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ああ吉良家の忠臣

时间: 2017-12-31    进入日语论坛
核心提示:「た、大変なことがおこったぞ。いま江戸から使いがまいった。それによると、ご隠居の殿さまのお命が奪われたらしい」 その話を
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「た、大変なことがおこったぞ。いま江戸から使いがまいった。それによると、ご隠居の殿さまのお命が奪われたらしい……」
 その話を聞き、良吉は大声をあげた。
「まさか。信じられない。ご隠居さまが殺されるなんて。本当のことでしょうか……」
 ここは海ぞいの地。その三千二百石を管理するための、お屋敷のなか。十数名の武士が、それぞれのつとめにはげむ役所である。年貢の取立て、治安の維持、もめごとの調停、貧困者の救済などである。
 良吉はそのなかで、いちばんの軽輩。二十三歳、武士のはしくれなのだ。武士になりたてといってもいい。
 海産物をあつかう、この地方の大きな商店の三男にうまれた良吉は、幼いころから武士になりたくて仕方がなかった。文武両道に熱心にはげんできた。もっとも、文は寺子屋にかよってであり、武は店の用心棒でもある浪人者に教えてもらった。
 この時代、商人の子が武士になるなど、容易なことではなかった。しかし、父の経営する店、黒潮屋は景気がよく、金まわりも悪くなかった。だから、良吉は武士のはしくれになれたのだ。すなわち、領主である殿さまにまとまったものを献上し、この地の家臣たちにおくりものをした。その運動のかいがあって、良吉は名字帯刀を許された。黒潮良吉、年に十石のさむらいである。
 名字帯刀を許されるというこのような場合、普通なら形式的な名誉職。役所につとめることなどない。しかし、良吉は毎日のように出勤し、こまめに働いた。なにしろ、あこがれていた武士になれたのだ。うれしくて、うれしくて、いそいそしている。まわりから重宝がられた。生活の心配はない。武士として働くことが楽しいのだ。
「残念ながら、本当のようだ。江戸からの使いの話によると、へたをするとお家断絶、領地没収になるかもしれぬとのことだ。幕府の役人たち、権力をふりまわすのが好きだからな……」
「ひどい……」
「そうなると、ここへかわりの武士が来て、われわれは失業となる。今後の生活を考えなければならぬ。どうだろう、黒潮屋で使ってくれるよう、そちの父にたのんでくれぬか。どんな仕事でもする」
 青くなりながらこれからの生活を心配する武士たちに、良吉は言う。
「なんという、なさけないことをおっしゃる。あなたがた、それでも武士ですか」
「しかし、幕府のおえらがたがそうときめたら、従わざるをえないのだ」
「いったい、江戸のお屋敷で、どんなことがおこったのです」
「くわしくはわからない。むりやり押し入ってきた浪人者の一団に、お命を奪われてしまったということだ」
「どんなやつらにです」
「浅野家の浪人たちにだ。夜中の不意うち。防ぎきれず、ご隠居の|義《よし》|央《ひさ》さまは殺され、殿の|義《よし》|周《ちか》さまは、防戦し、傷をおいながら、やっと難をのがれられたとのことだ」
「徒党を組んでの、やみ討ちとは。まるで戦国の世だ。そんなことが、将軍さまのおいでになる、江戸のなかでおこるとは……」
 良吉は、まだ信じられない気分だった。しかし、それは現実に発生した。
 元禄十五年、十二月の中旬。寒い真夜中、江戸じゅうが静かに眠りについている時刻、大石を首領とする浅野家の残党ども四十数人が、予告もなしに侵入し、無抵抗にひとしい老人の吉良義央を殺害した。
 義央は殿中での|刃傷《にんじょう》事件のあと、当主であることをやめて隠居した。その必要はないのだが城内をさわがせた責任を感じてである。
 なお、あとをついだ義周は養子。義央のひとりむすこは、あとつぎのない上杉家へ養子に入った。義周はそのむすこで、吉良家へ養子に来た。だから、義央と義周は、血のつながりでは実の孫ということになる。
 吉良家は|上野《こうずけの》|国《くに》にも千石を領し、合計すると四千二百石。そのため上野介と称しているが、実質的にはここ三河の|幡《は》|豆《ず》が主たる領地といえた。
「いいかたでしたのに……」
 良吉は目をつぶり、ご隠居の殿の、ありし日の姿をしのんだ。義央は礼儀正しく、教養がある上に、ものわかりのいい笑いの好きな老人だった。
 かつて、ここへおみえになったことがある。赤毛の馬にまたがり、領地内を視察してまわられた。その時、良吉は父とともに迎え、名字帯刀を許されたお礼を申しあげた。十石とはいえ、士分の格。直接にお話しすることができるのだ。義央はにこやかに声をかけてくれた。
「そちの名は、なんと申すのか」
「良吉でございます」
「なるほど。たのもしげな若者だな。どうじゃ、ちょっと逆立ちをしてみせてくれ」
「は……」
「遠慮などせず、やってみせよ」
 とまどいながら、良吉はそれをやった。義央は手をたたいて笑った。
「みごとじゃ。そうやっておると、そちも殿さまじゃ」
「は……」
 なんのことやら、その時はわからなかった。あとになって考え、良吉と吉良とを関連させたしゃれとわかった。よそのことはわからないが、あんなくだけた殿さまは、めったにおいでにならないのではなかろうか。忠節をつくさなければと、良吉は心から思った。
 海ぞいのこの地で、塩を産業のひとつに仕上げ、きびしい年貢もなく、だれもが名君とたたえていた。領内に不満の声ひとつない。江戸では勅使の応対とか、東照宮の関係の仕事とか、高級なおつとめをなさっておいでだ。温厚な性格で、お側用人や老中たちの信用もある。そのため、各方面からいろいろと口ききをたのまれる。その謝礼のたぐいが入るせいか、ひどい年貢を課すことがない。大名からは取るが、領民からはあまり取らない。いい領主だった。
「あんないいかたが殺されるなんて、なぜ、そんなことが……」
「よくわからぬ。浅野の浪人たちは、なき主君の遺志をつぎ、うらみを晴らしたのだと言っているらしいが……」
「しかし、浅野内匠頭は殿中で乱心し、刀を抜いたわけでしょう。幕府はそうとみとめ、公的なおさばきの上で、切腹を命じた。死を命じ、首をはねたのは幕府でしょう。うらむのなら、そっちをうらむべきだ」
「そういえばそうだ」
「遺志だなんていうけど、それは乱心でしょう。だから、それを引きついだとなると、狂気のさた。気ちがいの行動となるわけでしょう」
「理屈の上ではそうだ」
「それなのに、なぜ吉良家が断絶になるのです。被害者が悪人にされるいわれはありません」
「しかし、そこがその、政治というものらしいのだ」
「むちゃだ。気ちがいの集りに侵入され、父を殺され、そのうえお家が断絶とは。責任は、江戸の治安をまもれなかった者にある。ひどすぎる。こんなご政道は、正さなければなりません」
 などと、良吉はまじめきわまる口調で主張した。武士たちは困った顔。
「どうするつもりなのだ」
「すぐに江戸へ行くつもりです」
「行ってどうする」
「殿にお会いし、おけがのお見舞いを申しあげる。また、幕府に対して堂々とわたりあうよう、ご激励してさしあげます」
「むりだよ。おまえのような、十石の軽輩になにができる。軽々しいことをやって、われわれを巻きぞえにしないでくれ」
「そのお言葉は、なんです。武士の口にすべきことではありません。たとえ十石でも、|禄《ろく》をいただいているからには、君臣の間柄です。お家の一大事に際し、忠節のなんたるかを示すべきです。なさりたくないのなら、わたしひとりでもやります。ああ、なんという武士道の堕落……」
 あこがれてなっただけに、良吉は普通の武士以上に、武士らしかった。たちまち決心をかためた。生家へかけもどり、黒潮屋の金箱からまとまった金をつかみ出し、それをふところに入れ、ただちに江戸へ旅立った。
 
 本所の吉良邸にたどりつく。
 門の|扉《とびら》は無残にもこわされ、屋敷の内外は片づけがすまず、まだ荒れはてたままだった。ふすまや障子はめちゃめちゃ。あたりに血のあとが残り、そのにおいもただよっている。
 部屋のなかからは、うめき声が聞こえてくる。襲撃された時の負傷者たちのあげる声だろう。顔をしかめながらたたずんでいる良吉に、声がかけられた。
「おい、なにものだ。勝手に入ってきてはならぬ」
「なにものかはひどい。殿の家臣、黒潮良吉にございます。事件を聞き、三河のご領地からかけつけて参ったのです」
「わたしは殿のおそばにつかえる、山吉新八という者だが、そのような家臣の名に心当りは……」
「数年前にお取り立ていただいた者でございます」
「すると、そうか。黒潮屋のせがれであったな。よく来てくれた。しかし、なんのためにわざわざ……」
「殿のご安否が心配で、また、なにかお役に立ちたいと思って……」
「それは感心なことだ。殿は浪人どもと戦い、傷をおわれたが、わたしともども、なんとか脱出できた。重傷ではあるが、さいわいお命には別状ない。十七歳という若さだから、やがておなおりになるだろう。しかし、その養生と、精神的な衝撃もあり、当分はだれともお会いになれない」
「わたしになにかご命令を……」
「ちょうど、人手が不足で困っていたところだ。この屋敷の警備をたのむ……」
 と山吉は言った。大石ら四十数名は、義央の首を持って泉岳寺へ行き、そこで自首したという。いまは細川家ほか三家に、おあずけになっている。
 しかし、まだ残党がいるかもしれないとのうわさもある。そいつらが、ご隠居さまの首だけでは満足せず、殿の命をもねらってふたたび来襲するかもしれないのだと説明した。
「かしこまりました。良吉、いのちにかけてもおまもり申しあげます」
 張り切って良吉が門のそばに立つと、そとに集っている町人たちが、からかった。
「やあい、いくじなし野郎……」
「なんだと、町人の分際で。それとも、浅野の浪人か。となると、たたき切るぞ」
「いまさら強がったって、手おくれじゃねえか。討ち入りの時には、逃げてたくせに」
「けしからん。覚悟しろ……」
 刀に手をかけた良吉を、山吉はあわてて引きもどして言った。江戸では、軽々しく刀を抜いてはいけないことになっている。町人たちに切りつけると、ただではすまない。なにしろ、いまは微妙な時期なのだ。お家が存続するかどうかの、重大な場合だ。
 良吉は不満げだった。
「すると、じっとがまんしていなければならないのですか。いかなる悪口雑言にも耐えて……」
「そこが武士たる者のつらいところだ。なにを言われても、決して手出しをするな」
「しかし、あんなことを町人に言わせておくなんて……」
「町人とは、口さがない者なのだ。口先だけで、責任はなしだ。やつらは、かせいだ金を好きなことに使う、その日ぐらし。金なしで楽しめるとなると、やじうまとなって集ってきて、わいわいさわぐ……」
「そういう低級なものですか。では、武士らしく忍耐に徹しましょう。それがご奉公ならば」
 覚悟をきめ、良吉は警備の役にはげんだ。残党の再襲撃にそなえ、緊張の連続だった。いざとなれば討ち死にする決意。しかし、日がたつにつれ、その点の心配はしだいに薄れてきた。
 やっかいなのは、壁の穴のほうだった。|塀《へい》の内側にそって、家臣や若党たちの居住する長屋がある。道に面したその壁に、穴があいている。殿がそこから外部へ脱出したのだとのうわさがあった。
〈弱虫の逃げた穴〉
 と塀に落書きをするやつがあった。何度も書かれ、そのたびに良吉は消した。まったく、町人どもはやることが卑劣だ。なにか不満があるのなら、江戸城の石垣にでも書けばいい。それをやらず、ここの若い殿の内心の苦悩に同情しようなど少しも考えず、残酷なからかいをやる。
 そのうち、江戸の街に紙に書いた無署名の狂歌が、各所にはられた。落首というやつだ。こんなのもあった。
〈|吉良《き ら》れてののちの心にくらぶれば、むかしの傷は痛まざりけり〉
 殺されてしまえば、殿中の刃傷で受けた傷など、どうでもいいだろうとの意味。はがしても、またはられる。よく見ると、木版で印刷したものらしい。なんということだと、良吉は腹を立てた。印刷して、被害者の死をからかい、笑いものにするとは。江戸の町人の軽薄さをまざまざと思い知らされた。
 良吉は自分でも落首を作り、木版で刷り、夜の町をはりつけて歩いた。
〈|宵《よい》|越《ご》しの|銭《ぜに》は酒色に使い捨て、|浅《あさ》|野《の》さわぎをただで見物〉
 酒と女に金を使い、自分は無関係という責任のない立場にいて、勝手に事件をさわぎたてる町人たちめ。少しは反省しやがれ。
 しかし、町人どもは反省するどころか、浪士たちをほめそやす一方。事件をとり入れた芝居がなされ、大ぜいつめかける。講談にもなる。
 どこでも話題になっている。大石良雄たちをたたえ、まことしやかな作り話が加わり、浪士の美談がでっちあげられ、義士と呼ぶ者もあらわれ、それに比例して、吉良義央が一段と悪者にされてゆく。
 良吉はまたも落首を作り、はってまわった。
〈|吉良《き ら》|吉良《き ら》の玉を無法にうち砕き、大きな石をおがむ江戸っ子〉
 まったく、ぶちこわされたままの門の扉を見ていると、良吉はなさけなくなってくる。弱きを助けるのが江戸っ子と聞いていたのに。
 山吉新八にうかがってみる。
「吉良家は安泰なのでしょうね」
「そうなるよう祈り、いろいろと運動している。しかし、幕府の役人のなかには、困ったやつがいる。こんな意見書を、連名で上のほうに提出したりしているそうだ。浅野の浪士たちの行為は賞賛すべきものである。処罰すべきではない。よろしくないのは吉良家のほう、断絶させるべきであると」
「どういうつもりなんでしょう」
「世の中の人気に便乗し、自分の存在を示したいのだろう。そういう役人がふえてきた。あるいは、上のほうの意中をそれとなく察し、上役の動きやすいようにとの準備工作かもしれない。どうやら、上のほうにも浪士たちをほめる意見が多いらしい」
「上役の顔いろをうかがって迎合し、少しでも出世の機会にありつこうというわけですね。信念もなにもない。なんという役人たちだ。おろかで無責任な町人たちならまだ許せるが、幕政に関与する武士がそんなとは……」
 町のうわさによると、細川家ほかの大名家におあずけとなった浪士たちは、けっこういい待遇らしい。忠義の士だとほめられ、ちやほやされての毎日だという。最初は罪人あつかいをしていたところも、細川家につられ、ごちそう競争になってきたともいう。
 それを聞き、良吉はかっとなった。こんなめちゃくちゃなことがあっていいのか。良吉は山吉新八にもだまって、独断で細川家へやってきた。門番に言う。
「こちらに大石がいるそうだが」
「なんだと。呼びすては無礼だ。大石殿は、たしかにここにおいでだ。これこそ、わが細川家の誇りである。で、なんの用だ。どうせ、おくり物でも持ってきたのだろう。あずかってやるから、おいてゆけ」
「大石に会わせてくれ」
「おまえはだれで、用件はなんだ」
「吉良家の家臣、黒潮良吉。なき義央のうらみを晴らさんがため、ひと太刀なりともあびせたいのだ」
「なんだと……」
 門番は引っこみ、やがて、細川家の家臣たち数名があらわれた。
「おまえか、大石殿を討ちに来たというのは」
「さよう。さっさと、大石をここへ連れ出してくれ。ご当家にご迷惑をおかけしたくない」
 それを聞き、みな大笑い。
「さすがに江戸だ。しゃれっけのあるやつもいる。こんな変ったお笑いを持ちこむやつがあらわれた。いい話のたねだ。退屈しておいでの義士のかたがたも面白がられるぞ」
「冗談ではない。本気でござるぞ」
「どうやら、頭がおかしいらしい。いいか、大石殿を渡すわけにはいかんのだ。上意により、ここにおあずかりしているのだ。将軍からの命令がなければ、だれにも渡せぬ。むりに入ろうとすると、細川の家臣は総動員で防がねばならぬ。これが天下の、法と秩序というものだ」
「なにいってやがる。法と秩序を口にしたいのは、こっちのほうだ……」
 しかし、大ぜいを相手に勝目はない。めざすは大石。細川の家臣と戦っての犬死には意味がない。良吉はむなしく引きあげた。
 
 学者を看板としている者たちは、それぞれ発言していた。なにしろ大事件。これについてなにか言っておくと、自己の存在が目立つのだ。名がひろまると、商売もしやすくなる。意見を求めての来客ぐらい、ありがたいものはない。
「先生、こんどの事件について、お説をひとつ拝聴したいと思い……」
「そうですなあ。これはまさしく、大変なことですねえ。軽々しい判断はつつしまねばなりませんが……」
「早くおっしゃって下さい。あっしは、かわら版を早く作って売りたいのです。お礼はここに……」
「あ、かわら版ですか。それならそうと。浅野の義士たちは、みごとなものです。これぞ忠義のあらわれ、後世に残すべき義挙。江戸っ子の誇り……」
「町人たちの話と大差ない。もう少し変った表現で……」
「わたしは町人の感情こそ、正しく尊重すべきだとの所説なのです。お礼はいただきますよ。しかしながら、みごととはいうものの、吉良家の当主を討ちもらしたのは、いささか残念です。もっともっと派手にやるべきだった。それにしても浪士たち、よく秘密を保ってきたものですな。巧言令色すくなし仁といいまして、不言実行の人が少ない時勢、そのなげかわしい世にあって……」
 と、ぺらぺらしゃべりまくる。一方、幕府の上層部から質問されている学者もある。
「なにか意見はないか」
「あなたさまのお立場は……」
「変な前例になってはことだから、やはり処罰すべきだと思うのだが……」
「そ、その通りでございます。なにしろ、徒党を組んでの武力行動。これをみとめたりしたら、まねする者が続出しましょう。豊臣の残党が出たら、ことです。法的にも道義的にも、処罰が当然でございます。しかしながら、感情的には、浪士たちにもかすかに同情すべき点、なきにしも……」
 べつな学者は、ある大名にこうたずねられている。
「浪士たちの数名を召し抱えたいのだが、学者として、そちの意見はどうだ」
「まことに、けっこうなお考え。わたくしもそう思っておりました。世をさわがせたのですから、責任はある。しかし、その罰は大石ひとりだけ受ければいい。ですから、大石は細川家へながのおあずけ。そのほかは許すべきが当然である……」
「みごとな学説だな。いずれにせよ、大石は細川家が手ばなしそうにない」
「さようでございます。大石のむすこに目をつけたほうが、お家の名をひろめるには適当でございましょう。手をまわすのなら、早いほうがいい。しかしながら、ことは将軍のご決定をまたねば……」
 などと、学者たちは「しかしながら」をくっつけ、うまく話を合わせながら、この時とばかりしゃべりまわっている。
 将軍の綱吉、お側用人の柳沢吉保、老中、どこに決定権があるのか不明だが、幕府の上層部が迷っているように、良吉には思えた。そこがもどかしかった。早いところ、浪士たちを処刑してしまえばいいのだ。ことがのびると、同情論が高まるばかりだ。
 良吉はまた落首を、町にはってまわった。
〈大石に小石を四十余なげこまれ、|義《ぎ》|士《し》|義《ぎ》|士《し》ゆらぐ江戸の城中〉
 これははがされることなく、何日間か残っていた。幕府をからかった点が、町人たちのお気にめしたのかもしれない。ばかなやつらだ。あるいは、無罪の決定促進の意味と受けとったのかもしれない。
 いい気分になり、良吉はさらに印刷して、各所にはりつけた。そのせいばかりではないだろうが、切腹させるべきだとの意見が、幕府のなかで強くなってきた。どうせ、学者たちが方針に迎合し、こんな説ができあがったのだろう。
「切腹とは、まことに妥当な判定。わたくしも以前から、そう申しておりました。切腹は罰ではない。武士にとって名誉です。一方、町人に対しては、秩序を乱すなとの警告にもなる。最良の結論と存じます。しかしながら……」
 方針が切腹に傾いてきたと聞き、良吉は、浪士たちをあずかっている大名家をまわり、門番たちに話しかけた。
「もうすぐ、みなさんのお許しが出るとの、もっぱらのうわさですよ。けっこうなことですね。江戸じゅう、お祝いのお祭をやるそうですよ。みなさんのお耳に、早くお知らせしておいたほうがいいでしょう……」
 かたきを討てないとなると、少しでもつらい死に方をさせてやれ。喜ばせておいて、切腹の宣告という……。
 翌元禄十六年の二月のはじめ、上意により、浪士たちに切腹が命じられた。大石良雄の辞世。
〈あら楽し思いは晴るる身は捨つる、浮世の月にかかる雲なし〉
 
 しかし、良吉にとって、喜ばしいことではなかった。
 その同じ日、吉良義周の屋敷にも、上意がとどいた。血のつながる祖父であり、名目上は義父でもある義央の首を奪われたのは、武門の恥である。おめおめ生き残ったのは見苦しい。お家は断絶、領地は没収。当人は信州|諏《す》|訪《わ》へながのおあずけと命じられた。
 たちまち厳重な護衛がつき、刀を取りあげられ、かごに押しこめられ、山吉新八ほか一名の家臣ともども連れ去られていった。
 これで吉良家は、すべて終り。邸内にいる者は、みな追い出された。良吉は金があるので、裏長屋を借りて住むことができた。
 江戸の町に落首がはられている。
〈忠孝の二字をば虫が食いにけり、世をさかさまにさばく世の中〉
 浪士への切腹の処置を批判したものだが、この落首には良吉も同感だった。
「こんな決定はひどすぎる。いったい、吉良家が幕府や世の中に対して、どんな悪いことをしたというのだ。以前に浅野を切腹させた幕府の決定は、まちがいだったことになる。朝令暮改だ。このようなご政道を正さなければ、世の中は|闇《やみ》だ」
「まったくだ」
 その場にいあわせた、かつての吉良家での同輩が、あいづちを打つ。金のある良吉に同意していれば、なにかいいこともあるだろうと思ってだ。
「では、連判状を作ろう。殿のご無念をはらし、吉良家の再興のために、命をなげうって行動しよう」
 あこがれてなっただけあって、良吉はまさしく武士だった。あわてたのは同輩。
「ま、まってくれ。そのような大事は、まず、殿のご意見をうかがってからでないと……」
 あたふたと逃げ出し、それっきり来なくなってしまった。へたなさわぎに巻きこまれたら、ろくなことはない。地道な仕事をさがしたほうが賢明というものだ。
 同志が集らず、良吉はひとりで信州へと出発した。殿にお会いし、おなぐさめし、今後の方針をきめるために。
 
 良吉は諏訪へつき、そこの城へ行く。城門の係に言う。
「ここにおいでの吉良義周さまにお目通りさせて下さい」
「そんなことは知らぬぞ」
 と、そっけない返事。
 義周はこの城の南丸の一室にとじこめられ、だれとも面会を許されない状態だった。二名の家臣も同様。刀は取り上げられている。ひげをそるのも許されない。カミソリでの自殺を防ぐためだ。病気のための|灸《きゅう》をすえたがっても、医師の立会いでないと許されない。火災を警戒してだ。
 日夜、監視がつけられ、庭への外出もできない。外部へ対しての防備も厳重。浅野の浪士の残りが押しかけてきたら、さわぎが大きくなり、おとりつぶしにされかねない。だから、領内でのうわさも禁じられている。義周の居室の場所は、関係者以外は知らされていない。
「おいでのはずです。わたしは江戸でたしかめて来たのです」
 と良吉が言うと、門の係は身がまえた。
「すると、浅野の浪人か」
「ちがいますよ。吉良家の家臣、しかも、忠実なる家臣です。危害を加えるどころか、おなぐさめのために来たのです。あわれと思って、とりついで下さい。あなただって、自分の主君が遠くへやられたら、なぐさめに出かけるでしょう」
「それはそうだ」
「では、武士のなさけで、ぜひ……」
「その手には乗らん。わが主君は、変な事件にかかわりあって、遠くへやられるようなことは決してなさらない。だめだ。なぜなら、吉良家はすでにおとりつぶし。家臣などありえないからだ」
 ことなかれ主義に追い払われた。山吉新八にも会えない。むりに入ろうとしても、それは不可能。江戸への帰り、峠の上から良吉はながめる。
「あの城内の、どこにおいでなのかはわからないが、ご不自由にちがいない。おいたわしいことだ。殿のご無念は、わたくしがかならず……」
 落涙しながら心にちかった。
 良吉は江戸へ帰った。しかし、ご無念はかならず、と言ったものの、どうやったらいいのか、それがわからなかった。
 江戸では相変らず、切腹してしまった浪士たちの人気が高い。討ち入りの前、義士のひとりがここで働いていたと称する商店がふえた。それで客が集り、景気がよくなる。そんなのが何十軒もあった。浪士の似顔絵が売れ、浪士の名をつけた菓子が売れた。軽薄な町人たちめ。
 ますます良吉は立腹する。忠義をあらわし、武士道を発揮し、平和や繁栄より高度なものが存在することを、世に示したい。それには、どうすればいいのだ。
 大石の遺族の首をはねてやるか。しかし、調べてみると、長男の主税は切腹しており、あとは女子供ばかり。
 当時の規定で、武士の罪は家族におよぶ。事件に参加した浪士たちの遺族のうち、成人男子は、出家した者を除いて、みな遠島となっている。遠島では、手の出しようがない。
 死をもって世間に抗議してやろうか。いや、それはだめだ。江戸の町人たちが、また落首で笑いものにするにちがいない。
 ちらほらと、浅野家再興のうわさが聞こえてきた。浪士たちを義挙とみとめたからには、浅野内匠頭の弟、大学に家を再興させるべきだとの意見。大奥を通じての運動がなされているともいう。
 良吉は、またも落首をはってまわった。
〈|浅《あさ》|野《の》日が西からのぼりめんどりが、時をつげいて論語大学〉
 論語、孟子、中庸、大学を四書と称し、儒教の根本となっている。その落首を、湯島の聖堂にべたべたとはった。儒学を好む将軍の綱吉がたてたもの。
 ここで綱吉は、みずから論語を講じ、大名たちに政治は仁と義でおこなうべしと話した。聖堂の長は、綱吉の信用のある学者、林大学頭。
「この皮肉なら通じるだろう。吉良家をつぶしたうえ、浅野家の再興などさせてなるものか。よし、大学を討ちとろう」
 大学は西のほう、芸州広島の浅野の本家におあずけとなっている。良吉はそこへむかった。途中、三河で生家の黒潮屋へ寄り、また金を借り出した。
 長い道中、そのただならぬ表情を見てか、旅の武士が話しかけてきた。
「こんなことをお聞きしてはなんだが、なにか重大なお仕事のようで……」
「さよう、大望のある身なのです」
「さては、かたき討ち。ご成功を祈ります。それでこそ、武士。助太刀いたしてさしあげよう」
「ありがたいお言葉……」
「で、どなたのかたきを」
「わが主君のうらみを晴らさんがため……」
「それはそれは、ますますいい。こういう時期ですから、成功すると一挙に名があがりましょう。所在はわかっているのですか」
「はい。かたきのいる場所はあきらかです」
「その、貴殿のご主君の名は……」
「吉良上野介義央でござる。みどもはその浪士……」
「うむ、申しあげる言葉もない。めざすは芸州ですな。あいにく、身どもは山陰への旅なので……」
 その武士は、気ちがいとの旅は困ると思ってか、はなれていった。
 芸州の浅野の本家に、大学は妻子とともにおあずけとなっている。信州の吉良義周と同様、一室から出られない。保管を依頼された貴重品あつかい。万一だれかに殺されたら、一大事なのだ。厳重な警戒。大学は、兄のひきおこした|刃傷《にんじょう》事件の四カ月後から、ここにとじこめられている。
 城内の三の丸のなかなので、侵入は不可能だった。しかし、ここでは門番の係から、いくらかようすを聞くことができた。やはり身動きできない毎日。三十何歳かの大学は、こう言っているという。
「なんでわたしが、こんな目に会わねばならぬのか。どんな悪いことをしたというのだ。わけがわからん。だれか教えてくれ……」
 そればかりくりかえし、頭がおかしくなりかけているとのうわさだ。そういうものかと、良吉もいささか気の毒になった。そんなのを殺して、どうなるというのだ。また、殺そうにも、突入はむりだ。
 やむなく江戸に引きかえす。帰途、京や奈良の寺院や神社に参拝し、大願成就を念じた。
 
 江戸での義士の人気は、依然として高い。ほかに話題がないせいもあった。
 そのなかで、わけもなくひどい目に会っているのが、梶川|与《よ》|惣《そ》|兵《べ》|衛《え》。吉良義央に切りかかる浅野内匠頭に飛びつき、とりおさえた旗本だ。
 その功によって加増になったはいいが、討ち入りのあと、しだいに評判が悪くなってきた。あいつのおかげで、浅野の殿さまが、あんな目に会ったのだと。どこへ行っても、指をさされ、こそこそ言われる。ついに職を辞し、家にとじこもっての生活。
 その梶川の家に、来客があった。退屈しのぎにと会ってみると、こう言われた。
「貴殿は、なんということをなさったのです」
「またか。もう、その話はやめてくれ。聞きあきた。いやな気分にさせないでくれ。あれは役目の上での、当然の行為。いいか、わたしが浅野殿をとめたから、こういうことになり、義士たちの名があがったのだぞ。いまや義士たちは、神さまあつかい。庶民の偶像、武士の手本。だれのおかげだ。たまには、ほめに来てくれる人がいてもいいのに」
「そこですよ。浅野をとめるべきじゃなかったのです。その場で、浅野を殺すべきだった。殿中だから刀を抜けないかもしれないが、奪った刀で刺すとか、首をしめるとかして……」
「これは、はじめて聞くご意見だ。黒潮さんとやら、あなたは事件のどんな関係者なのですか」
「吉良家の家臣でござる。家臣であったと言うべきか。討ち入りさわぎのおかげで、お家は断絶、みどもは浪士となった。これというのも、あなたがあの時、浅野の息の根をとめなかったからだ」
「珍説を通り越して、むちゃくちゃだ」
「ご隠居の殿は義士たちに殺された。主君の義周さまは、信州におあずけとなり、外出も許されないままご病気となり、先日、ついに死去された。ご無念にちがいない……」
「まったく、お気の毒……」
「そのうらみを晴らすため、お命をいただく。覚悟なされよ」
「ちょっと、待ってくれ。こっちまで頭がおかしくなってきた。お気持ちはわかるが、理屈がおかしい.よく考えていただきたい。あの時、わたしが浅野を殺していたとしても、吉良殿はやはりかたきとしてねらわれただろう」
「うむ」
「かりにだ、浅野をとめないでいたら、どうなっていた。吉良殿は殺されていたぞ。どこが悪い」
「うむ」
「おわかりか」
「いや、あの時に殿が殺されていたら、われわれ家臣が、浅野の屋敷へ堂々と討ち入り、みごとに首を切ったはずだ。歴史に残る美談となれた。あなたのおかげで、それがだめになった。筋が通っているだろう。さあ、お覚悟を……」
「結論を急ぐから、おかしくなる。浅野が吉良殿を殺していたら、文句なしに即日切腹、お家は断絶。浅野の屋敷へ討ち入ろうにも、そんなもの、どこにもない」
「そういうことになるな。うむ。いったい、だれをやればいいのか、知恵を貸していただけないか」
 と、良吉に聞かれ、梶川は言う。
「知恵なら、こっちが借りたいくらいだ。あの時に制止しなかったら、役目の不始末で罰せられていただろう。制止してしまったおかげで、このありさま。事実上の閉門。外出もままならぬ。生けるしかばねだ。こんなばかげた話って、あるかね」
「ありませんな。いったい、だれがいけないんでしょう」
「ひとつたしかなことはだな、そこらじゅうの軽薄なやつらだろうな。どうだ、こうなったら、やけだ。二人で江戸の町に火をつけてまわるか。このばかげた江戸を、焼野原にしてやる。町人どもを、どいつもこいつも焼き殺してやる。無責任な発言へのむくいを、思い知らせてやろう。われら二人の名は、後世に語りつがれるぞ。なんだか、ぞくぞくしてきた……」
「いや、そこまでやることも……」
 良吉は引きさがった。ていよく追いかえされた形だった。梶川は直参の旗本。幕政への批判は口にせず、町人へのぐちだけを口にした。
 なににむかってどう行動したものか、良吉には、まったくわからなかった。いつかの落首の効果のおかげか、浅野家再興の件は進行していない。しかし、なにか決行をしなければならなかった。そして、良吉は梶川の言わなかった点に気づいた。
 そうだ、悪いのは幕府そのものだ。その場その場で、一時しのぎのことをやり、方針が一貫していない。なにもかも、そのせいだ。幕府とはそういうもの。ご政道を正すどころではない。ご政道というもの自体が、そもそも、そういう実体なのだ。
 ねらいはそこだ。良吉は文章を考え、それを高札に書き、江戸城の門の前に立てた。
〈吉良家の家臣として申し上げる。われらの主君、わけもわからずお家断絶、および領地を召し上げられ候。義央は殺害され、義周は病死。この無念の心底、家臣としてしのびがたく候。君父の|仇《あだ》は、ともに天をいただかずとか。ただ、その遺志をつぐまででござる。わたくしの死後、これをごらんいただきたい。以上。吉良家の家臣、黒潮良吉〉
 かつて、吉良家への討ち入りの時、大石たちが書いて門前に残した文章を、ちょっと変えただけのものだ。
 良吉はこの高札の下にすわり、絶食して死ぬつもりだった。しかし、たちまち門番役の一隊がやってきた。良吉はとっつかまった。人だかりがし、大さわぎとなる。
 良吉は町奉行所へ連行された。そこで奉行に抗議した。
「なぜ、こんなところでさばかれるのか」
「ご政道を公然と批判し、それを実行した浪人は、町奉行によってさばかれることになっている」
「不公平だ。それが法でござるか。浅野の浪人と同じ条件である。あいつらは、大名家へおあずけとなり、ちやほやされ、その上での切腹だ。なぜ人によってあつかいを変える。法の乱れは、天下のほろびるもとだ」
「やっかいなやつだな。どうしてくれというのだ」
「老中、若年寄、大目付たちの会議の上での評決をお願いしたい。そうしないと、お奉行、貴殿の手落ちとなり、後世へ悪名が残りますぞ」
「妙な話になってきたな。申しぶんはわかった。あらためて相談してみる」
 町奉行は書類をもって上へうかがいをたてた。独断でやって、あとで問題にされるよりはいい。ことは公的なものとなったが、どの役も変な責任はとりたくないと、押しつけあう。しかし、いつまでもほっておけない。
 やむをえず押しつけられた役の者が、結着をつけた。自分の屋敷へ良吉を連れてきて、処分を申し渡した。
「黒潮良吉とやら、そのほうの志、武士としてみあげたものである。しかしながら、江戸の城門をさわがせし罪、軽からず。よって、大名家へおあずけとする」
「切腹ではないのですか」
「だれかを殺害していれば切腹だが、それをしていない。よって、罪一等を減じたのだ。ありがたく思え」
「どこの大名家へですか」
「知らんでもいいことだ。おあずけとなれば、どこでも同じことだ。これは上意でござるぞ」
「ははあ……」
 良吉は平伏した。そこに上意の文書があったのかどうか、見そこなってしまった。たちまち、かごへ押しこめられ、外を見ることもできず、どこかへ運ばれた。
 だれかの大きな屋敷につく。一室にほうりこまれた。そこは座敷|牢《ろう》。格子がはまっていて、出ようにも出られぬ。なかでの食事と排便だけが許された行動。風呂へも入れない。
「なんというあつかいだ。本でも読ませろ。なにかやらせろ。浅野の浪人たちと、だいぶ待遇がちがうようだぞ」
 と食事を運ぶ係に文句を言った。
「浅野の浪人たちは、切腹でしたから、ああしたのです。あなたはちがう。これが正式なのです」
「まるで気ちがいあつかいだ」
「そんなとこです。なんとでもおっしゃい。しゃべるのは自由です」
 ひどいものだった。これが正式の、大名家へのおあずけか。吉良義周や浅野大学の苦痛がよくわかった。なにしろ、なにもできないのだ。できるものなら眠りつづけていたかったが、そうもいかない。
 なにもかも幕府がいけないのだ。将軍の綱吉がいけないのだ。このうらみ、はらさずにおくべきか。ひたすらそう念じつづけることで、なんとか狂気におちいるのを防ぐ毎日だった。
 
 どれぐらいの月日がたったろう。最初のうちは日を数えていたが、ばかばかしくなってやめてしまい、年月がわからなくなった。
 ある日、武士があらわれて言った。
「そとへ出たいであろう」
「当たり前ですよ、生かさず殺さずとは、このことだ」
「出してやるぞ」
「からかわないで下さい」
「本当だ。おまえは許されたのだ。さあ、ここから出ろ」
 ふたたびかごに乗せられ、どこをどう運ばれたのか、江戸の町へほうり出された。取りあげられたままになっていた刀も、かえしてくれた。
 いままで、どこに閉じこめられていたのだろう。いつか処分を言い渡された人の屋敷、そとを一巡して、またあのなかへ連れ込まれたようでもある。ちがうかもしれない。もはや、調べようがなかった。
 通行人を呼びとめて聞く。
「いったい、いまは何年何月でござるか」
「身なりがきたない上に、気が変な人のようだな。宝永六年の六月だよ」
「すると、二年間とじこめられてたことになるな。そうだ、綱吉をやっつけなくては……」
「ますます変だ。将軍の綱吉さまは、一月になくなられた。いまは家宣さまが将軍になっておいでだ。知らないのか」
「知らなかった」
 良吉ののろいの効果だろうか。綱吉は死に、実子がないため、兄の子の家宣が将軍職をついだ。
 お側用人の柳沢はお役ご免、前将軍の政策はすべてご破算。犬をかわいがれとの、生類あわれみの令も廃止。不評なことのすべては、前将軍に押しつけられた。なにもかもうやむや。
 人心一新のための恩赦がおこなわれた。良吉もそれで釈放になったらしい。島流しにされていた、浅野の浪士の遺族たちも、許されて戻ってきたという。
 うやむやになり、ますます焦点がぼけた。もはや良吉は、なにをする気にもなれない。郷里へ帰って、家の仕事を手伝い、魚のひものの数でもかぞえて生活するとしよう。帰るべき場所があるということは、しあわせといっていい。
 刀を売り払い、その金で三河へと旅をする。途中、武士の行列とすれちがった。良吉は茶店の主人に聞く。
「いまのは、だれです」
「もう忘れられかけた人ですよ。浅野大学というかたです。このたび許され、五百石でお家再興とか。芸州から江戸へむかうところです。江戸の人たち、歓迎しますかな。しないでしょうな。忘れっぽい人が多いそうですからね。新将軍の家宣さまが、だれを老中にし、どんな政治をやるか、関心はもっぱらそっちのほうでしょう」
「ふうん……」
 良吉は無感動につぶやく。かつては、乗りこんで切りつけようと考えた相手だ。しかし、いまやその気もなく、第一、刀すらない。この、うやむや恩赦で許されるまで、大学は七年ほど一室にとじこめられていたことになる。よくがまんしたものだ。
 良吉が江戸へ飛び出してから、ほぼ六年の年月がたっていることになる。もう三十歳に近い。
「おお、よく帰ってきた。江戸でなにかひと働きしたか」
 家業をついでいる兄が迎えてくれた。
「まあね……」
 それ以上のことを、良吉は言わなかった。そのご、結婚もせず、だまったまま単調な仕事をし、あとの人生をすごした。時どき、逆立ちをするのが、ただひとつの趣味だった。はたから見ると、まことに奇妙なものだった。
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