なんだか神業とでもいうような気がして、子供の私には、珍らしくもあり、怖くもあったのです。思わずそんなふうに聞き返しました。
「わかるまい。種明かしをしようか。種明かしをしてしまえば、なんでもないことなんだよ。ホラ、ここを見たまえ、この鏡の裏を、ね、寿という字が浮彫りになっているだろう。これが表へすき通るのだよ」
なるほど見れば彼の言う通り、青銅のような色をした鏡の裏には、立派な浮彫りがあるのです。でも、それが、どうして表面まですき通って、あのような影を作るのでしょう。鏡の表は、どの方角からすかして見ても、滑らかな平面で、顔がでこぼこに写るわけでもないのに、それの反射だけが不思議な影を作るのです。まるで魔法みたいな気がするのです。
「これはね、魔法でもなんでもないのだよ」
彼は私のいぶかしげな顔を見て、説明をはじめるのでした。
「おとうさんに聞いたんだがね、金属の鏡というやつは、ガラスと違って、ときどきみがきをかけないと、曇りがきて見えなくなるんだ。この鏡なんか、ずいぶん古くから僕の家に伝わっている品で、何度となく磨きをかけている。でね、その磨きをかけるたびに、裏の浮彫りの所と、そうでない薄い所とでは、金の減り方が眼に見えぬほどずつ違ってくるのだよ。厚い部分は手ごたえが多く、薄い部分はこれが少ないわけだからね。その眼にも見えぬ減り方の違いが、恐ろしいもので、反射させると、あんなに現われるのだそうだ。わかったかい」
その説明を聞きますと、一応は理由がわかったものの、今度は、顔を映してもでこぼこに見えない滑らかな表面が、反射させると明きらかに凹凸が現われるという、このえたいの知れぬ事実が、たとえば顕微鏡で何かを覗いた時に味わう、微細なるものの無気味さ、あれに似た感じで、私をゾッとさせるのでした。
この鏡のことは、あまり不思議だったので、特別によく覚えているのですが、これはただの一例にすぎないので、彼の少年時代の遊戯というものは、ほとんどそのような事柄ばかりで充たされていたわけです。妙なもので、私までが彼の感化を受けて、今でも、レンズというようなものに、人一倍の好奇心を持っているのですよ。
でも少年時代はまだ、さほどでもなかったのですが、それが中学の上級生に進んで、物理学を教わるようになりますと、御承知の通り物理学にはレンズや鏡の理論がありますね、彼はもうあれに夢中になってしまって、その時分から、病気と言ってもいいほどの、いわばレンズ狂に変わってきたのです。それにつけて思い出すのは、教室で凹面鏡のことを教わる時間でしたが、小さな凹面鏡の見本を、生徒のあいだに廻して、次々に皆の者が、自分の顔を映して見ていたのです。私はその時分ひどいニキビづらで、それがなんだか性欲的な事柄に関係しているような気がして、恥かしくてしようがなかったのですが、なにげなく凹面鏡を覗いて見ますと、思わずアッと声を立てるほど驚いたことには、私の顔のひとつひとつのニキビが、まるで望遠鏡で見た月の表面のように、恐ろしい大きさに拡大されて映っていたのです。
小山とも見えるニキビの先端が、石榴のようにはぜて、そこからドス黒い血のりが、芝居の殺し場の絵看板の感じで物凄くにじみ出しているのです。ニキビというひけ目があったせいでもありましょうが、凹面鏡に映った私の顔がどんなに恐ろしく、無気味なものであったか、それからのちというものは、凹面鏡を見ると、それがまた、博覧会だとか、盛り場の見世物などには、よく並んでいるのですが、私はもう、おぞけを振るって、逃げ出すようになったほどです。