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薔薇連想06

时间: 2017-02-27    进入日语论坛
核心提示:    六 街だけ見ていると季節の移りが分らない。劇団からの帰り、氷見子は外苑を歩いて冬が近づいているのを知った。茂みが
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     六
 
 街だけ見ていると季節の移りが分らない。劇団からの帰り、氷見子は外苑を歩いて冬が近づいているのを知った。茂みが小さくなり空が拡がって見えた。知らぬうちに入りこんでくる季節の移ろいは病気に似ていると氷見子は思った。
 夜一人で歩いても、家に帰っても氷見子はさほど淋しさは覚えなかった。床に横になりカレンダーを見上げながら氷見子は医師の言葉を思い返していた。
「最初に現われるのは一般に感染して三週間から七週間くらいまでの間ですが、トレポネーマの感染した個所に、いわゆる接触した部分に大豆《だいず》くらいの大きさの硬結《しこり》が一、二個できるのです。専門的には初期硬結と云われるものです。でもこれはよく注意してみないと分りません。特に女性の場合はかなり奥の方に出るので、なかなか気付かないのです。これと同時に大腿のつけ根が腫れてきます。横痃《よこね》と云われているものです」
 氷見子にはどちらもはっきりした心当りはなかった。いま云われて股に軽い硬結を触れたことがあったような気もするが、確かめた記憶はない。そんなものが出来るとは思ってもいなかったのだから当然のことかもしれなかった。
「第二期は貴女も気付いたようにまず最初に現われてくるのが薔薇疹です。この期は感染後三カ月から三年までの期間を云うのです」
 男達が薔薇疹を出すのは何時だろうか。十一月から三カ月を経て、二月の初めには彼等は薔薇の模様を体に表わす。
「一度や二度の関係ででもうつるのですか」
 医師にならもう羞ずかしさはなかった。すべて知られているという諦めが氷見子を大胆にしていた。
「うつりますよ、特に第一期の大豆大の硬結《しこり》が破れて潰瘍ができる頃には一番|罹《かか》りやすいのです」
「じゃ第二期は……」
「何期だから大丈夫だということはないのです。血の検査がマイナスでも安心できません。いつだって危険なことは危険なのです」
 医師の真剣な表情が瞼《まぶた》に甦った。
「感染すると血の検査はすぐプラスになって現われてくるのですか」
「プラスになるのは大体感染して一カ月から一カ月半後からです」
 氷見子はうなずいた。そのとおりだとすると今月の末で男達は自分と同じ仲間になるはずであった。新しい演劇のあり方を模索している大学教授の田坂も、プレイボーイの花島も、その妻と彼女達もピンクの検査用紙を見る時がやってくる。プラス1か、プラス2か、いずれにせよ彼等は私と血で結ばれた仲間なのだ。氷見子の薄い唇に微かな笑いがこみあげた。
 じっとしていると声が出そうだった。思いきり笑って床を転げたい。笑いを噛み殺して氷見子は眠りに入る。この頃、氷見子は驚くほどぐっすりと眠れる。
 田坂と花島に氷見子は各々、週に一度くらいの割で逢っていた。田坂は優しく執拗で、花島は時に荒々しく、大胆であった。氷見子の体は二人の男の好みに合わせてそれぞれに反応した。その時だけ氷見子の体は氷見子を離れて気儘に動いているようであった。
 行為のあと氷見子は男達の大腿に静かに手を滑らせた。何気なくけだるげに載せる。男達はそれを、すべてを許した女の愛の仕草だと思っている。細くしなやかな指先が軽く圧しながら移動する。
(触れる)
 瞬間、氷見子の指が止った。股のつけ根に斜め上から下へかけ間違いなく三個の硬結《しこり》がある。それは山並みの三つの主峰のように硬く際立っている。
(私の血がうつったのだ)
 氷見子は手をそのままに眼を閉じた。じわじわと残忍な喜びが氷見子の心に湧いた。それは体のすみずみまでゆっくりと拡がっていく。
「なにを考えているのだ」花島が向き直って云った。役者にしてもいいような美しい顔である。
「宇月のことか」
 氷見子は小さく首を振った。
「君は可愛い女だ。宇月が放さなかった理由が分ったよ」
「宇月……」と氷見子は思った。宇月が私の病気を確かめた時、彼はどのような顔をしていたのであろうか、征服感か、うつしていく喜びか、あるいは憐れみか、それとも私のように男へ拡げ復讐していく快感であろうか。男の腕の中で氷見子は地獄に堕《お》ちた。
 
 田坂の股に同じ硬結《しこり》を触れたのはそれから一週間あとであった。その時、田坂は今度出す新しい演劇の本について話していた。氷見子はうなずきながらそれに触れていた。
「君とこうなってから書く気になった。新しい意欲が湧いたのだ。君には必ずサイン入りで贈る」
 私の贈ったものはもっと奥深く体の中まで残っている。氷見子は冷えた頭で考えた。
 
 舞台の練習は最後の追いこみに入っていた。氷見子は劇団へは週に一、二度しか顔を出さなかったが田坂と花島のことは噂になっているらしかった。二人のことについて氷見子は云ったこともないし素振りに出したこともない。だが感づかれるのは男達の態度が原因のようであった。
「花島さんとはともかく田坂さんとはおやめなさい」店が終って飲みに出た時、ママが云った。
「私、そんなに本気じゃないわ」
「本気かどうかしらないけれど、あの方は私達の先生なのよ、しかも貴女はその劇団の研究生よ」
 だからどうなのかと氷見子はママを見た。
「こんな関係は劇団を壊《こわ》すわ、あるまじき関係よ」
「私はやめてもいいわ、でも……」
「でも先生が承知しないと云うの」
「いいえ」
「このままではどちらかが退団しなければならなくなるわ、それでもいいの?」
 もう暫く、と氷見子は思った。あと一度だけ田坂と逢って薔薇疹を見届ければ、いつ別れてもいい。
「花島さんのことも、よいとは思わないけど私は干渉しないわ」ママは舞台のために伸ばした髪を後ろへおしあげて云った。
「でもあまり何人とも関係するのは良くないわ、この世界は狭いのよ」
 二人ではまだ不足なのだと氷見子は云いたかった。
「皆川さんが結婚するそうよ」思い出したようにママが云った。
「伸吾さんが……」
「そう、相手は広告代理店の部長のお嬢さんらしいわ」
「皆川伸吾」と氷見子は口の中で云ってみた。もう随分逢っていなかった。宇月と一緒になった時からだからもう三年にはなる。伸吾は「創造」を出て「現代劇場」に移ってからめきめきと売り出した。地道に努めてきたのだから当然の結果とも云えた。二年前に一度だけ客席から氷見子は伸吾の舞台を見た。逢ってみようかと思ったが結局逢わずに帰ってきた。自分の噂も伝わっているだろうし、伸吾はもう自分を必要としていないのだと思った。そのまま伸吾のことは避けるようにして通ってきた。だが避けてきたということは忘れていない証拠でもあった。
「どこで逢ったのですか」
「協会の会合でよ、貴女のことを聞いてたわ」
「………」
 ママはウイスキーをお替りした。カウンターの前に洋酒壜がある。それが鏡に二重写しになっていた。
「伸吾が結婚する」
 追われる気持で氷見子は壜の合間に映った自分の白い顔に呟いた。
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