と、やっぱりささやき声でおっしゃるのです。
「それは大じょうぶですよ。あの黒いやつは緑ちゃんのほかの子は見向きもしないんですもの。たとえさらわれたって、危険はないんだし、それに、すぐあとから、また小林さんが迎えに来るっていうんです。そしてね、もう一着、似たような男の子ども服を用意しておいてね、それを着せてつれて帰るんだっていいますから、同じような男の子が二度門を出るわけですね。おもしろいでしょう。悪者は、めんくらうでしょうね。」
この始君の説明で、おかあさまも、やっと納得なさいましたので、始君はさっそく明智事務所へ電話をかけて、あらかじめ打ちあわせておいた暗号で、小林少年にこのことを伝えました。
さて小林君が、緑ちゃんくらいの背かっこうのかわいらしい男の子をつれて、篠崎家へやってきたのは、もう日の暮れがた時分でした。
すぐさま奥まった一間をしめきって、緑ちゃんの変装がおこなわれました。かわいらしいイートンスーツを着て、おかっぱの髪の毛は大きな帽子の中へかくして、たちまち勇ましい男の子ができあがりました。
まだ五つの緑ちゃんは、何もわけがわからないものですから、生まれてから一度も着たことのないイートンスーツを着て、大よろこびです。
すっかり支度ができますと、緑ちゃんには品川のおばさんのところへ行くんだからと、よくいいきかせたうえ、小林君は篠崎君のおとうさまから、おばさんにあてた依頼状を、たいせつにポケットに入れて、緑ちゃんの手を引いて、わざと人目にふれるように、門の外へ出ていきました。
門の外には、もうちゃんと自動車が待っています。小林君は緑ちゃんをだいて、秘書の今井君があけてくれたドアの中へはいり、客席にこしかけました。つづいて、今井君も助手席につき、車は、エンジンの音もしずかに出発しました。
もう外は、ほとんど暗くなっていました。道ゆく人もおぼろげです。自動車はしばらく電車道を通っていましたが、やがて、さびしい横町に折れ、ひじょうな速力で走っています。
見ていると、両がわの人家がだんだんまばらになり、ひどくさびしい場所へさしかかりました。
「運転手さん、方向がちがいやしないかい。」
小林君は、みょうに思って声をかけました。
しかし運転手は、まるでつんぼのように、なんの返事もしないのです。
「おい、運転手さん、聞こえないのか。」
小林君は、思わず大声でどなりつけて、運転手の肩をたたきました。すると、
「よく聞こえています。」
という返事といっしょに、運転手と今井君とが、ヒョイとうしろをふりむきました。
ああ、その顔! 運転手も今井君も、まるで、えんとつの中からはいだしたように、まっ黒な顔をしていたではありませんか。そして、ふたりは、申しあわせでもしたように、同時にまっ白な歯をむきだして、あのゾッと総毛立つような笑いで、ケラケラケラと笑いました。読者諸君、それはふたりのインド人だったのです。
しかし、運転手はともかくとして、今井君までが、ついさきほど自動車のドアをあけてくれた今井君までが、いつのまにか黒い魔物にかわってしまったのです。まったく不可能なことです。これも、あのインド人だけが知っている、摩訶不思議の妖術なのでしょうか。