洗面所で手を洗っていると、丁度窓の下を第二工場の連中が帰りかけたとみえて、ゾロ/\と板
「まだか?」
その時、後に須山が来ていて、言葉をかけた。彼は第二工場だった。私は
相手にそれと分ったと思うと須山は急に調子を変えて、「キリンでゞも一杯やるか」と後から云った。が、それには一応
外へ出ると、さすがに須山は私より五六間先きを歩いた。工場から電車路に出るところは、片方が省線の堤で他方が商店の屋並に
電車路の
「どうもおかしいんだ……」
と云う。
私は須山の口元を見た。
「上田がヒゲと切れたんだ……!」
「
私が云った。
「昨日。」
ヒゲは「予備線」など取って置く必要のない男だとは分っていたが、
「予備はあったのか?」と
「取っていたそうだ。」
彼の話によると、昨日の連絡は
「今日はどうなんだ?」
「ウン、昨日と同じ
「何時だ。」
「七時――それに喫茶店が七時二十分。で俺はとにかくその様子が心配だから、八時半に上田と会うことにして置いた。」
私は今晩の自分の時間を数えてみて、
「じゃ、オレと九時会ってくれ。」
私達はそこで場所を決めて別れた。別れ際に須山は「ヒゲがやられたら、俺も自首して出るよ!」と云った。それは
私は途中小さいお菓子屋に寄って、森永のキャラメルを一つ買った。それを持ってやってくると、下宿の男の子供は、近所の子供たちと一緒に自働式のお菓子の出る機械の前に立っていた。一銭を入れて、ハンドルを押すとベース・ボールの塁に球が飛んでゆく。球の入る塁によって、下の穴から出てくるお菓子がちがった。最近こんな機械が
私はポケットをジャラ/\させて、一銭銅貨を二枚下宿の子供にやった。子供は始めはちょっと手を引ッ込めたが、急に顔一杯の喜びをあらわした。察するところ、下宿の子は
私は八時までに、今日工場に起ったことを原稿にして、明日
ところが、臨時工の首切りの時に会社が一人
それが今日工場で可なり話題になったので、私は明日工場に入れるビラにこの
私は「やア、何アに、少しですよ。」と、おばさんに云って、云ってしまってから赤くなっていた。どうも駄目だ。
原稿用紙で精々二枚か二枚半の分量のものだったが、昼の仕事をやって来てから書くのでは、楽な仕事ではなかった。十円の手当のバク露のことをようやく書き終ると、もう七時を過ぎていた。私はその間何べんも
八時に会う場所は表の電車路を一つ裏道に入った町工場の沢山並んでいるところだった。それで路には商店の人たちや髪の前だけを延ばした職工が多かった。私は自分の出掛けて行く処によって、出来るだけ服装をそこに適応するように心掛けた。充分なことは出来なかったが、それは可なり大切なことなのだ。私達はいずれにしろ、不審
真直ぐの道の向うを、右肩を振る癖のあるSのやってくるのが見えた。彼は私を認めると、一寸ショー・ウインドーに寄って、それから何気ないように小路を曲がって行った。私はその後を同じように曲がり、それからモウ一つ折れた通りで肩を並らべて歩き出した。
Sは私から一昨日入ったビラの工場内での模様を聞いた。色んな点を聞いてから、
「問題の取り上げは、
と云った。
私はびっくりして、Sの顔を見た。成る程と思った。私はビラの評判の良さに喜んで、それを今度は一段と高いところから見ることを忘れていたのだ。
「だから、つまりみんなの自然発生的な気持に我々までが
ビラは今迄に沢山出されてきた公式的な抽象的な戦争反対のビラの持っている欠点を埋めようとして、今度は逆に問題を経済的な要求の限度にとゞめてしまう誤りを犯していると云った。得てそういう右翼的偏向は、大衆追随をしているので一応評判が良いものだ。従って「評判が良い」という事も、矢張り慎重に考察してみる必要がある、私達は歩きながら、そういう事について話した。
「気をつけるというので、今度は木と竹を継いだようになったら何んにもならない。逆戻りだ! 今迄僕等は眼隠しされた馬みたいに、もの事の片面、片面しか見て来なかったんだ。」
私たちはしばらく歩いてから、喫茶店に入った。
「ラヴ・レターをあげるよ。」
私はそう云って原稿をテーブルの下の棚に置いた。――Sはクン、クンと鼻歌をうたいながら、ウエーターを注意しいしい、それをポケットへねじ込んだ。彼は、そして、
「君の方からヒゲ(と云って、鼻の下を抑えて見せて、)につかないかな?」と
私は工場の帰り須山から聞いたことを話した。Sはワザと鼻歌をクン/\させながら、しかし眼に注意を集めて聞いていた。それが癖だった。
「僕の方も昨日六時にあったが切れたんだ。」
私はそれを聞くと、胸騒ぎがした。
「やられたんだろうか……?」
と私は云った。が実は、いや大丈夫だと云われたいことを予想していた。
「ふむ、――」
Sは考えていたが、「用心深い奴だったからな。」と云った。
私達はどっちからでもヒゲにつく方からつけることにし、それから次の朝のビラ持ち込みの打ち合せをして別れた。
九時、須山に会うと、私はその顔色を見ただけで分った。
私達は自分のアジト附近での連絡でなかったら、九時半過ぎには一切の用事をしないことにしている。途中が危険だからである。――私は須山とも別れ、独りになり帰ってくると、ヒゲのことが自分でも意外な深さで胸に喰い込んでいることを知った。私は何んだか歩くのに妙な心もとなさを覚えた。
下宿には太田が待っていた。――私は自分のアジトを誰にも知らせないことにしていたが、
太田は明日入れるビラについて来ていた。それで私はさっきSと打ち合せてきたことを云い、明朝七時T駅の省線プラットフォームに行って貰うことにした。そこへSがやって来て、ビラを手渡すことになっていた。
急ぎの用事を済ましてから、私達は少し雑談をした。「雑談でもしようか」ニコ/\そう云い出すと、「得意のやつが始まったな!」と太田が笑った。用事を片付けてしまうと、私は
太田は「雑談」をすると云って、工場の色々な女工さんの品さだめをやって帰って行った。彼は何時の間にか、沢山の女工のことを知っているのに驚いた。
「女工の
そんなことを云った。
「直接且つ具体的」というのが
二
一度ハッキリと「党」の署名の入ったビラが
戦争が始まって若い工場の労働者がドン/\出征して行った。そして他方では軍需品製造の仕事が急激に高まった。このギャップを埋めるために、どの工場でも多量な労働者の雇入を始めなければならなかった。
黒い着物はどうでもよかったが、私には待ち伏せしている背広だった。私の写真は各警察に廻っている。私は
そんな状態で、私は敵の前に我と我身の危険を
次の朝、衣服箱を開けると、ビラが入っている! 波のような感情が瞬間サッと身体を突走ってゆく。職場に入って行くと、隣りの女がビラを読んでいた。小学生のように一字一字を拾って、分らない字の所にくると頭に小指を入れて
「これ本当!」
と
私は、本当も本当、大本当だろうと云った。女は、すると、
「
と云った。
工場では私は「それらしい人間」として浮き上がっている。私はビラの入る入らないに
仕事まで時間が少し
「ビラを持っているものは出してくれ!」
みんなは無意識にビラを隠した。
「隠すと、かえって
オヤジは私の隣りの女に、
「お前、さ、出しな。」
と云った。
女は
「こんな危いものをそんなに大切に持ってる奴があるか!」と、オヤジが苦笑した。
「でも、会社は随分ヒドイことをしてるんだね、おじさん!」
「それだ――それだからビラが悪いって云うんだよ!」
「そう? じゃやめる時、本当に十円出すの?」
オヤジは詰って、
「そんなこと知るもんか。会社に聞いてみろ!」
と云った。
「
女のその言葉で、職場のものはみんな笑い出した。
「よオ/\、しっかり!」
誰かそんなことを云った。
オヤジは急に真ッ赤になり、せわしく鼻をこすり、
その日、仕事が始まってから一時間もしないとき、私は太田が工場からやられて行ったという事を聞いた。ビラを持って入ったことが分ったらしい。
太田は――何より私のアジトを知っている!
彼は前に、事があったら三日間だけは頑張ると云っていた。三日間とは
私の知っている
それにしても、私は矢張りアジトは誰にも知らせない方がよかった。
たゞ良かったことは、須山と伊藤ヨシのことを太田が知っていなかったことだ。私は仕事をうまく運ぶために彼に、二人が我々の信用していい仲間であることを知らせようと思ったことがあった。
工場の帰りに私は須山と伊藤ヨシと一緒になり、緊急に「しるこ屋」で相談した。その結果、私は直ちに(今夜のうちに)下宿を移ること、工場は様子がハッキリする迄休むこと、残った同志との連絡をヨリ緊密にし、二段三段の構えをとることに決まった。「今日はまだ大丈夫だろう」とか、「まさかそんな事はあるまい」というので今迄に失敗した沢山の同志がある。以上の三つの事項は「工場細胞」の決定として私が必ず実行することに申し合わせた。そして伊藤と須山は
須山は[#「 須山は」は底本では「須山は」]何時もの彼の癖で、何を考えたのか神田伯山の話を知っているかと私に訊いた。私は笑って、又始まったなと云った。彼の話によると、神田伯山は何時でも腹巻きに現金で百円はどんな事があろうと手つかずに(死ぬ迄)持っていたというのである。それは彼が、人間は何時どんな処で災難に打ち当らないものとは限らない、その時金を持っていないばかりに男として飛んでもない恥を受けたら大変だと考えていたからだそうである。
「同じことだ、金が無くて充分の身動きが出来ないために捕かまったとなれば、それは階級的裏切だからな!」
そう云って、彼は「我々は彼等の経験からも教訓を引き出すことを学ばなくてはならないんだ」と、つけ加えた。私と伊藤は、そういうことを色々と知っている須山の頭は「スクラップ・ブック(切抜帖)」みたいだというので笑った。
私は実にウカツに私の下宿に入る小路の角を曲がった。だが本当はウカツでもなんでもなかったのだろう。私は第一こんなに早く太田が私の
私には今
「S町まで二十銭。」
と云った。
その時フト気付いたのだが、私は工場からの帰りそのまゝだったので、およそ円タクには不調和な服装をしていた。――私は円タクの中で考えてみた。が、矢張り見当がつかない。私は
成るべく隅の方へ腰を下して、膝の上に両手を置いた。それから気付かれないように電車の中を一通り見渡してみた。幸いにも「変な奴」はいない。私の隣りでは銀行員らしい洋服が「東京朝日」を読んでいた。見ると、その第二面の中段に「倉田工業の赤い分子検挙」という見出しのあるのに気付いた。何べんも眼をやったが、本文は読めなかった。――それにしても、電車というものののろさを私は初めて感じた。それは居ても立ってもいられない気持だ。
用心のために停留所を二つ手前で降り、小路に入って二三度折れ曲がり、女のところへ行った。初めてではあり、それに小路に入ったりしたので少し迷った。店先にはお
「さア、出て行きましたよ」
私は、ハタと困ってしまった。
夜店のある通りに出て本を読んでみたり、インチキ碁の前に立ってみたり、それから喫茶店に入って、二時間という時間をようやくつぶして戻ってきた。角を曲がると、三階の窓が明るくなっていた。
私は笠原に簡単に事情を話して、
「こゝは、どうだろう……?」
私は思いきって云い出したが、自分で赤くなり、
「…………!」
笠原は私の顔を急に大きな(大きくなった)眼で見はり、
しばらくして彼女は覚悟を決め、下へ降りて行った。S町にいる兄が来たので、泊って行くからとことわって来た。だが、兄というのはどう考えても
そういう風に話が決まると、二人とも何んだか急にぎこちなくなり、話が
「君何時に寝るんだい?」
と訊いてみた。
すると「大抵今頃……」と云った。
「じゃ寝ようか。僕の仕事も一段落付いたから。」
私は立ち上がって、あくびをした。
私は今迄(自分の家を飛び出してから)色々な処を転々として歩いたので、こういう寝方には慣れていたし、直ぐ眠れた。然し女のところは初めてだった。さすがに寝つきが悪かった。私はウト/\すると夢を見て
それでも私は少しは寝たのだろう。眼をさますと、笠原の床はちゃんと上げられて、彼女は炊事で下に降りているのか、見えなかった。しばらくして、笠原は下から階段をきしませて上がってきた。そして「眠れた?」と
下宿は笠原の出勤時間に一緒に出た。下のおばアさんは台所にいたが、その時手を休めて私の後を見送った。
外に出るや否や、笠原は
「あ――あ――」
と、大きな声を出した。それから「クソばゞア!」と、そッとつけ加えた。
三
その夜Sに会ったとき、昨夜のことを話すと、そいつは悪いと行って、間借の金を支度してくれた。私は家を見付けて置いたので、須山と伊藤に道具を
下宿はどっちかと
須山や伊藤から荷物を一通り集めて、ようやく落付くと私はホッとした。たゞ下の室に同宿の人がいるのが欠点だった。それで、第一にその人がどんな人か知る必要があった。私は便所へ降りて行った。同宿の人の室の障子が開いて居り、その人はいなかった。私は何より本箱に眼をやった。これは私が新しい下宿に行って、同宿のある時に取る第一の手段だった。本箱を見ると、その人が一体どういう人か
僕たちの仲間で、折角移ってきたところが、その下宿の主人が警察に勤めている人であったという例が沢山ある。が、下宿の主人の商売がすぐ分るのはよい方で時には一カ月も分らないまゝでいることさえある。「ご主人は何商売ですか」というこの単純な問いも、こっちがこっちだけに、仲々淡白には
私はおばさんにお湯屋の場所をきいて、外へ出た。第二段の調査のためである。まず毎日出入りする道に当る家並の門礼を、
二階の私の室の窓は直ぐ「物干台」に続いていた。そして隣りの家の物干までには、一またぎでそこからは
聞いてみると法律事務所へ通っている事務員、三味線のお師匠さん、その二階の株屋の番頭さん、派出婦人会、其他七八軒の会社員、ピアノを備えつけている此の辺での金持の家などだった。下宿を決めた夜のうちに、隣近所のことがこれだけ分ったということは大成功である。
たゞ、
仕事は直ぐ立ち直った。太田のあとは伊藤ヨシが最近メキ/\と積極的になったので、それを補充することにした。弾圧の強襲が吹き
彼女は人の意見をよく聞く
私は倉田工業の他に「地方委員会」の仕事もしていたし、ヒゲのやられたことが
工場にいたときは、工場のなかの毎日々々の「動き」が分り、それは直ぐ次の日のビラに反映させることが出来た。今その仕事は須山と伊藤が責任を引き受けてやっている。最初私は工場から離れた結果を恐れた。ところが、須山たちと密接な組織的
私がまず気付いたことは、八百人もいる工場で、四五人の細胞だけが懸命に(それは全く懸命に!)活動しようとしている傾向だった。それは勿論四五人であろうと、細胞の懸命な活動がなかったら、工場全体を動かすことの出来ないのは当然であるが、その四五人が懸命に働いて工場全体を動かすためには、工場の中の大衆的な組織と結合すること(或いはそういうものを作り、その中で働くこと)を具体的に問題にしなければならない。そのための実際の計画を考顧しなかったなら、矢張りこの四五人の、それだけで少しも発展性のない、
殊に倉田工業が毒
二三日して須山と街頭を取っていると、向うから須山が奇妙な手の振り方をしてやってきた。彼は何かあると、よくそんな
「太田からレポがあったんだ!」と云う。
私は、道理で、と思った。
レポは中で頼まれたと云って、不良が持ってきた。倉田工業から電車路に出ると、その一帯は「
それによると、私が非常に追及されていること、ロイド
「反対に、太田が何もかもしゃべったから、俺が追及されているんだ。」
と云った。
「そうだよ、君がロイドの眼鏡をかけているかいないかは、パイの奴が君だと分って君と顔をつき合せない以上分らないことじゃないか――」
と、須山も笑った。
それで私達は太田のレポは自分のやったことを合理化するために書かれているということになった。そんなことよりも、私達は太田が警察でどういうことを、どの程度まで陳述しているかということが知りたいのだ。それによって、私達は即刻にも対策をたてなければならぬではないか。私は、太田はこのようではキット早く出てくるが、こういう態度の奴は一番気をつけなければならぬ、と思った。
然し工場では、働いているところから太田が引張られたゞけ、それは
太田などは、自分の心変りや卑屈さが、自分だけのことゝ考えてるのだろう。だが、それは沢山の労働者の上に大きな暗いかげを与えるものだと云うことを知らないのだ。彼奴は個人主義者で、敗北主義者で、そして裏切者だ。彼はそれに未だ警察に知れていない私の部署、その後の私の行動に就いてもしゃべっているのだ。とすれば、私がこれから倉田工業の仲間たちと仕事をして行くことは十倍も困難になってくるわけである。――私達はこうして、敵のパイ共からばかりでなく、味方うちの「腐った分子」によっても、十字火を浴びせられる。その日交通費もあまり充分でなかったので、歩いて帰った。途中私の神経は異常に鋭敏になっていた。会う男毎にそれがスパイであるように見えた。私は何べんも後を振りかえった。太田の「申上げ」によって、彼奴等は私を捕かもうとして、この地区を厳重に見張りしていることは考えられるのだ。ヒゲの話によると、(前に話したことがあった)彼奴等は私達一人を捕かむと五十円から貰えるということだ。彼奴等はそのエサに
私達は退路というものを持っていない。私たちの全生涯はたゞ仕事にのみうずめられているのだ。それは合法的な生活をしているものとはちがう。そこへもってきて、このような裏切的な行為だ。私たちはそれに対しては全身の憤怒と憎悪を感じる。今では我々は私的生活というべきものを持っていないのだから、全生涯的感情をもって(
私はムッとしていたらしい。下宿の出入りには、おばさんに何時もちアんと言葉をかけることになっていながら、私はそれも忘れ、二階に上がってしまった。
私は机の前に坐ると、
「畜生!」
と云った。
その後、私は笠原と急に親しくなった。私は自分でも妙なものだと思った。彼女は頼んだ用事を何くれとなく、きちんと足してくれた。太田の裏切から私は最近別な地区に移ることに決めたが、自分で家を探がして歩くわけにも行かなかったので、それを笠原に頼んだ。それと同時に私は笠原と一緒になることを考えてみた。非合法の仕事を確実に、永くやって行くためにも、それは都合がよかったのだ。
下宿に男が一人でいて、それが何処にも勤めていなくて、しかも毎夜(夜になると)外出する――これこそ、それと疑われる要素を完全に
笠原は会社に勤めているので、朝一定の時間に出る。そうなれば私がブラ/\しているように見えても、細君の給料で生活しているということになる。世間は一定の勤めをもっている人しか信用しないのだ。――それで私は笠原に、一緒になってくれるかどうかを
その次に会うと、笠原は私の前に今迄になくチョコナンと坐っているように見えた。それは
私達は色々と用事の話をした。その話が途切れると、女はモジ/\した。二人ともこの前の話を避け、それを後へ後へと残して行った。用事が済んでから、私はとう/\云った。――彼女は自分の決心をきめて来ていたのだった。
私と笠原はその後直ぐ一緒に新しい下宿に移った。そこは倉田工業から少し離れていたが、須山や伊藤は電車でも歩ける「身分」なので、こっちへ出掛けて来てもらった。それで交通費を節約し、道中の危険を少なくすることが出来た。
四
須山はそっちの方に用事があると、時々私の母親のところへ寄った。そして私の元気なことを云い、又母親のことを私に伝えてくれた。
私は自分の家を出るときには、それが突然だったので、一人の母親にもその事情を
「冗談も休み休みに云うもんだ。」
と、冗談のように云いながら、
私はヒゲから有り金の五円を借り、友達の夫婦の家に転げ込んだ。――ところが、次の朝やっぱり私の家へ本庁とS署のスパイが四人、私をつかむためにやってきたそうである。何も知らない母親は
私はそのまゝ帰らなかったのである。それで須山が私の消息を持って訪ねて行ったときは、あたかも自分の息子でも帰ってきたかのように家のなかにあげ、お茶を出して、そしてまずまじまじと顔を見た。それには弱ったと須山は頭を
私の母親は、
私は今迄母親にはつら過ぎたかも知れなかったが、結局は私の
須山が帰るときに、母親は
その後須山が私の家に寄るときに、私は四年でも五年でも帰られないことをハッキリ云ってもらうことにした。そして私を帰られないようにしているのは、私が運動をしているからではなくて、金持ちの手先の警察なのだから、私をうらむのではなくて、この
須山によると、私の母はそれを黙って聞いていたそうである。そしてそれとは別に、自分は今六十だし、病気でもすれば今日明日にも死ぬかも知れないが、そんな時は
「オラそんなこと云えないや!」
と、須山が困った顔をした。
私はこれらのことが母親には残酷であるとは思わぬでもなかったが、然し仕方のないことであるし、それらすべての事によって、母の心に支配階級に対する全生涯的憎悪を(母の一生は事実全くそうであった)抱かせるためにも必要だと考えた。それで私は念を押して、私が母の死目に会わないようなことがあるのも、それはみんな支配階級がそうさせているのだということを繰りかえすことを頼んだ。――だが、さすがにその日私は須山と会う時には、胸が騒いだ。
「どうだった?」
と訊いた。
「こう云ってたよ――」
私の母はこの頃少し
私はフト「
「それは分るが、君の居所を知らせるわけでなし、一度位
実際に私の母親の様子を見てきた須山は、それにつまされていた。
「が、それでなくても彼奴等は俺を探がしているのだから、万一のことがあるとな。」
が、とう/\須山に説き伏せられた。充分に気をつけることにして、何時も私達の使わない地区の場所を決め、自動車で須山に連れて来てもらうことにした。時間に、私はその小さい料理屋へ出掛けて行った。母親はテーブルの向う側に、その
私たちはそんなにしゃべらなかった。母はテーブルの下から風呂敷包みを取って、バナヽとビワと、それに又「うで卵」を出した。須山は直ぐ帰った。その時母は無理矢理に卵とバナヽを彼の手に握らしてやった。
少し時間が経つと、母も少しずつしゃべり出した。
「家にいたときよりも、顔が少し肥えたようで安心だ」と云った。母はこの頃では
母は又茨城にいる娘の夫が、これから何んとか面倒を見てくれるそうだから安心してやったらいゝと云った。話がそんなことになったので、私は今迄須山を通して伝えてもらっていた事を、私の口から改めて話した。「分ってる」と、母は少し笑って云った。
私はそれを中途で気付いたのだが、母親は何んだか落着かなかった。何処か浮腰で話も
母は帰りがけに、自分は今六十だが八十まで、これから二十年生きる
外へ出ると、母は私の後から、もう
「どうもお前の肩にくせがある……」
と云った。「知っている人なら後からでも直ぐお前と分る。肩を振らないように歩く癖をつけないとね……」
「あ、みんなにそう云われてるんだよ。」
「そうだろう。直ぐ分る!」
母は別れるまで、独り言のように、何べんも「直ぐ分る」を云っていた。
私はこれで今迄に残されていた最後の個人的生活の退路――肉親との関係を断ち切ってしまった。これから何年目かに来る新しい世の中にならない限り(私たちはそのために闘っているのだが)、私は母と一緒に暮すことがないだろう。
その頃ヒゲからレポが入った。
ヒゲは始めT署に五日ばかりいて、それからK署に廻わされ、そこで二十九日つけられた。須山や伊藤たちの出入りしているTのところへ、彼と
それを見て、私は須山や伊藤は、自分たちは「焦ったり」「馬車馬式」になったりするほどにさえも仕事をしていないことを恥じた。
ヒゲの
「これで太田の時の
私たちは、どんな裏切者が出たり、どんな
ヒゲは普段口癖のように、敵の
「ヨシ公はシャヴァロフって知ってるか?」
と、須山が云った。
「マルクス主義の道さ。」
「又
「シャヴァロフは[#「「シャヴァロフは」は底本では「 「シャヴァロフは」]つかまったとき、七カ月間一言もしゃべらないでがん張ったそうだ。そして
それを聞くと、伊藤は、
「ところが、この前プロレタリアの芝居にもなったことのある私達の女の同志は、ちゃんと向うに分っている自分の名前や本籍さえも云わないで、最後まで頑張り通して出てきたの。――シャヴァロフ以上よ!」
と云った。
彼女はそれを自分のことのようにいった。須山はそれで
そこで、私達は、「一平凡人として」敵の
その後にTに入ったレポによると、ヒゲは更にK署からO署にタライ廻しにされ、そこで三日間朝から夜まで
伊藤はそのレポを見ると、「まッ憎らしいわねえ!」と云った、彼女も二度ほど警察で、ズロースまで脱ぎとられて真ッ裸にされ、竹刀の先きでコヅキ廻わされたことがあったのだ。
これらの同志の英雄的闘争は、私達を引きしめた。私はどうしても明日までやってしまわなければならない仕事が眠いために出来なく、寝ようと思う、そんなときに
五
伊藤は臨時工のなかに八九人の仲間を作った。――倉田工業では六百人の臨時工を
女たちは工場の帰りには腹がペコ/\だった。伊藤や辻や佐々木たちは(辻や佐々木は仲間のうちでも一番素質がよかった)皆を誘って「しるこ屋」や「そばや」によった。一日の立ちずくめの仕事でクタ/\になっているみんなは
伊藤たちは次のようにやっていた。伊藤はみんなのなかでも、「あれ」ということになっていた。それで、しるこ屋などで伊藤は「それらしいこと」を話しても別に不自然でなかった。辻と佐々木は「サクラ」をやった。みんなと一緒になり、ワザと色々な、時には反動的なことを伊藤に持ち出して、そういうことについて話のキッカケを作らせた。それは始めのうちはお互いの調子がうまくとれないで、どまつき、同じところをグル/\めぐりをしたりした。
女工たちは集まると、話すことは誰と誰が変だとか、誰と誰がくッついたとか、くッつかぬとか、そんなことばかりだった。伊藤が連絡のとき、こんなことを私に話したことがある。――マスクにいる吉村という本工からキヌちゃんというパラシュートの女工に、「
「恋を
みんなが笑って、「本当よ!」と云った。
「それにはこんな日給じゃ仕様がないわ!」
「そう。少し時間を減らして、日給を増してもらわなかったら、恋も囁やけないと来ている!」
「実際、会社はひどいよ!」
「私んとこのオヤジね、あいつ今日こんなことを怒鳴ったの、今はどんな時だか知っているか、戦争だぞ、お前等も兵隊の一部だと思って身を粉にして働かなけアならないんだ。もう少し戦争がひどくなれば、兵隊さんと同じ位の日給でドシ/\働いてもらわなくてはならないんだ。それが国のためだって。――ハゲッちョそんなことを云ってたよ!」
これには伊藤も
私はその話を伊藤から聞き、本当だと思った。戦争が始まってから労働強化は何処でもヒドクなっているのだが、同一の労働(或いは同一以上の労働)をしているにも
伊藤は最近この連中を誘って、何か面白い芝居を見に行くことになっていた。伊藤や辻や佐々木は、皆が浅草のレヴューか片岡千恵蔵にしようと考えているので、それを「左翼劇場」にするためにサクラでアジることになっている。
私は伊藤の報告のあとでそのグループに男工をも入れること、それは須山と連絡をとってやればそんなに困難なことではなく、一人でも男工が入るようになれば又皆の意気込がちがうこと、もう一つの点はそのグループを臨時工ばかりにしないで本工を入れるようにすること、このことが最も大切なことだ、と自分の考えを云い、彼女も同意した。
それから私達は六百人の首切にそなえるために、
須山に工新の題を考えて置けと云ったら、彼は「恋のパラシュート」としてはどうだ、と鼻を動かした。
工新は「マスク」という名で出すことになった。私は今工場に出ていないので、Sからその
伊藤や須山の報告をきいていると、会社の方も刻々と対策を練っていることが分った。今では十円の手当のことや、首切りのことについては不気味なほど何も云わなくなっていた。それは明かに、何か第二段の策に出ているのだ。勿論それは十円の手当を出さないことや、首切りをウマ/\とやってのけようとするための策略であることは分る。がその策略が実際にどのようなものであるかゞハッキリ分り、それを皆の前にさらけ出すのでなかったら、駄目だ。相も変らず今迄通りのことを繰りかえしているのならば、皆は我々の前から離れて行く。我々の戦術は向うのブルジョワジーのジグザッグな戦術に適確に適応して行かなければならない。私たちの今迄の失敗をみると、最初のうちは何時でも我々は敵をおびやかしている。ところが、敵が我々の一応の
さすがに伊藤はそれに気付いて「どうも此の頃変だ」と云う。然しそれが何処にあるのか判らない。
次の日須山は小さい紙片を持ってきた。
掲示
皆さんの勤勉精励によって、会社の仕事が非常に順調に運んでいることを皆さんと共に喜びたいと思います。皆さんもご承知のことゝ思いますが、戦争というものは決して兵隊さんだけでは出来るものではありません。若 しも皆さんがマスクやパラシュートや飛行船の側を作る仕事を一生懸命にやらなかったら、決して我が国は勝つことは出来ないのであります。でありますから或 いは仕事に少しのつらいことがあるとしても、我々も又戦争で敵の弾 を浴びながら闘っている兵隊さんと同じ気持と覚悟をもってやっていたゞき度 いと思うのです。
一言みなさんの覚悟をうながして置く次第であります。
皆さんの勤勉精励によって、会社の仕事が非常に順調に運んでいることを皆さんと共に喜びたいと思います。皆さんもご承知のことゝ思いますが、戦争というものは決して兵隊さんだけでは出来るものではありません。
一言みなさんの覚悟をうながして置く次第であります。
工場長
「我々の仕事は第二の段階に入った!」
と須山が云った。
工場では、六百人を最初の約束通りに仕事に一定の区切りが来たら、やめて
私と須山は、うなった。明らかにその「
須山はその本質をバク露するために、掲示を写してきたのだった。これで私たちは会社の第二段の戦術が分った。
私と須山と伊藤は毎日連絡をとった。が、連絡だけでは精密な対策が立たないので、一週に一度の予定で三人一緒に「エンコ」(坐ること)することになっていた、その家の世話は伊藤がやった。須山と伊藤は存在が合法的なのでよかったが、私が一定の場所に二時間も三時間も坐り込んでいることは可なり危険なので、細心の注意が必要だった。私は伊藤と街頭連絡で場所をきゝ、その周囲の様子をも調らべてみて安全だと分ると、彼女と須山に先に行ってもらって、私は別な道を選んで
昼のうちむれていたアスファルトから生温かい風が吹いている或る晩、私は須山と伊藤に渡す「ハタ」(機関紙)とパンフレットを持って家を出た。その夜はエンコすることになっていた。途中まで来ると、街角に巡査が二人立っていた。それからもう一つの角にくると、其処には三人立っている。これはいけないと思った。ものを持っているので、今日の会合をどうしようかと思った。そう思いながら、まだ決まらず歩いていると、交番のところにも巡査が二三人立っていて、驚いたことには
と、
巡査は私の様子をイヤな眼で
「S町はこっちだ。」
「ハ、どうも有難う御座います。」
私はその方へ歩き出した。少し行ってから何気なく振りかえってみると、私を注意した巡査は後向きになり、二人と何か話していた。畜生め! と思った。そして私は
私は万一のことを思い、とう/\家へ帰ってきた。次の朝新聞を見ると、人殺しがあったのだった。私たちはよく別な事件のために
私は常に新聞に注意し、朝出るときとか、夜出るときは、自分の出掛ける方面に何か事件が無いかどうかを調べてからにした。殊に今迄逃げ廻わっていた人殺しとか強盗が捕ったりした記事は
――私は今一緒に沈んでいるSやNなどの間で、「捕かまらない五カ年計画」の社会主義競争をやっている。それは五カ年計画が六カ年になり七カ年になればなる程、成績が優秀なので、「五カ年計画を六カ年で!」というのがスローガンである。そのためには、日常行動を偶然性に頼っていたのでは駄目なので、科学的な考顧の上に立って行動する必要があった。笠原は時々古本屋から「新青年」を買ってきて、私に読めと云う。私もどうやら時には探偵小説を、
次の日、定期の連絡に行くと、須山は私を見るや、「よかった、よかった!」と云った。彼は私が(私は約束を欠かしたことがないので)やられたものとばかり思い、実は君の顔を見るまで、悪い想像ばかりが来て弱っていたと云うのである。私は昨日の
「五カ年計画を六カ年で、じゃないか!」
と、笑った。
「それはそうだが……」
昨日私が「人殺し」の側杖をくって「エンコ」が出来なかったので、須山は今日それが出来るように用意してきていた。場所は伊藤の下宿だった。彼女はこゝ一二日のうちにそこを引き移るので、下宿を使うことにしたのである。下宿人が七八人もいるので、条件はあまり良くはなかった。私は若し小便が出たくなったら、伊藤が病気のときに買って置いた便器を使って、便所へ降りて行かないことにした。便所で同居の人に顔を合わせ、
私は二人に「そっちを見てろよ」と云って、室の隅ッこに行き、その
「臭いぞ!」
と、須山は大げさに鼻をつまんで見せた。
「キリンの
私は便器を隅の方へ押してやりながら、そんなことを云って二人を笑わせた。
倉田工業はいよ/\最後の攻勢に出ていることが分った。それは例えば伊藤の報告のうちに出ていた。伊藤と一緒に働いているパラシュートの女工が、今朝入った「マスク」の第三号を読んでいると、四五日前に新しく入ってきた男工が、いきなりそれをふんだくって、その女工を
おかしなことは、今迄何もしていなかった僚友会が此の頃少し動き出していること、第二には(それは何処から出ているのか、ハッキリは分らなかったが、)国家非常時のときでもあるし、重大な責任のある仕事を受け持っている我々は他の産業の労働者よりもモット自重し緊張しなければならない、そこで倉田工業内の軍籍関係者で在郷軍人の分会を作ろうではないかという噂さが出ていること。工場長などは賛成らしいが、それは特別に雇われた連中から出ているらしく、僚友会の一二のものがそれに助力していることは確かだった。たゞそういうことは会社が表に立ってやるのでは効果が薄いので、職工の中から自発的に出てきたという風に策略していることもハッキリしている。
「君の方はどうなんだ?」
と須山にきくと、彼は、自分の方にはまだハッキリと現われていないが、と一寸考えてから最近昼休みなどに盛んに戦争のことなどについてしゃべり廻って歩いている男がいると云った。「伊藤君の今の報告で気付いたのだが」と、彼は今迄は昼休みなどに皆の話題になるのは戦争の話だとか、景気のことなどだったが、それについては皆が何処かゝら聞いてきたことや、素朴な自分の考えやを得意になって一席弁じたてたり、又しょげ込んで話したりするのだが、気付いてみると、そういうのとはちがった、何処か計画的に、
そして我々が彼等に勝つためには、敵の勢力の正確な、科学的な認識が必要だった。今彼等は自分たちが上から従業員を無理
須山によると、工場の中で戦争のことをしゃべり廻って歩いている
僚友会の清川や熱田は、今度の戦争は結局は大資本家が新しい搾取を植民地で行うための戦争であると云って、昼休みに在郷軍人や青年団の職工などゝ議論をした。ところが清川は、たゞ今度の戦争は他の方面ではプロレタリアのために利益をもたらしている、例えば金属や化学の軍需品工場などでは人が幾ら居ても足りない盛況だし、それは
昼休みの様子をみていると、青年団の「満洲王国」の話は、何んだか夢のような、それは信じていゝのかどうか、若しも本当だとすればいゝがという程度だったが、清川たちの話には臨時工などが賛成だった。戦争に行って死んだり、不具になったり、又結局「満洲王国」と云ったところで、そんなに自分たちのためになるかどうか分ったものでない、
清川のように自分が少なくとも「労働者のための」政党である大衆党の一人であるということさえも忘れて、まるで資本家にでもなったようにその株の値段を心配してやったり、そのお
伊藤は、自分や自分たちの仲間は、皆んなの前でそんな考え方の裏を掻いて、女工たちにちゃんと納得させるという段になると、
会社では、此頃五時のところを六時まで仕事をしてくれとか、七時までにしてくれとか云って、その分に対しては別に賃銀を支払うわけでもなかった、そんなことは此頃では毎日のようになっていた。臨時工などはブツ/\云いながらも、それをしなかったりすると、後で本工に直して
そればかりでなく、最近では働く時間が十時間なら十時間と云っても、もとゝはすっかりちがっていた。本工に組み入れられるかも知れないというので、みんなの働きは見違えるほど拍車がかけられていた。前には仕事をしながら隣りと話も出来たし、キヌちゃん式に前帯に手鏡を
以上のことから、細胞として、どこに新しい闘争の力点が置かれなければならないかゞハッキリした。清川や熱田などが臨時工のなかに持っている影響を切り離すために、みんなで「労働強化反対」とか「賃銀値上げ」とか「待遇改善」などを僚友会に持ち込ませる。そうすれば彼等は、色々な理窟を並べながら、結局その闘争の先頭に立つどころか、みんなを円めこんでしまう。それを早速つかんでみんなの前で、彼奴等味方ではないということをハッキリさせる。更に私たちは細胞会議の決議として、「マスク」の
書きちらしの
「こう見てくると、向うかこッちかという決戦が段々近くなっていることが分るな!」
と須山が云った。
「そうだよ、彼奴等に勝つためには科学的に正しい方針と、そいつをどんな事があっても最後まで貫徹するという決意性があるだけだ。ファシスト連が動き出したとすれば、俺たち生命がけだぜ!」
私がそう云うと。
「我々にとって、工場は
と、須山は笑った。
「それは誰からの
「オレ自身のさ!」
――その後「地方のオル」(党地方委員会の組織部会)に出ると、官営のN軍器工場ではピストルと剣を擬した憲兵の見張りだけでは足りなく、職場々々の大切な部門には憲兵に職工服を着せて入り混らせていたという報告がされた。そこの細胞が最近検挙されたが、それは知らずに「職工の服を着た憲兵」に働きかけたゝめだった。そういう「職工」はワザと表面は意識ある様子を見せるので、危険この上もなかった。倉田工業は本来の軍需工場ではないので、まだ憲兵までにはきていないが、事態がもう少し進むと、そこまで行き兼ねないことが考えられる。
六
時計を見ると
「オヤ/\!」
と
伊藤はそれと気付いて、
「
と、立ってきた。
「伊藤は赤、青、黄と手をかえ、品をかえて、夜な夜な
と須山が笑った。
「そら、そこに三越とか松坂屋の包紙が沢山あるだろう。献上品なんだよ。幸福な御身分さ!」
工場で
「どうだい此の頃は?」
と私が云うと、須山は
「ヨシちゃんはまだか?」
私は
「何が?」
伊藤は聞きかえしたが、それと分ると、顔の表情を(瞬間だったが)少し動かしたが、
「まだ/\!」
すぐ平気になり、そう
「革命が来てからだそうだ。わが男の同志たちは結婚すると、三千年来の潜在意識から、マルキストにも
と須山が笑った。
「須山は自分のことを白状している!」
と伊藤はむしろ冷たい顔で云った。
「良き同志が見付からないんだな。」
私は伊藤を見ながら云った。
「俺じゃどうかな?」
須山はむくりと上半身を起して云った。
「過ぎてる、過ぎてる!」
私はそう云うと、
「どっちが? 俺だろう?」
と、須山がニヤ/\笑った。
「こいつ! 恐ろしく図々しい
三人が声を出して笑った。――私は自分たちの周囲を見渡してみても、伊藤と互角で一緒になれるような同志はそんなにいまいと思っている。彼女が若し本当に自分の相手を見出したとすれば、それはキット優れた同志であり、そういう二人の生活はお互の党生活を助成し合う「立派な」ものだろうと思った。――私は今迄こんなに一緒に仕事をして来ながら、伊藤をこういう問題の対象としては一度も考えたことがなかった。だが、それは
「責任を持って、良い奴を世話してやることにしよう。」
私は冗談のような調子だが、本気を含めて云った。が、伊藤はその時苦い顔を私に向けた……。
帰りは表通りに出て、円タクを拾った。自動車は近路をするらしく、しきりに暗い通りを曲がっていたが、突然
「
と訊くと、「銀座」だという。これは困ったと思った。こういうさかり場は苦手なのだ。が、そうとも云えず、私は分らないように、モット帽子を前のめりにした。だが私は銀座を何カ月見ないだろう。指を折ってみると――四カ月も見ていなかった。私は時々両側に眼をやった。私がその辺を歩いたことがあってから随分変っていた。何時の間にか私は
自動車が四丁目の
私はゾロ/\と散歩をしている無数の人たちを見たが、そう云えば、私は自分の生活に、全く散歩というものを持っていないことに気附いた。私にはブラリと外へ出るということは許されていないし、室の中にいても、うかつに窓を開けて外から私の顔を見られてはならないのだ。その点では留置場や独房にいる同志たちと少しも変らなかった。然しそれらの同志たちよりも
だが、私にはどうしてもそうしなければならぬという自覚があったからよかったが、一緒にいる笠原にはずい分そのことがこたえるらしかった。彼女は時には矢張り私と一緒に外を歩きたいと考える。が、それがどうにも出来ずにイラ/\するらしかった。それに笠原が昼の勤めを終って帰ってくる頃、何時でも行きちがいに私が外へ出た。私は昼うちにいて、夜ばかり使ったからである。それで一緒に室の中に坐るという事が
「あんたは一緒になってから一度も夜うちにいたことも、一度も散歩に出てくれたこともない!」
私はこのギャップを埋めるためには、笠原をも同じ仕事に引き入れることにあると思い、そうしようと幾度か試みた。
私は自動車を途中で降り、
「首になったわ……」
と云った。
それがあまり突然なので、私は立ったまゝだまって相手を見た。
――笠原は別に何もしていなかったのだが、商会では赤いという
私は今迄笠原の給料で間代や
私たちはテキ面に困って行った。悪いことには、それが
腹が減り、身体が疲れているのに、同じものだと少しも食欲が出なかった。
私は最後の手段をとることにきめた。その日帰ってきて、私は勇気を出し、笠原にカフェーの女給になったらどうかと云った。彼女は此頃では毎日の就職のための出歩きで疲れ、不機嫌になっていた。私の言葉をきくと、彼女は急に身体を向き直し、それから暗いイヤな顔をした。私はさすがに彼女から眼をそらした。だが、彼女はそれっきり
「仕事のためだって云うんでしょう……?」
笠原は私を見ずに、かえって落付いた低い声で云った。それから私の返事もきかずに、突然カン高い声を出した。
「女郎にでもなります!」
笠原は
だが、笠原にはそのことが矢張り身に
私はこのことをよく笠原に話した。彼女は黙ってきいていた。が、その日はそれから一言も云わずに、彼女は早く寝てしまった。
七
夜、「マスク」の原稿を書いたり、地方の「オル」に出す報告を整理したり、それに配布の方から廻ってきて、少し停滞しているパンフレットや資料を読んで遅くなったので、次の朝十時頃まで寝ていた。――私は、下に誰か訪ねてきたりするのには、自分でも驚くほど敏感だった。私はそれで「ハッ!」として眼がさめたらしい。頭をあげると、矢張り巡査だった。戸籍しらべに来ている。私はこういう時に自分が引張り出されないようにと、前から原籍や氏名などを書いて、おばさんに渡してあった。巡査は細々と、しつこく
「これにはこの前にいたところが書いてないね。」……「夫婦かね?」とか、「何時籍が入ったのか、それとも籍が入ってないのかも、これじゃハッキリしていない。」おばさんが何か云っている。「夫の方は勤めてないのか?」……「今、居るの?」――私は来たな、と思った。「今出ています。」おばさんの云うのが聞えた。私はホッとすると同時に、やっぱり有り金をたゝいて間代だけは払って置いて良かったと思った。「じゃ、後でモウ少し詳しく聞いておいて、な。」と、巡査が云って帰りかけたらしい。私はやれ/\と思って、又
私はこういう調べ方のうちに、
彼奴等は今まで何べんも党は壊滅したとか、根こそぎになったとか云ってきた。それを自分たちの持っている大きな新聞にデカ/\と取り上げて、何も知らない労働者にそのことを信じこませ、大衆から党の影響を切り離すことにムキになってきた。ところが、そんなことをデカ/\と書いた直ぐ後から、
「それア素晴しい自負だ!」と云って、その時私たちは
下宿がこんな具合だと危険この上もない。私や須山や伊藤はメーデーをめざして倉田工業を動かそうと思っている。六百人の臨時工の首切と伴って、私たちさえしっかりしていれば、その可能性は充分にあった。それを今やられたら、全く階級的裏切となるのだ。Sは
私は須山と会ってみて、「赤狩り」は何も
工場では
須山はこの問題をつかんで、「僚友会」の清川や熱田を大衆から切り離すことをしようと考えた。伊藤もそれに賛成した。労農大衆党という
総会に出てみると、驚いたことには青年団の職工も来ている。私たちが「僚友会」を重くみていたのは、そこには臨時工はホンの少ししかいなかったが、本工が多かったからである。伊藤や須山の仲間には本工が一人か二人しかいなかった。本工を獲得することの重要さが繰りかえされながら、それがなか/\困難なところから、成績が挙っていなかったのだ。「僚友会」も二三の人間をのぞけば、漠然とした考えから入っているので、それらの眼の前で清川が正しいか、須山が正しいかをハッキリと示せば、それらのものでこっちについてくる可能性が充分にあった。
「僚友会」は戦争が始まってから半年にもなると云うのに、一二度しか会合を持っていなかった。仲間のうちでもそれをブツ/\云っていた。須山はまず皆の前で、これだけの労働者や農民が戦地に引き出され、且つ日常生活でもこれだけの強行軍をやらされているときに、「僚友会」が一度も真剣に開かれなかったことは、階級的裏切りだ、というところから始めた。五六人が「異議なしだな……。」と云った。が、その連中は云ってしまってから、モジ/\している。私も須山も反動組合の「革反」の経験があるので、その「異議なしだな」と云って、モジ/\したのがよく分った。それで私は笑った。須山も笑った。が、彼は「痛た、痛た!」とほう帯の上から顔を抑えた。彼は、よく人の特徴をつかんだ真似がうまかった。
慰問金のことになると、清川は、満洲に行っている兵士は労働者や農民で、我々の仲間だ、だからプロレタリアートの連帯心として慰問金を送ることは差支えないと云った。皆は自分の爪をこすりながら、黙ってきいていた。我々の同志は工場にいたときは資本家に搾られ、戦場へ行っては、敵弾の犠牲となっている。だが、この我々の同志を守るものは我々しかない、だから我々は慰問金の募集に応じて差支えない――清川の説に、今度は皆はもっともらしくうなずいた。
見ていると、伊藤は困ったように眉をしかめていたが、
「そうだろうか――?」
と云った。
僚友会には女工が十四五人いたが、会に出てくるものは二人位しかいなかった。それを伊藤が誘い合わせたので、六人ほど出ていた。僚友会としてはめずらしいことだった。――ところが僚友会で女が発言したことは
「清川さんの話を聞いていると、もっともらしいが何んだか陸軍大臣の訓辞をきいているようで……」
皆はドッと笑った。
「清川さんでも誰でも、今度の戦争が私たちのためでなくて、結局は矢張り資本家のためにやられているということは分りきっている。
伊藤がそう云うと、青年団の職工が突然口を入れて妨害し出した。それで、須山が割って入った。彼は清川の言葉をそのまゝ使って、「我々労働者は工場にいるときは搾られ、資本家の用事がなくなれば勝手に街頭に放り出され、戦争になれば一番先きに引ッ張り出される。どの場合でもみんな資本家のためばかりに犠牲にされている。――だから、
そういうと、皆は又それもそうだというような顔をした。
「慰問金を我々に出させるのは、彼奴等は戦争は自分たちのためにやられているのではなくて、国民みんなのためにやられているのだと思いこませるためのカラクリなのだ。」
すると、伊藤は須山のあとを取って、「赤い慰問袋」の話をしたり、戦争になってから少しも自分たちが生活が楽にならなかったことなどを話した。そうなると清川たちはモウ太刀打ちは出来ないのだ。清川は僚友会の「おん大」の貫禄を[#「貫禄を」は底本では「貫録を」]みんなの前で下げてしまった。青年団の職工だって、駄目なのだ。だが、こういう社会ファシストの本体というのは本当の芝居を大衆の前ではなくて
その会合の帰り、青年団の奴が二三人で、
「お前は虎だな!」と云って、「一寸来い!」
と云うのだ。そして小路へ入るなり、いきなり寄ってたかって殴ぐりつけた。
「三人じゃ、俺も意気地なくのびてしまったよ!」
と須山は笑った。
須山は直ぐ伊藤を通じて、昨日集まった僚友会のメンバーに、この
須山に会ってから一時間して、伊藤と会うと、慰問金のことでどうして殴り合いになったかと皆んなが興味をもってきくので、殴ぐり合のことを話しているうちに慰問金の本当の意味のことが話せて都合が良かったと、喜んでいた。――慰問金のことを充分に皆に分らせることが出来なかったと思って心配したのだが、皆は理窟より前に、この仕事のつらさにもってきて、その上又金まで取られたら、「くたばるばかりだ」と云うので、案外にも募集は不成功に終った。工場の様子では、殴ぐられてから須山の信用が急に高くなった。職工たちはそういうことだと、
「今度の慰問金の募集は、どうも会社が職工のなかの赤に見当をつけるために、ワザとやったようなところがある……?」
私は確かにそうだ、と云った。
すると彼女は、
「少し乗せられた――」
と云った。
私は、
「それは違う!」と云った――「俺たちはその代り、何十人という職工の前に、誰が正しいかということを示すことが出来たんだ。それと同時に、僚友会のなかに我々の影響下を作れるし、それを放って置くのではなしに、組織的に確保したら素晴しい成果を挙げ得たことになる。少しの犠牲もなしに仕事は出来ない。これらは最後の決定的瞬間にキット役に立つ。」
伊藤は、急に顔を赤くして、
「分ったわ! そうねえ。――分ったわ!」
と云って、それが特徴である考え深い
私は冗談を云った。
「最後に笑うものは本当に笑うものだから、今のうちに須山に渋顔をしていて貰うさ!」
伊藤も笑った。
彼女はそれから自分たちのグループを築地小劇場の芝居を見に連れて行ったことを話した。どの女工も芝居と云えば歌舞伎(自分では見たことが無かったが)か水谷八重子しか知らないのに、労働者だとか女工だとかゞ出てきて、「騒ぎ廻わる」ので
「あたし女工ッて云われると、とッても恥かしいのよ。ところが、あの芝居では女工ッてのを鼻にかけてるでしょう。ウソだと思ったわ。」
そんなことを云った。が、それでも考え/\、「ストライキにでもなったら、ウンと威張ってやるけれど、隣近所の人に女工ッて云うのは矢張り恥かしいわ!」
みんなに、何時かもう一度行こうか、ときくと、行こうというのが多いそうだ。それはあの芝居を見ると、うちの(うちのというのは、自分の工場のことである!)おやじとよく似た奴がウンといじめられるところがあるからだという理由だった。
伊藤が、何気ないように、どうせ俺ら首になるんだ、おとなしくしていれば手当も当らないから、あの芝居みたいに皆で一緒になって、ストライキでもやって、おやじをトッちめてやろうかと云うと、みんなはニヤ/\して、
「ウン……」と云う。そしてお互いを見廻しながら、「やったら、面白いわねえ!」と、おやじのとッちめ方をキャッ/\と話し合う。それを聞いていると、築地の芝居と同じような
伊藤の影響力で、今迄のこの仲間に三人ほど僚友会の女工が入ってきた。それらは大ッぴらな労働組合の空気を少しでも吸っているので、伊藤たちが普段からあまりしゃべらない事にしてある言葉を、平気でドシ/\使った。それが仲間との間に少しの間隙を作った。それと共に、それらの女工はどこか「すれ」ていた。「運動」のことが分っているという態度が出ていた。――伊藤はその間のそりを合わせるために、今色々な機会を作っていた。「小説のようにはうまく行かない」と笑った。
私たちは「エンコ」する日を決め、伊藤が場所を見付けてくれることにした。
「あんた未だなす?」
伊藤が立ち上がりながら、そう訊いた。
「あ。」
と云って、私は笑った、「お蔭様で、
伊藤は一寸帯の間に手をやると、小さく四角に畳んだ紙片を出した。私はレポかと思って、相手の顔を見て、ポケットに入れた。
下宿に帰って、それを出してみると、薄いチリ紙に包んだ五円札だった。
八
笠原は小さい喫茶店に入ることになった。入ると決まるとさすがに
笠原は始め下宿から
「――?」
私は笠原の顔を見て、――足に触って見た。膝頭やくるぶしが分らないほど
「一日じゅう立っているッて、つらいものね。」
と云った。
私は伊藤から聞いたことのある紡績工場のことを話した。「
「本当に!」と云った。
私は久し振りに自分の
笠原はその後、喫茶店に泊りこむことになった。その経営者は女で、誰かの
「いゝ
笠原は二階の方に注意しながら、私の恰好を見て、声をのんで笑った。
然し笠原の雰囲気はこの上もなく悪い。女主人の生活もそうだし、女のいる喫茶店にはたゞお茶をのんで帰ってゆくという客ではなく、女を相手に馬鹿話をしてゆく連中が多かった。それに一々調子を合わせて行かなければならない。それらが笠原の心に
だん/\私には、交通費や飯にありつくために出掛けることさえ余裕なくなり、その喫茶店には三日に一度、一週間に一度、十日に一度という風に数少なくなって行った。「地方」「地区」それに「工細」と仕事が重なって居り、一日に十二三回の連絡さえあることがあった。そんな時は朝の九時頃出ると、夜の十時頃までかゝった。下宿に帰ってくると首筋の肉が棒のように
私にはちょんびりもの個人生活も残らなくなった。今では季節々々さえ、党生活のなかの一部でしかなくなった。四季の草花の眺めや青空や雨も、それは独立したものとして映らない。私は雨が降れば喜ぶ。然しそれは連絡に出掛けるのに
これらは意識しないで、そうなっていた。置かれている生活が知らずにそうさせたのである。もと、警察に追及されない前は、プロレタリアートの解放のために全身を
一日を廿八時間に働くということが、私には始めよくは分らなかったが、然し一日に十二三回も連絡を取らなければならないようになった時、私はその意味を
倉田工業は、臨時工の若干を本工に直すかも知れないという
事実「僚友会」で乱闘をやってから、須山は極度に危くなっていた。須山は今日やられるか、明日やられるかを覚悟して、毎日工場に出ていた。工場なので、仕事をしているときに「
月末が近づいた。会社はこの三十日か三十一日に首切りをやるらしかった。本工に直すと云っても、まだそれが少しも具体化していないので、皆はようやく疑いをかけてきた。「マスク」で、このやり方がギマンであって、それによって一方では仕事の能率を高め、他方ではみんなの反抗を押しとゞめるためであることを書いたが、その意味がジカに分りかけていた。臨時工が重なので、首切りが発表されてからでは団結力が落ちる。この二三日に事を決めなければならなかった。
私たちはビラやニュースで、戦争に反対しなければならないことをアッピールしてきたが、彼等が一度その首切りのことで立ち上ったら、それはレーニンの言い草ではないが、何故戦争に反抗しなければならないかを「お
私は最後の
それは伊藤や須山の影響下のメンバー、新しい細胞に各職場を分担させて
ところが、須山には最近やられるらしい危険性がある。伊藤からの報告だったが、ケイサツの私服が事務所のなかゝら一二度出て行くのを見ているし、須山のいる第二工場の入口でよくおやじと立話していた。それがこの一二日なのである。太田がやられてからも、党のビラが二度、「マスク」が二度も入っている。向うが須山をにらんでいることは最早疑うことは出来なかった。それに「共産党」と云えば、何処か知れない「
最後を闘うためには、仮りに須山がいないとしてもそれは他の誰かゞやらなければならない任務だったのだ。陰謀的な仕方ばかりでは、大衆的動員は行われない。見えない組織をクモの巣のようにのばして置いて、そこへ公然たる
その最後の対策をたてるために、私たちはエンコすることになった。この案はそこに出され、決められるのだったが――然し須山のことを考えると、私はさすがに心がしめつけられた。党のビラを撒いたとなれば、闘争経歴にもよるが、二三年から四五年の懲役を覚悟しなければならないのだ。
だが、会合の場所に行くまで、私の頭にあの突拍子もない
場所は今まで三度位使ったことのある須山の昔の遊び(飲み)友達の家だった。足元の見えない土間で下駄を脱ぎ、それを懐に入れて、二階に上がって行くと、斜めに光が落ちて来て、須山の顔がのぞいた。
伊藤は壁に
「同志伊藤は今男の本工を一人オルグしてのお帰りなんで――」
と、須山は又すぐ茶目て、伊藤の顔を指さした。
そんな時は何時もの伊藤で、黙っていた。が、彼女は
会が始まってから、私は何時もやることになっている須山の報告に特に注意した。彼はこの前の細胞会議の決定にもとづいて、職場々々に集会を持たせるように手配したが、工場の様子を見ていると、こゝ二三日が決定的瞬間らしく、そのためには今至急何んとかしなければならないと云った。
伊藤はそれにつけ加えて、前に私に報告してある
見解は一致していた。だから問題はその決定的な闘争をどんな形で持ち込むかにあった。――須山は考えていたが、「こゝまで準備は整っているし、みんなの意気も上がっているのだから、あとは大衆的
と云った。それから一寸言葉を切って、
「この一気が、一気になるか二気になるかで、勝ち負けが決まるんじゃないかな……?」
「そ。あとは点火夫だけが必要なのよ――八百人のために!」
伊藤はめずらしく顔に興奮の色を出した。
「俺、最近――と云っても、この二三日なんだか、少しジレ/\してるんだ。今迄色々な
須山は私の顔を見て云った。
「誰かが大衆の前で公然とやらかさないと、闘いにならないと思うんだ。量から質への転換だからな。――俺、それは極左的でないと思うんだが、どうだろう?」
須山は、誰かゞそれを「極左的だ」と云ったかのように、それに力をこめて云った。
私は「
――私は、それを極左的だというのは、
私はそこで、私の案を持ち出した。瞬間、抑えられたような緊張がきた。が、それは極く短い瞬間だった。
「俺もそうだと思う……」
須山はさすがにこわばった声で、最初に沈黙を破った。
私は須山を見た。――と、彼は、
「それは当然俺がやらなけアならない。」
と云った。
私はそれに
伊藤は身体をこッちりと固くして、須山と私、私と須山と眼だけで見ていた。――私が伊藤の方を向くと、彼女は口の中の低い声で、「異議、な、し、――」と云った。
見ると、須山は自分でも知らずに、
それが決まった時、フト短い静まりが占めた。すると今迄気付かずにいた表通りを通る人達のゾロ/\した足音と、しきりなしに叫んでいる夜店のテキヤの大きな声が急に耳に入ってきた。
それから具体的なことに入った。――最近ビラや工新の「マスク」が、女の身体検査がルーズなために女工の手で工場に入っていると見当をつけて、女工の身体検査が急に厳重になり出している。それで当日は伊藤が全責任を持ち、両
会合が終ると、今迄抑えていた感情が急に胸一杯にきた。
「永い間のお別れだな……!」
と私が須山に云った。
すると、彼は、
「俺の友達にこんなのがある」と云った、「仲の良い二人の友達なんだが、一人は三・一五で三年やられたんだ。ところがモウ一人は次の年の四・一六で四年やられた。三・一五の奴が出てきて、昨年の一二月又やられ、三年になった。そいつは四・一六の奴の出てくるのを楽しみにしていたんだ。それで監獄に入るときに
そして、「これは俺の最後の
私と伊藤は――思わず
「どんなことがあったって、こゝの組織さえがッちりと残っていれば、闘争は根をもって続けられて行くんだから、君だけはつかまらないようにしてくれ。――君がつかまったら、俺のしたことまでもフイで、犬死になるんだからな!」
と、須山が云った。
私たちは今日の決定通りに準備をすゝめ、二十六日の夜モウ一度会うことにして、
「じア……」と立ち上がった。そのとき私と須山はそんなことをしようとは考えてもいなかったのに、部屋の真ん中に突ッ立ったまゝ両方から力をこめて手を握り合っていた。
フト須山は子供のようにテレて、
「何んだ、佐々木の手は
と、私に云った。
須山は外へ出ながら、モウこれからは機会もないだろうと思って、私の
「…………?」
私は何を云うんだろうと思った。が、フイにその「段々小さくなってゆく」という須山の言葉は、私の心臓を打った。私はその言葉のうちに、心配事にやつれてゆく母の小さい姿がアリ/\と見える気がした。――が、こういう時にそんな事を云う奴もないものだ、と思った。私はさりげなく、たゞ「そうだろうな……」と云って、その話の
須山と別れてから、伊藤が次の連絡まで三十分程間があるというので、私と少しブラ/\することになった。私たちは、二十六日には須山のために小さい会をしてやろうということを話した。そのために伊藤が菓子とか果物を買ってくることにした。
伊藤は何時もは男のように
「これ、あんたにあげるの――」
と云って、それを私に出した。そして、私が「困ったな!」と云うのに、無理矢理に手に持たしてしまった。
「此頃あんたのシャツなど汚れてるワ。向うじゃ、ヨクそんなところに眼をつけるらしいのよ!」
下宿に帰って、その包みを開けてみながら、フト気付くと私は伊藤と笠原を比較してみていた。同じく女だったが、私は今までに一度も伊藤を笠原との比較で考えてみたことは無かったのだ。だが、伊藤と比らべてみて、始めて笠原が
――私はもう十日位も笠原のところへは行っていなかった……。
九
倉田工業の屋上は、新築中の第三工場で、昼休みになると皆はそこへ上って行って、はじめて陽の光りを身体一杯にうけて寝そべったり、話し込んだり、ふざけ廻ったり、バレー・ボールをやったりした。その日はコンクリートの床に初夏の光が
一時に丁度十五分前、彼はいきなり大声をあげて、ビラを力一杯、そして続け様に投げ上げた。――「大量馘首絶対反対だ!」「ストライキで反対せ!」……あとは然し皆の声で消されてしまった。赤と黄色のビラは陽をうけて、キラ/\と光った。ビラが
仕方のなくなった守衛は、屋上からの狭い出口を
あとでおやじが「誰が撒いたか知らないか?」と一人一人
帰りに須山と伊藤が一緒になると、彼は「こういう時は、俺だちだって泣いてもいゝんだろうな!」と云って、無暗に帽子をかぶり直したり、顔をせわしくこすったりした。
途中、彼は何べんも何べんも、「こうまでとは思わなかった!」「こうまでとは思わなかった! 大衆の支持って、恐ろしいもんだ!」と、繰りかえしていた。
私はビラを撒いた日の様子をきくために、その日おそく伊藤と連絡をとっておいた。私は全く須山が一緒にやって来ようとは考えてもいなかったのだ。私は伊藤の後から入ってきた須山を、全く二三度見直した位である。それが紛れもなく須山であることが分ったとき、私は思わず立ち上がった。
私はそこで詳しいことを聞いたのである。私も興奮し、須山が伊藤に云ったという云い方を真似して、「こういう時は俺だちだってビールの一杯位は飲んだっていゝだろう!」と、三人でキリンを一本飲むことにした。
須山は
「あのビラ少し匂いがしていたぞ!」
と、伊藤にそんなことを云った。私は、「こら!」と
次の朝、職工たちが工場に行くと、会社は六百人の臨時工のうち四百人に、二日分の日給を渡して、門のところで解雇してしまった。ケイサツが十五六人出張してきていて、日給を貰いはしたものゝ
勘定口の側に、「二十九日仕事の切上げの予定のところ、今日になりました。然し会社は決して皆さんに迷惑を掛けないようにと、それまでの二日分の日給を進んでお払いしますから、当会社の意のあるところをお
解雇組には須山も伊藤も入っていた。――私たちは土俵際でまんまと先手を打たれてしまった。――須山と伊藤は見ていられないほどショげてしまった。私とても同じである。然し敵だって、デクな人形ではない。私たちは直ぐ立ち直り、この失敗の経験を取り上げ、逆転した情勢をそのまゝに放棄せずに、次の闘争に役立てるようにしなければならない。
蹴散らされたとは云うものゝ、本工のなかに二人メンバーが残っている。又解雇されたものたちは、それぞれの仕事を探がして散らばって行ったが、その中には伊藤と須山のグループが十人近くいる、従ってそれらとの連絡を今後とも確保することによって、私たちの闘争分野はかえって急に拡がりさえした。
彼奴等は「先手」を打って、私たちの仕事を滅茶/\にし得たと信じているだろう、だが実は外ならぬ自分の手で、私たちの組織の
今、私と須山と伊藤はモト以上の元気で、新しい仕事をやっている……(前編おわり)
(一九三二・八・二五)