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破戒20-4

时间: 2017-06-03    进入日语论坛
核心提示:       (四) 涙は反(かへ)つて枯れ萎(しを)れた丑松の胸を湿(うるほ)した。電報を打つて帰る道すがら、丑松は蓮
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        (四)
 
 涙は反(かへ)つて枯れ萎(しを)れた丑松の胸を湿(うるほ)した。電報を打つて帰る道すがら、丑松は蓮太郎の精神を思ひやつて、其を自分の身に引比べて見た。流石(さすが)に先輩の生涯(しやうがい)は男らしい生涯であつた。新平民らしい生涯であつた。有の儘(まゝ)に素性を公言して歩いても、それで人にも用ゐられ、万(よろづ)許されて居た。『我は穢多を恥とせず。』――何といふまあ壮(さか)んな思想(かんがへ)だらう。其に比べると自分の今の生涯は――
 其時に成つて、始めて丑松も気がついたのである。自分は其を隠蔽(かく)さう隠蔽さうとして、持つて生れた自然の性質を銷磨(すりへら)して居たのだ。其為に一時(いつとき)も自分を忘れることが出来なかつたのだ。思へば今迄の生涯は虚偽(いつはり)の生涯であつた。自分で自分を欺(あざむ)いて居た。あゝ――何を思ひ、何を煩ふ。『我は穢多なり』と男らしく社会に告白するが好いではないか。斯う蓮太郎の死が丑松に教へたのである。
 紅(あか)く泣腫(なきはら)した顔を提げて、やがて扇屋へ帰つて見ると、奥の座敷には種々(さま/″\)な人が集つて後の事を語り合つて居た。座敷の床の間へ寄せ、北を枕にして、蓮太郎の死体の上には旅行用の茶色の膝懸(ひざかけ)をかけ、顔は白い布(ハンケチ)で掩(おほ)ふてあつた。亭主の計らひと見えて、其前に小机を置き、土器(かはらけ)の類(たぐひ)も新しいのが載せてある。線香の煙に交る室内の夜の空気の中に、蝋燭(らふそく)の燃(とぼ)るのを見るも悲しかつた。
 警察署へ行つた弁護士も帰つて来て、蓮太郎のことを丑松に話した。上田の停車場(ステーション)で別れてから以来(このかた)、小諸(こもろ)、岩村田、志賀、野沢、臼田、其他到るところに蓮太郎が精(くは)しい社会研究を発表したこと、それから長野へ行き斯の飯山へ来る迄の元気の熾盛(さかん)であつたことなぞを話した。『実に我輩も意外だつたね。』と弁護士は思出したやうに、『一緒に斯処(こゝ)の家(うち)を出て法福寺へ行く迄も、彼様(あん)な烈しいことを行(や)らうとは夢にも思はなかつた。毎時(いつも)演説の前には内容(なかみ)の話が出て、斯様(かう)言ふ積りだとか、彼様(あゝ)話す積りだとか、克(よ)く飯をやり乍ら其を我輩に聞かせたものさ。ところが、君、今夜に限つては其様(そん)な話が出なかつたからねえ。』と言つて、嘆息して、『あゝ、不親切な男だと、君始め――まあ奈何(どん)な人でも、我輩のことを左様思ふだらう。思はれても仕方無い。全く我輩が不親切だつた。猪子君が何と言はうと、細君と一緒に東京へ返しさへすれば斯様(こん)なことは無かつた。御承知の通り、猪子君も彼様(あゝ)いふ弱い身体だから、始め一緒に信州を歩くと言出した時に、何(ど)の位(くらゐ)我輩が止めたか知れない。其時猪子君の言ふには、「僕は僕だけの量見があつて行くのだから、決して止めて呉れ給ふな。君は僕を使役(つか)ふと見てもよし、僕はまた君から助けられると見られても可(いゝ)――兎(と)に角(かく)、君は君で働き、僕は僕で働くのだ。」斯ういふものだから、其程熱心に成つて居るものを強ひて廃(よ)し給へとも言はれんし、折角の厚意を無にしたくないと思つて、それで一緒に歩いたやうな訳さ。今になつて見ると、噫(あゝ)、あの細君に合せる顔が無い。「奥様(おくさん)、其様に御心配なく、猪子君は確かに御預りしましたから」なんて――まあ我輩は奈何(どう)して御詑(おわび)をして可(いゝ)か解らん。』
 斯う言つて、萎(しを)れて、肥大な弁護士は洋服の儘(まゝ)でかしこまつて居た。其時は最早(もう)この扇屋に泊る旅人も皆な寝て了つて、たゞさへ気の遠くなるやうな冬の夜が一層(ひとしほ)の寂しさを増して来た。日頃新平民と言へば、直に顔を皺(しか)めるやうな手合にすら、蓮太郎ばかりは痛み惜まれたので、殊に其悲惨な最後が深い同情の念を起させた。『警察だつても黙つて置くもんぢや無い。見給へ、きつと最早(もう)高柳の方へ手が廻つて居るから。』と人々は互に言合ふのであつた。
 見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は死んだ先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるやうな心地がした。告白――それは同じ新平民の先輩にすら躊躇(ちうちよ)したことで、まして社会の人に自分の素性を暴露(さらけだ)さうなぞとは、今日迄(こんにちまで)思ひもよらなかつた思想(かんがへ)なのである。急に丑松は新しい勇気を掴(つか)んだ。どうせ最早今迄の自分は死んだものだ。恋も捨てた、名も捨てた――あゝ、多くの青年が寝食を忘れる程にあこがれて居る現世の歓楽、それも穢多の身には何の用が有らう。一新平民――先輩が其だ――自分も亦た其で沢山だ。斯う考へると同時に、熱い涙は若々しい頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちる。実にそれは自分で自分を憐むといふ心から出た生命(いのち)の汗であつたのである。
 いよ/\明日は、学校へ行つて告白(うちあ)けよう。教員仲間にも、生徒にも、話さう。左様だ、其を為るにしても、後々までの笑草なぞには成らないやうに。成るべく他(ひと)に迷惑を掛けないやうに。斯う決心して、生徒に言つて聞かせる言葉、進退伺に書いて出す文句、其他種々(いろ/\)なことまでも想像して、一夜を人々と一緒に蓮太郎の遺骸(なきがら)の前で過したのであつた。彼是(かれこれ)するうちに、鶏が鳴いた。丑松は新しい暁の近いたことを知つた。
 
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