ケンブリッジは世界中から研究者が入れ代わり立ち代わり集まるので、訪問研究者の面倒を見る機関(Visiting Scholar Society)があり、学期中は親睦のためのパーティーや見学会なども催される。
毎週大学会館で行われる「訪問研究員の妻あるいはパートナーおよび家族のためのコーヒーモーニング」もその一つである。ティーはアフタヌーンに飲むものとは限らないと思うのだが、確かにコーヒーと子ども用のジュースしか出ない。地元のおそらく大学関係者の夫人達が世話役となって、飲み物のサービスやエンタテイメントなどの情報提供、相談事などをしてくれる。
女性の訪問研究員も存在するものの、コーヒーモーニングに出てくるのは圧倒的に訪問研究員の妻が多い。いわば奥様の集まりなのである。初めの頃は自身が研究員である男性も妻に付き添ってか、ちらほら見受けられるが回を重ねる毎にその姿は消えていく。そして日本人など英語に不自由のある人々の姿も少なくなっていき、結局、アメリカ人、オーストラリア人、ニュージーランド人などで占められていく。 イギリスでは、bunch(房、束)という名詞は人間に対しては使わないそうだが、まさにbunch of wives(妻達の群れ)といった感じでかしましい。
研究者同士ならば、どの研究分野かによって話の持っていきようがあるだろうが、その妻となると別である。夫が分子生物学者だからといって、妻が分子生物学に興味があるとは限らない。たとえあったとしてもこちらが興味がないと話にならない。
勢い「どちらからいらっしゃいました?」「お子さんは?」「ご主人のご専門は?」「こちらにはどのくらいいらっしゃいますか?」「こちらでは何をなさってますか?」などという一見どうでもいい質問を積み重ねていって会話の糸口を掴むことになる。さらにそこで会話を成立させるためには、語学力だけでなく背景知識、想像力、好奇心などが必要である。 世の中には会話上手な人がいるもので、何の苦もなく相手との会話の接点を見出して楽しく情報交換をしているかと思えば、私のようにその場に呑まれてしまってぐずぐずとただ徒に時を過ごす人間もいる。
少しはイギリスの英語に耳が慣れてきたとはいえ、相変わらずアメリカ人やその他のネイティブスピーカーの英語は分からないままなのだ。一対一ならともかく、一対多ではまるでお手上げである。話を理解して反応しようとしたときには、すでに次の話題に流れて行っている。
この会合に出始めた頃、どうにもいたたまれなくて、一度Conversation Exchangeの相手であるポーラさんに愚痴をこぼしたことがある。ポーラさんは私の話に多いに共感してくれたあと、「で、レイコはもう行かないの?」と聞いた。私が「こういうのは時間が必要だから、もうちょっとがんばってみる」と答えると、満足げに頷いて「そうよ。あなたはとても勇気があるわ。きっとできるわ。世界はあなたのものだわ。」と力づけてくれた。たかだかお茶会に出るだけで大変な騒ぎだが、応援してくれるポーラさんの手前途中で止めるわけには行かない。次も何とか出かけていった。
相変わらず会話は捗々しくなく「いつも気がつけば一人」である。見ていると同じ日本人でも海外生活の経験があるという方は、やはり上手に振る舞っていらっしゃる。同胞のよしみで近づいていって脇になんとなくつったっている。そんな情けない状態ながらも何回か出ているうちに、少しずつ他の人達からも存在を認識してもらえるようになる。目が合えばハローと手を振ってもらったり、どさくさに紛れて個人宅で行われるお茶会に誘ってもらったりするようになる。
しかし、いかんせん共通体験が少ないので違うので話が弾みにくいことには変りがない。学期も終わりに近づいてきたのでコーヒーモーニングもそろそろおしまいなのだが、相変わらず壁の花どころか壁の染みぐらいの存在である。参加することに意義があると思いつつも、ついつい時間に遅れていったりしてしまう。
先だっても、このままではいけないと思いながらぐずぐずと支度をしていたが、ふと思い付いて去年カトマンズで買ったヤクのセーターを着ていくことにした。 これならいろいろ話すネタがある。
と、これがまんまと大当たりである。部屋に入ると次々と「ステキなセーターね」「暖かそう」「イギリスで買ったの?」「ニュージーランドを思い出すわ」「さっきからステキだと思ってみてたのよ」等々、声をかけてもらう。で、その都度カトマンズで買ったのだといい、このセーターは初め動物臭かったので浴槽で踏み洗いした話などをする。おかげで「動物臭い(smells animals)」とか「未洗い(unwashed)」などという表現を新しく覚えて早速使ってみる機会にもなった。何事も反復練習が肝心である。カトマンズという言葉もまた興味を引くらしく、なぜカトマンズに行ったのか、とか、行ってどうだったか、とか話を聞いてもらえて、話も弾む。思ったより反響が大きいので驚いたが、やはり話のとっかかりがあるにこしたことはない。
正攻法だけでなく、時に色物を使うのは有効である。しめしめ持ち物や衣装は話題にしやすいのだ。次は十二単でも着ていこうかという気にすらなる。