夕べも幼い時の夢を見た。飯を作ってる母の後ろでいたずらしていた。小学校に入学し大勢の友達を作った・・・。こうして10年以上の思い出が一瞬のうちに脳の中に浮かんで来て、フィルムのように目の前を通過した。この数年間、何をしたのだろう。
時の流れに伴って失った物もあるが、大切な物も得た。
日本に来ていろいろなことを経験し、いろいろな経験を重ねた。その中で一番変わって良かったと思うのは、時間に対する態度が変わったことだ。来る前までののんびりした性格が、何処にいつの間に消えたのだろうと思うほどなくなって、このにぎやかで、刺激と争いたっぷりの都会生活に慣れて来た。
時間は一度過ぎたら戻って来ない。
来る前まで毎日、ほとんど毎日寝坊した。煙草の煙に飽和したゲームショーで一日を過ごしたこともある。3分の2しかない命の半分を自分の手で捨てた。退屈な生活はそれで終わるようだった。今はどうだ?毎日時計の針と競うように時間に追われてスケジュールの通り、コンピュータのシステムのように固定されている一日を過ごしているのだ。よぶんの時間があれば復習をするべきだと思う。だんだん時の大切さが分かって来る。これからは時間に追われるのではなく時間の前で走りたい。誰もここまで読んだら疑問が出ると思う。この人に何が起きたのだろう。
こういう転換ができたのは、日本のサラリーマンの生活がきっかけになった。世界中でも勤務時間が一番長いと言われる日本のサラリーマンたちは仕事との争いと時間との競いの中で、立派な自分自身を世の人に見せたのだ。仕事ではさすが働き蜂だ。これは絶対に認めるべきだ。
さて時間に対してはどうだ。早く起きてから出勤するまでの間、絶対遅刻してはいけないという意識を持って、時間と競う。たまに交通事故とかで遅刻することもあるが、それは一人ではしょうがないことだ。仕事先では能率を争う。そのために飯もちゃんと食べずに働くことも多いのだ。やっと家に向かう道にたどりつく・・・・。
こういう秩序がきちんと決まってる社会の枠の中で、時間に対して正しい意識を持つのはそんなに大切な重要なことなのだ。
みんながこういう枠の中で生きていけるのはすばらしいことだと思う。中国でもこんな秩序ができれば・・・・。
時間は海綿の中にしみ込んでいる水のようだから、握れば握るほど時間は出る。出た時間を自分の利益のために使ったら、すばらしい人間になれる。
僕も限りがある命の中で、限りがない仕事をしているけれど、命が終わるまで限りがない仕事をやり続けたいのだ。どの国にいてもこの決意は変わらずにさ。
時は時間の重要性を知っている人に、長い命をくれるのさ!
(中国、男性)
教師より
母国語ではないのに、文学的な表現を使い、詩的なリズムのある文になっています。まだ若い人ですが、どんどん文を書く練習をして才能を磨いてほしいと思います。