来を見つめていたりしている。建物の中は暗いそうだし、中にいてもすることがないのかもしれない。
野菜を売っている露店がある。並んでいる野菜は日本とあまり変わらない。キャベツ、ニンジン、ほうれん草、カブ、といったものである。巨大なカリフラワーを大量に売っていて驚く。人間の頭ほどもあるカリフラワーが大きなカゴ一杯に入っている。カゴといっても、よく公園にあるゴミ箱ぐらいの大きさがある。
丁度夕方の帰宅時間らしく、道を行くバスはどれも満員である。車内がスシづめなのはもちろん、屋根の上にも乗れるようになっていて、ところ狭ましと座っている。まさに「満載」である。
ホテルを発ったのはすでに夕刻だったので、街に着いた頃には夕闇が迫っていた。空は今にも泣きだしそうだったが、じきにポツリポツリと降り出してきた。
12月のカトマンズは乾期のはずだがここ3日程雨が降っている。極めて珍しいという。
バスが入れるのは街の手前の駐車場までである。全員バスを降りてガイドと共に石畳の道を街の中心部へ歩き始める。道はくねくねとしてわかりにくい。
滞在は正味一時間だが、この頃になるとすでに寺社の類には飽きてきたし、体調が悪いのでじっくり見ようという気にならない。
やたらと物売りの子供たちの姿ばかりが目に付く。あどけない表情でじっと人の目を見て、目が合うと近付いてくる。そして「あなただけお買い得」というような、こまっちゃくれた態度で刺繍した物入れだの、仏像だの、短剣だの、ありふれた土産ものを見せてくるのである。
そういえば、行きのバスの中でガイドの男がしきりと、子供たちから物を買うな、と言っていた。(余談だがこの男はアジア系の顔つきで浅黒い肌のくせに、髪の色は不自然な赤茶髪である。おしゃれのつもりなのか、それとも何か思い入れがあるのだろうか。)
街に行くとキュートな少年少女がたくさんいて、あなた方に話しかけてくるだろう。時に彼らは語学の勉強のためや、世界のことを知りたくて話をしたがっているかもしれない。そういう彼らと、どうぞ話をして楽しんで下さい。ただし、彼らからものを買ったりしてはいけない。彼らは決して貧しいわけではない、よりよい生活を望んでああいうことをしている。まして彼らに金を恵んでやったりしてはいけない。
男はおよそこんなことを言った。彼らが貧しいわけではない、という言葉が耳に残った。そういえば飛行機で配られたネパールの入国管理票にも「物乞いを援助してはいけない」という注意書きがあった。これが対外的な建前なのか、政府がゆゆしき問題だと考えているのか、彼らの生活を貧しいとは思っていないのか、本当のところはわからない。しかし、こういう物売り、物乞いの数は実におびただしい。
夕闇がだんだんと濃くなって行く。幼い少女が、自分と大して大きさの変わらない弟を抱いて店先に座っている。灯の少ないこの街で、もはや観光できるものはない。足早にバスに戻り出発を待つ。間もなくバスは走りだし、闇の中同じ道を戻り始めた。雨もかなり降り始め、街道に人影はない。
カトマンズの中心部に戻ると、さすがに明るい。車道には車が溢れている。バスの車窓からは、立ち並ぶ店の灯に照らされながら歩道を闊歩する人々の姿が見える。
ところどころイルミネーションさえある。欧米のブランド品を扱う高級店は、まばゆいばかりの輝きを見せる。一体この国のどんな人が買うのだろうか、店の前にはいかつい顔をしたガードマンが目を光らせている。