ところがたまたまその時分、サンフランシスコに居合わせたのが久保銀造であった。銀
造は岡山ではじめた果樹園がひととおり成功していたので、それについてもう一つの事業
をもくろんでいた。諸君は戦前、サンキストという商標のついた乾ほし葡ぶ萄どうをよろ
こんで食べた記憶を持っているにちがいない。あれはカリフォルニアにいる日本人によっ
て多く作られていたものだが、銀造はそれを日本で作って見ようと思った。そこで見学か
たがた、久しぶりでアメリカへ渡っていたのだが、ある在留日本人会の席上で、銀造はふ
と金田一耕助にあった。
「どうだね。いい加減に麻薬と縁をきって、真面目に勉強する気はないかな」
「僕もそうしたいと思っています。麻薬も結局大したことはありませんからな」
「君がその気なら、私が学資を出すが」
「どうぞよろしく頼みます」
耕助はもじゃもじゃの髪の毛を搔きまわしながら、あっさり頭を下げて頼んだ。
銀造は間もなく日本へ帰ったが、耕助は三年居残ってカレッジを出た。そして日本へ戻
ると、すぐ神戸から岡山の銀造のもとへやって来たが、その時、銀造はこういった。
「さて……と、これから何をするつもりだね」
「僕、探偵になろうと思います」
「探偵……?」
銀造は眼をまるくして耕助の顔を見直したが、すぐに三年まえの事件を思い出して、そ
れもよかろう。どうせ堅気の職業につける人間ではないと思った。
「探偵──という職業は私もよく知らんが、やはり活動に出て来るように、天眼鏡や巻き尺
なんか使うのかね」
「いや、僕はそんなものは使わん積もりです」
「では、何を使うのかな」
「これを使います」
耕助はにこにこしながら、もじゃもじゃの頭を叩いて見せた。
銀造は感心したように、ううむとうなずいた。
「しかし、頭脳あたまを使うにしてもやはりいくらか資本が要いるだろう」
「そうですね。事務所の設備費やなんかに、三千円は要るだろうと思います。それに、さ
し当たりの生活費が要りますね。看板を出したからって、そういきなり、流は行やらんで
しょうし」
銀造は五千円の小切手を書いて黙って渡した。耕助はそれを受け取ると、ペコリとお辞
儀をしたきりで、大して礼もいわずに東京へ帰ると、間もなくこの風変わりな職業をはじ
めたのである。
東京における金田一耕助の探偵事務所は、はじめのうちはむろん、商売にもならないら
しかった。銀造のもとへおりおりよこす近況報告にしても、門前雀じやく羅ら、事務所に
は閑古鳥啼なき、主人公はあくびを嚙み殺して、探偵小説ばかり読んでいる。というよう
な、真面目なのか、ふざけているのかわからないようなのが多かったそうである。
ところが半年ほど経つうちに、手紙の調子がしだいに変わって来たかと思うと、ある
朝、思いがけなく耕助の写真が大きく新聞に出ているのを発見して銀造は驚いた。何をや
らかしたのかと思って読んでみると、その頃全国を騒がせていた某重大事件を見事解決し
た殊勲者として、新聞が大々的に提灯ちようちんを持っているのであった。その記事の中
で耕助はこういうことを言っていた。