差入のことや家のことや色々なことを云った後で、弟は片方の眼だけを何べんもパチ/\させながら、「
ところが、本当に今年のこっちの冬というのは十何年振りかの厳寒で、金物の表にはキラ/\と霜が結晶して、手袋をはかないでつかむと、指の皮をむいてしまうし、朝起きてみると
あの「ガラ/\」の山崎のお母さんでさえ、引張られて行く自分の息子よりも、こんな日の朝まだ夜も明けないうちに、職務とは云え、(それも「敵方の」職務だが)やって来て、家宅捜索をするのに、すぐ指先がかじかんで、一寸やっては
母はブツ/\云いながら、それでもお前が「四・一六」に踏み込まれたときとはちがって、平気で表の戸を開けに行った。それは女ばかりの家で、母にはお前のことだけのぞけば、あとはちっとも心配することが無いからである。戸が開くと、一番先きに顔を出したスパイが、妹の名を云って、いるかときいた。そのスパイは前から顔なじみだった。母は「いるよ。」と、当り前で云ってから、「あれがどうしたのかね?」と問うた。スパイはそれには何も云わずに、「いるんだね」と念を押して、上がり込んできた。
明け方の寒さで、どの特高の
母はこの前の、お前の時のように、今度は泣かなかったよ。だが、母はおそろしく無口になってしまった。誰か何かをしゃべっても、たゞ相手の顔を見るだけで、口をきかないの。そして、そうでなくても小さい母は、モット小さくなってしまった。
山崎の「ガラ/\のお母さん」のところへ行った[#「行った」は底本では「行たっ」]のも、やはり同じ時間だったそうである。このガラガラのお母さんは、前からその朝来ることが、分っていたかのように、「それ、秀夫や、来たど! 起きるんだ。」と云って、息子を揺り起し、秀夫さんが入口でスパイと何か云っている間に、ガリ板を手早く便所の中に投げ捨てゝしまった。そして「サア/\、何処ッからでも見てけさい!」と云って、特高を案内したそうである。お前には、「サア/\
夜が明けてから、お前が可愛がって運動に入れてやった「中島鉄工所」の上田のところへ、母が出掛けて行ったの。若しも上田の進ちゃんまでやられたとすれば、事件としても只事でない事が分るし、又
この冬は本当に寒かったの。留置場でもストーヴの側の監房は少しはよかったが、そうでない
お前の母ばかりでなしに、
上田の進ちゃんのお母アは、とう/\気が狂ったとみんなが云った。お前がこっちにいた時知っているだろう、「役所バカ」と云って、五十恰好の女が何時でも決まった時間に、市役所とか、税務署とか、裁判所とか、銀行とか、そんな建物だけを廻って歩いて、「わが
検挙は十二月一日から少しの手ゆるみもしないで続いた。そっちにいるお前はおかしく思うだろうが、残された人達が「戦旗」の配布網を守って、飽く迄も活動していた。然し、とう/\持って行き処のなくなったその人達は最後に、重要書類と一緒に家へ持ってきた。もうやられているので、二度も「ガサ」が無いだろうと云うのだ。六十に近いお前のお母はそれをちアんと引受けた。淋しいだろうと云うので、泊りにきていた親類の佐野さんや吉本さんが、重ね重ねのことなので、強こうに反対した。だが、お前の母は、「この仕事をしている人達は死んでも場所のことなどは云わないものだから、少しも心配要らない。」と云った。
山崎のガラ/\お母さんが時々元気をつけに、やってきてくれたが、このお母さんの前だと、お互の息子や娘のことを話して、お前の母はまるで人が変ったようにポロ/\涙を流した。山崎のお母さんというのは相当教育のある人で、息子たちのしている事を、気持からばかりでなしに、ちアんとした筋道を通しても知っていた。「息子が正しい理窟から死んでも自分の仕事をやめないと分ったら、親がその仕事の邪魔をするのが間違で――どうしてもやらせたくなかったら、殺せばいゝんでね。」そんな風に何時でも云っていた。それに生来のガラ/\が手伝っていたわけである。山崎のお母さんは警察に行っても、ガン/\怒鳴らなかったが、自分の云い出したことは一歩も引かなかったし、それを条理の上からジリ/\やって行った。ケイサツでは上田のお母アはちっとも苦手でなかったが、この山崎のお母さんには一目おいていたらしい。山崎のお母さんに比らべると、お前の母は小学校にも行ったことがないし、小さい時から野良に出て働かせられたし、土方部屋のトロッコに乗って働いたこともある純粋の貧農だったが、貧乏人であればあるほど、一方では自分の息子だけは立派に育てゝ楽をしたいと考える、それに貧乏に対して反撥する前に、貧乏に対してどうしても慣れあいになり勝なのだね。だから、プロレタリアの解放のために仕事をやって行こうとするお前たちのことが分るのだが、何んだか自分の楽しい未来のもくろみが、そのためにガタ/\と崩されて行くのを見ていることが出来ないのだよ。こんな気持をもっているから、警察ではお前の母は一番おとなしくて(!)しっかりしているというので「評判が良い」の。――今度のことでも、お前の母の表面の動作ではなくてその心持の裏に入りこんでみたら、それは只事ではないということはよく分る。だから頼りになりそうな山崎のお母さんと話し込むと、正体がないほど弱くなってしまうの。
窪田が二十日程して釈放された。すると、直ぐ家へやって来てこんなに大衆的にやられている時に、遺族のものたちをバラ/\にして置いては悪いと云うので、即刻何処かの家を借りて、皆が集まり、お茶でも飲みながらお互いに元気をつけ合ったり、親密な気持を取り交わしたり、これからの連絡や対策や陳情、そういう事について話し合おうということになった。皆も賛成だった。窪田さんは山崎のお母さんの家にして、日と時間を決めて帰って行った。――こんなに弾圧が強く、全部の組織が壊滅してしまったとき、この遺族のお茶の集まりだって又新しく仕事をやって行く何かの足場になるのではないか、さすがしっかりものの窪田さんがそんな風に考えてのことらしいの。
その日は十人位の母たちや細君が集まった。ちっとも知らない顔の人もいたが、引張られて行ったときのことや、面会に行ったとき息子たちのことで、すぐ話がはずんで行った。お前の母はそういう話の一つ一つに涙ぐんでいた。誰が話すことも、それは誰にとってもみんな自分のことだった。山崎のお母さんは
公判はこの九月から始まった。公判のことについては、その大体はもうお前も知っていることだから、詳しくは書かない。「共産党被告中の紅一点!」というので、毎日新聞がお前の妹のことをデカ/\と書いた。検事の求刑は山崎が三年、お前の妹が二年半、上田と大川は二年だった。それで、第一審の判決は大体の想像では、みんな半年位ずつ減って、上田と大川は執行猶予になるだろうということだった。上田のお母アはすっかり喜んで、お前の母にもあまりひどい事は云わなくなってきた。
判決の日に、みんな隣りの地方裁判所のあるH市まで出掛けて行った。――裁判長が判決を下す前に、「被告は今後どういう考か? これからも共産主義を信奉して運動を続けて行く積りか、それとも改心して、このような誤った運動をやめようと思っているか?」と
そっちから派遣されてきたオルグの、懲役五年を求刑されていた黒田という人は、立ち上って、「裁判長がそのような問いを発すること自体が、われ/\*****を**するものである。******というものは後で考えていて間違っていたから**するというようなものではないのだ。それは**されている労働者農民が、その**の**から**を**するための***なものなのだ。われ/\は****もこの**を***ものではないことを、全われ/\同志を代表して云っておく。」と叫んだ。この時、傍聴していた若い男が拍手をして、法廷の外へ引ずり出された。「他人のことまで云わなくてもいゝ」裁判長はそう云って、次に山崎に同じ質問を発した。山崎は立ち上がると、しばらくモジ/\していたが、低い声で裁判長の方に向って何か云った。裁判長は白い
上田の進さんの番になると、お母アは鼻をぴく/\さした。骨組の太い上田が立ち上がると、いきなり、「われ/\の同志であり、先輩である山崎君の*****に私は**を***ものである。もはや山崎は同志でもなく、先輩でもない!」と前置きをして、自分は山崎のように学問もないが、私自身が*****いる********として、****この*******積りだと云った。「えゝ?」上田のお母アは突然大声をあげて叫んだ、「こら、進! お前えお母アば忘れたのか?――あ、あ――この野郎! 畜生!」そして立ち上がってしまった。廷丁や巡査が
最後は大川だった。彼は何べんうながされても、なかなか云わなかったが、自分の家があまり困っているので、外へ出たら運動をやめて働いて行きたいと云った。大川は港湾労働者で、仲仕をしていた。おかみさんはそれを聞くと、お前の母に少し気兼ねしたように、抱いていた自分の子供に
窪田さんはこう云っているの。――
(一九三一・一〇・一一。*印は発表誌での伏字)