「あの、兄さん、伯母さんが早くお支度をなさるようにって……」
「ああ、そう、お秋さん、すまないが雨戸を閉めておいて下さい」
賢蔵はそう言い捨てて離家から出ていった。
これが七時頃のことで、さて、それから一時間ほどして花嫁が媒酌人夫婦に付き添われ
て到着し、ここに祝言の式がはじまったのだが、それらの模様は出来るだけ簡単に述べる
ことにしよう。
まえに言った通り、この式に連なったのは、ごく少人数で、糸子刀自に三郎・鈴子の兄
妹、良介夫婦ともう一人、川──村の大叔父、伊い兵へ衛えという七十何歳かの老人、と、
これだけが新郎がわからの出席者で、新婦がわからは叔父の久保銀造が唯一人。媒酌人と
いうのはこの村の村長だったが、これはほんの形式だけの、頼まれ媒酌人なこうどに過ぎ
なかった。
さて盃さかずき事ごとが目出度く終わると、その後で黒塗金蒔絵のあの見事な琴が持ち
出され、鈴子がそれを弾いたのは、かねて打ち合わせておいたとおりである。鈴子はほか
の事にかけてはすべて年齢よりはるかに遅れていながら、琴だけは天才ともいうべき技ぎ
倆りようを持っていたから、弾く人と弾かれる琴と、両々あいまってその夜の式場に錦上
さらに花をそえたという。
しかし、婚礼の席上で琴を弾じるという事は、ほかにあまり例のない事だし、鈴子の弾
いた一曲が、今まで聴いた事のない曲だったので、花嫁の克子が奇異な想おもいをしてい
ると、糸子刀自がこう説明を加えた。
一柳家の何代か前の妻女に、大変琴の上じよう手ずな人があった。ところがある時、さ
る大名の姫君がお輿こし入いれのため西下なさる際、本陣に泊まられたのである。その
時、琴の名手であるその妻女が、かねて自ら作詞作曲しておいた「鴛鴦おしどり歌うた」
という一曲をお耳に入れたところが、お姫様は大変喜ばれて、後日「おしどり」と名づけ
る一面の琴を贈って寄越された。それ以来、一柳家では継嗣の婚礼の席で、必ず花嫁が琴
を弾くべきものとされ、いま鈴子が弾いたのが即ちその鴛鴦歌で、琴は「おしどり」であ
る。──と、そういう来歴をきいて、花嫁の克子は思わず眼を瞠みはった。
「まあ、それではいまのお琴は、わたしが弾くのが本当だったのでございますわね」
「そうですよ。しかしあなたにその心得がおありかどうか分からなかったので、無理にと
はいいかねて、鈴子に代わって貰ったのですよ」
克子は黙ってひかえていたが、するとそれに代わってこたえたのは叔父の銀造だった。
「それならば、あらかじめ言って頂ければ、克子に弾かせるのでした」
「あら、お姉さんはお琴をお弾きになりますの」
「お嬢さん、これからはこのお姉さんが、あなたのよいお相手になりましょう。あなたの
お姉さんになる人は、琴の先生も出来るのですよ」
糸子刀自と良介は顔を見合わせていたが、するとその時賢蔵がぼそりと横から口を出し
た。
「それじゃその琴は克子が貰っておくといい」
糸子刀自がそれに対してすぐに返事をしなかったので、一座はちょっと白けかけたが、
それを救うように横合から口を出したのは、苦労人の村長だった。
「花嫁さんにそれほどのたしなみがあるんでしたら、お願いすればよかったですね。どう
です、ご隠居さん、後で離家でもう一度、盃事があるのでしょう。その席で改めて弾いて
戴いただいたら」
「そうですね。そう願いましょうか。いいえ『鴛鴦歌』のほうは鈴子に弾いて貰いました
から、今度はなんでもよいという事に致しましょう。あなたのお得意の、何か目出度い曲
を一曲……祝言の夜に花嫁が琴を弾くというのが、この家の家風になっているのですか
ら」
克子が後でもう一度、琴を弾く事になったのは、こういういきさつがあったからであ
る。
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