最後の売り物
導かれたのは豪奢な地底の客間であった。近代様式の明るい洋室。家具調度のたぐいもアブストラクトふうの最新様式のものがそろえてあった。影男はその長イスのひじ掛けに身をもたせて、最も安易な姿勢をとり、かれを導いた男は、その向こう側のアームチェアに、行儀よく腰かけた。まったく露出光のない間接照明で、広いへやがいぶし銀のように輝いていた。
その男は四十歳ぐらいに見えた。色白で、よく太っていて、まるまるした顔に、かっこうのよいちょびひげをたくわえていた。口もとが女のようにやさしくて、異常に赤いくちびるをしていた。太いけれど薄いまゆの下の二重まぶたの大きな目が敏捷に動いた。いきな仕立てのダブルブレストの新しい服を着て、ブライヤのパイプを口から離さなかった。
そこへ、まっかな洋服を着た十五、六歳のかわいらしい少女が、いろいろな洋酒のびんを並べた銀色の手押し車を押してはいってきた。
「お好みのものをどうぞ。それから、ここにフィガロ・タバコもございます」
影男は、いわれるままに、エジプトの紙巻きタバコをとり、少女のさし出すライターの火をつけた。それから、ブランデーをつがせて、二口に飲み、おかわりを命じた。タバコも酒も極上の口あたりで、さきほどからの刺激の連続に疲れ果てたからだが、しゃんとするような快感をおぼえた。
「お客さま、いかがでございましたか、わたくしどもの趣向は?」
色白のちょびひげの紳士は、西洋流のゼスチュアで、うやうやしくたずねた。
「すてきです。ぼくはめったに物に驚かぬ男ですが、きょうはかぶとをぬぎました。ほんとうにびっくりしたのです。ところで、あなたがここのご主人ですか。それとも、社長さんというのですか」
影男は少し身を起こして、ブランデーのグラスをテーブルに置いた。
「まずそのようなものです。名まえはわざと申し上げません。お客さまのお名まえも、伺わないことになっております」
「それはわかっています。しかし、この目くらましの秘密について、少しおたずねしてもいいでしょうか。東京の地下に、こんな恐ろしい別世界を現わすのは、いったいどこの国の幻術なのですか」
ちょびひげの男は、ニッコリ笑って、
「それを伺って安堵しました。あなたさまはひょっとしたら、目くらましの種を見破っていらっしゃるのではないかと心配しておりましたが……」
「やっぱり、種があるのですね。ぼくは夢を見せられたのでも、催眠術にかかったのでもありませんね」
「種あかしは、かえって興ざめかもしれません。しかし、わたくしは、あれをごらん願ったあとで、必ずこのへやで種あかしをすることにしております。まやかしの暴利をむさぼらないことを知っていただきたいからです。わたくしとしましては、いまごらん願ったものが自慢なのですが、五十万円の売りものは、実はもっとほかにあるのです。これまでのまやかしの世界は、いわばお景物にすぎません。そのほんとうの売りものについては、あとでお話しいたします。そのまえに、わたくしの発明について、ちょっと自慢話をさせていただきたいのですが……」
「それはぼくも望むところですよ。あれが夢ではなくて、現実だったとすれば、どうしても種明かしが聞きたい。それでこそ満足するわけです。どうか、じゅうぶん自慢話をしてください」
影男は、かたわらの少女に、四杯めのブランデーをつがせて、またひじ掛けによりかかり、ほとんど寝そべった形になって、相手のちょびひげと赤いくちびるを見つめた。
「一口に申せば、パノラマの原理です。お客さまは日本でも明治時代に流行したパノラマ館というものをご存じでしょうか」
「残念ながら、見たことがありません。話に聞いているばかりです」
「実は、わたくしも大正生まれなので、明治時代のパノラマ館というものは見ておりません。物の本で読んでいるばかりです。それによりますと、十九世紀のフランス人が、あれを発明したのです。わたくしは偉大な発明の一つだと信じます。その発明者は、この現実の世界の中に、まったく別の世界を創造しようといたしました。演劇、映画なども別の世界を目の前に見せてくれるものにちがいありませんが、舞台の額縁の中やスクリーンの上だけが別世界で、たとえ見物席を暗くしても、そこに現実世界が残っているのですから、『おしばい』とか『絵そらごと』とかいう感じを払拭することができません。見物たちは心のすみで劇場なり映画館なりの見物席を意識しながら、舞台やスクリーンを見ているのです。そこに架空と現実の混淆があり、純粋に架空のリアルに徹することができません。そういう不純な現実面を完全に取りのぞいてしまおうとしたのが、パノラマ館の偉大な着想だったのです。