不幸にも、彼には意見を加えてくれるような親戚が一軒もなかったのです。召使いたちの中には、見るに見かねて意見めいたことを言う者もありましたが、そんなことがあれば、すぐさまお払い箱で、残っている者共は、ただもう法外に高い給金目当ての、さもしい連中ばかりでした。この場合、彼に取っては天にも地にも、たった一人の友人である私としては、なんとか彼をなだめて、この暴挙をとめなければならなかったのですが、むろん幾度となくそれは試みたのですが、いっかな狂気の彼の耳には入らず、それに事柄が別段悪事というのではなく、彼自身の財産を、彼が勝手に使うのであってみれば、ほかにどう分別のつけようもないのでした。私はただもう、ハラハラしながら、日に日に消え行く彼の財産と、彼の命とを、眺めているほかはないのでした。
そんなわけで、私はその頃から、かなり足繁く彼の家に出入りするようになりました。せめては彼の行動を、監視なりともしていようという心持だったのです。従って、彼の実験室の中で、目まぐるしく変化する彼の魔術を、見まいとしても見ないわけには行きませんでした。それは実に驚くべき怪奇と幻想の世界でありました。彼の病癖が頂上に達すると共に、彼の不思議な天才もまた、残るところなく発揮されたのでありましょう。走馬灯のように移り変わる、それがことごとくこの世のものではないところの、怪しくも美しい光景、私はその当時の見聞を、どのような言葉で形容すればよいのでしょう。
外部から買入れた鏡と、それで足らぬところや、ほかでは仕入れることのできない形のものは、彼自身の工場で製造した鏡によって補い、彼の夢想は次から次へと実現されて行くのでした。ある時は彼の首ばかりが、胴ばかりが、或いは足ばかりが、実験室の空中を漂っている光景です。それは言うまでもなく、巨大な平面鏡を室一杯に斜めに張りつめて、その一部に穴をあけ、そこから首や手足を出している、あの手品師の常套手段にすぎないのですけれど、それを行なう本人が手品師ではなくて、病的なきまじめな私の友だちなのですから、異常の感にうたれないではいられません。ある時は部屋全体が、凹面鏡、凸面鏡、波型鏡、筒型鏡の洪水です。その中央で踊り狂う彼の姿は、或いは巨大に、或いは微小に、或いは細長く、或いは平べったく、或いは曲がりくねり、或いは胴ばかりが、或いは首の下に首がつながり、或いはひとつの顔に眼が四つでき、或いは唇が上下に無限に延び、或いは縮み、その影がまた互に反復し、交錯して、紛然雑然、まるで狂人の幻想です。
ある時は部屋全体が巨大なる万華鏡です。からくり仕掛けで、カタリカタリと廻る、数十尺の鏡の三角筒の中に、花屋の店をからにして集めてきた、千紫万紅が、阿片の夢のように、花弁一枚の大きさが畳一畳にも映ってそれが何千何万となく、五色の虹となり、極地のオーロラとなって、見る者の世界を覆いつくす。その中で、大入道の彼の裸体が月の表面のような、巨大な毛穴を見せて躍り狂うのです。
そのほか種々雑多の、それ以上であっても、決してそれ以下ではないところの、恐るべき魔術、それを見た刹那、人間は気絶し、盲目となったであろうほどの、魔界の美、私にはそれをお伝えする力もありませんし、またたとえ今お話ししてみたところで、どうまあ信じていただけましょう。