ああ、ごらんなさい。二十面相は空にのぼっていたのです。悪魔は昇天したのです。
やみの空を、ぐんぐんとのぼっていく、大きな大きな黒いゴムまりのようなものが見えました。軽気球です。ぜんたいをまっ黒にぬった軽気球です。広告気球の二倍もある、まっ黒な怪物です。
その軽気球の下にさがったかごの中に、小さくふたりの人の姿がみえます。黒い背広の二十面相と、白い上着のコックです。彼らは警官たちをあざわらうかのように、じっと下界をながめています。
人々はそれを見て、やっと二十面相のなぞをとくことができました。怪盗の最後の切り札はこの軽気球だったのです。ああ、なんという、とっぴな思いつきでしょう。ふつうの盗賊などには、まるで考えもおよばない、ずばぬけた芸当ではありませんか。
二十面相はまんいちのばあいのために、この黒い軽気球を用意しておいたのです。そして、今夜、明智探偵と会う少しまえに、その軽気球にガスを満たし、屋根の頂上につなぎとめておいたのです。ぜんたいがまっ黒にぬってあるものですから、こんなやみ夜には、通りがかりの人に発見される心配もなかったわけです。
いや、通りがかりの人どころではありません。屋根の上の警官たちにさえ、この気球は少しも気づかれませんでした。それというのも、さすがの警官たちも、まさか、軽気球とは思いもよらぬものですから、屋根ばかりを見ていて、その上のほうの空などは、ながめようともしなかったからです。また、たとえながめたとしても、やみの中の黒い気球がはっきり見わけられようとも考えられません。
ふたりの賊は警官たちに追いつめられたとき、とっさに軽気球のかごにとびのり、つなぎとめてあった綱を切断したのでしょう。それが暗やみの中の早わざだったものですから、とつぜんふたりの姿が消えうせたように感じられたのにちがいありません。
中村係長は、足ずりをしてくやしがりましたが、賊が昇天してしまっては、もう、どうすることもできないのです。五十余名の警官隊は、空をあおいで、口々に何かわけのわからぬさけび声をたてるばかりでした。
二十面相の黒軽気球は、下界のおどろきをあとにして、ゆうゆうと大空にのぼっていきます。地上の探照燈は、軽気球とともに高度を高めながら、暗やみの空に、大きな白いしまをえがいています。
その白いしまの中を、賊の軽気球は、刻一刻、その形を小さくしながら、高く高く、無限の空へと遠ざかっていきました。
かごの中のふたりの姿は、とっくに見えなくなっていました。やがて、かごそのものさえも、あるかなきかに小さくなり、しまいには、軽気球が、テニスのボールほどの黒い玉になって、探照燈の光の中をゆらめいていましたが、それさえも、いつしか、やみの大空にとけこむように、見えなくなってしまいました。