シューマンの歌曲だったか、「美しき五月に」という曲があって、曰く五月になると春になって世の中こんなに美しい~?という内容で、ヨーロッパの五月はことのほか美しいということは、われわれも知っていた。だからこそ出発の時期を五月にしたのだったが、しかし!まさかここまで美しいとは思わなんだ。全くどこもかしこも美しいのである。感嘆を通りこしてあきれるばかりである。まさに木々の緑は輝き、空は青く澄み、風はさやかに吹き渡り水面や梢を揺らし、小鳥はさえずり、教会の鐘はゴンゴンと鳴るのである。すべてが調和して美しいのである。嗚呼。
ゲストハウスの裏手はケム川の緑地帯になっていて、中心部へ向かうと大学のそれぞれのカレッジの内部へ延び、駅のほうへ下って行くとCoe Fenという名の、なんというか自然そのままを残した野生公園になっている。そこは放し飼いの馬や牛がいて、草を悠然と食んでいたり、昼寝をしたり、軽快に駆け回っていたりするのである。あたり一面はワイルドフラワーと総称される小さい花が咲き誇っていて、まるで夢の世界にいるようである。思わず「ほへぇ~」などという間抜けな嘆息が口をついてしまう。
ちなみにCambridgeというのは、その名の通りCam川にかかる橋、という意味で、川をまたいでいるカレッジには「ため息の橋」とか「数学の橋」とかそれぞれに意匠を凝らした橋があり、名物になっている。緑地帯からカレッジから橋をくぐりながらボート(PUNTS)をのんびり漕ぐというのが、学生たちの娯楽であり、かつまた観光客目当ての格好のアルバイトである。そんなわけで、地図を片手にうろうろ歩き回る私たちは何度も声をかけられることになる。
「Excuse me, Madam?ええ、あなたあなた。どうです?ひょっとしたらPUNTSに乗って美しい景色を楽しんでみたりはしませんか?」
うーむ、さすがQueen's Englishである。回りくどい。
「あ、いえ、結構、ありがとう」(にっこり)
「どういたしまして。よい一日を」(にっこり)
思えば私の「にっこり癖」は、むかし言葉も通じずにロンドンに滞在した頃についたものだった。とりあえずにっこりしてはさまざまな局面を切り抜けていたのである。長じてそれがOL時代の「オヤジ転がし」の技として開花したというのは余談だが、それにしても紳士的である。「ヘーイ!」などとは言わないのだな。なるほど。
土地勘のないわれわれは次に市内を観光する二階建てバスに乗ることにした。これは各国語対応でヘッドフォンからテープの案内が流れ、英語だけはガイドがライブで話すというお手軽なもので、一日中乗り降り自由である。地図を片手に前方に陣取る。なかなかである。途中で夫が2周しようといい出す。無論異存はない。なにしろ観光ではないのである。生活圏の外郭を知るためであるから、真剣なのである。一段高いところからケンブリッジの街を見下ろす。
さすがに1周半したところで飽きてきて、寒くもなったので降りることにした。乗るときに切符をもらっていなかったので、「切符をくれ!」というと、「ありゃ、渡してなかったけ、ごめんごめん」といいながら切符を切らずに渡してくれた。つまり日付のチェックがない。しめしめこれでまた違う日にも乗れるというものである。こいつは春から縁起がいいやぁねぇ。