「頭蓋指数が一定不変の数字だということはおそらくきみも知っているだろうね」と、指についたインキのしみをかぞえながら言った。
「もちろんです」
「では感応遺伝がいまだに学問的に証明されていないことは?」「いうまでもありません」「性細胞質が単性生殖卵とは異なることも?」
「当たり前ですよ」と叫んでから、わたしは自分の図々しさにあきれた。
「しかし、それによって何が証明されるかな?」と、穏かな猫なで声がかえってきた。
「さて、なんでしょう? 何を証明するんですかね?」「では教えてあげようか?」と、喉を鳴らすようなやさしい声。
「どうぞお願いします」
「それが証明するのは」突然彼は怒りを爆発させて荒れ狂った。「きみがロンドン一のとんでもない大山師だということだ。科学はおろか礼儀作法もわきまえない、卑しいこそ泥のような新聞記者だということだ!」 彼は目に兇暴な怒りをたたえて椅子からとびあがった。この緊張の一瞬においてさえ、わたしは相手がひどくちんちくりんな男で、わたしの肩のあたりまでしかないことを発見しておかしがるだけの余裕があった――背丈の十分伸びきらなかったヘラクレスとでもいうか、その測り知れないエネルギーは、すべて深さと、横幅の広さと、脳みそのほうへ行ってしまった感じだった。
「出まかせだ!」彼は身を乗りだしてテーブルに指をつき、顔をぐいと突きだしながらわめいた。「わしが今きみに話したことは、みな科学用語を使っただけの出まかせだった! きみはその石頭でこのわしの目をごまかせると思ったのかね? いまいましいヘボ記者のくせして、おそらく自分は全能だとでも思っているのだろう。自分がほめるかけなすかで、人間一人を左右できるとうぬぼれているんじゃないかね? きみの前にひざまずいて、ありがたいお言葉の一つもちょうだいしなければならないのかね?こいつは一つ肩を持ってやろう、あいつはやっつけてやれか、まったくいい気なもんだ。いやらしい寄生虫め! お門ちがいもいいところだ。時代のせいでつんぼになって、平衡感覚を失ってしまったのだろう。大ぼらふきめ! きみのような人間にふさわしい扱い方をしてやる。
G?E?Cはきみなどにだまされはせんぞ。きみの思い通りにならない人間が少なくとも一人はいるのだ。彼はきみに近づくなと警告した。にもかかわらずやって来たのだから、危険は覚悟の上だろう。罰金だよ、マローン君、罰金を払いたまえ! きみはかなり危険なゲームを挑んできたわけだが、どうやら勝目はなさそうだね」「いいですか」と、わたしはドアのところまで後ずさってそれを開けた。「口だけならいくらひどいことをおっしゃっても構いません。しかし限度というものがあります。暴力は許せませんぞ」「許せないだと?」彼は妙に威嚇的な感じのするゆっくりした足どりで前に進んだ。が途中で立ちどまって、いささか子供じみた短い上着のポケットに大きな両手を突っこんだ。
「わしはこれまでにこの家から何人か新聞記者をほうりだした。きみでたぶん四人目か五人目になるだろう。三ポンド十五シリング――それが一人あたりの罰金の平均だ。安くはないがやむをえんだろう。きみも同僚諸君に見ならってはどうかね? いやだなどとは言わない方がいいと思うんだが」そう言いおわると、ふたたびダンス教師のように爪先き立って、じわじわと脅迫するように前に進みはじめた。
その気になれば廊下にとびだしてドアに鍵をかけることもできたろうが、それではあまりに屈辱的だった。おまけに、今やわたしの内部では正当な怒りが燃えはじめていた。最初はたしかに弁解の余地もなくこちらに落度があったが、この男の脅迫がわたしの怒りを正当にしたのだ。
「やめてください。さもないと、こっちの忍耐にも限度があります」「なんだと!」黒い口ひげがピクッと持ちあがり、小ばかにしたような笑いとともに白い牙がきらりと光った。「忍耐にも限度があるって?」「ばかな真似はやめてください、教授! 喧嘩ならどうせあなたの負けです。わたしの体重は二百十ポンド、頑健このうえなし、毎週土曜日には、ロンドン?アイリッシュ?チームでセンター?クォーター?バックをつとめています。いざとなったら、おめおめ――」 みなまで言わせず、彼はわたしのほうに突進してきた。その前にドアをあけておいたから幸運だった。さもなければ、もつれ合ったままドアをぶち抜いていたろう。二人は横っとびにとんぼがえりをうって廊下にとびだした。途中で椅子もろともまきこんで、通りまで転がっていった。わたしの口には相手のひげがいっぱいにつまり、四本の腕ががっちりからみ合い、体ももつれ合ったところに、いまいましい椅子の脚が容赦なくぶつかった。
注意深く観察していたオースチンが玄関のドアをさっとあけたので、われわれは後向きにもんどりうって玄関の階段を転がり落ちたのだ。以前に二人組のアイルランド人が芸人寄席でこれに似たことをやるのを見たことがあったが、ある程度の練習を積まなければ、こんなことをやって怪我をしないとは考えられない。椅子は階段の下でバラバラにこわれ、われわれ二人もはなればなれになって下水溝に転がりこんだ。彼はすばやく立ちあがり、両手のこぶしをふりまわしながら、ぜんそく病みのように喉を鳴らした。
「どうだ、まいったか」と、彼があえぎながら言った。
「なにを、暴漢め!」わたしは勇をふるいおこして叫んだ。
そのままだと結着がつくまでやらざるをえなかったろう。教授は闘志満々だったからである。幸いわたしは醜態をさらさずにすんだ。手帳を手に持った警官がそばに立っていたのである。
「なんというざまですか? 恥を知りなさい恥を」と警官が言った。わたしがエンモア?
パークで聞いた中では、一番分別のある言葉だった。「さあ」彼はわたしに催促した。
「わけを話していただきましょうか」
「この男がわたしにとびかかってきたんです」
「まちがいありませんか?」と警官が質問した。
教授はぜいぜい喉を鳴らすだけでなんとも答えなかった。
「とにかく、これがはじめてじゃありませんからな」警官は首をふりながらいかめしい口調で言った。「先月もこれと同じ事件をおこしていますよ。見なさい、このお若い方の目に黒いあざができている。この男を警察に引き渡しますか?」 わたしは急に教授が気の毒になった。
「いや。そのつもりはありません」
「なぜです?」
「落度はわたしにあるのです。わたしが無理に邪魔をしたのがいけなかった。この人はちゃんと警告していたんですよ」 警官は手帳をぱたんと閉じた。
「まあいいでしょう。二度とこんな騒ぎはおこさないことですな」彼は言った。「さあさあ、そんなところに立ちどまってないで、行った行った!」これはそばに寄ってきた肉屋の小僧、女中、それに浮浪者に向けられた言葉である。彼はこの二、三人の野次馬を追い散らしながら、どたどたと通りを歩いて行った。教授はわたしのほうを見た。その目には、どこかユーモラスな表情があった。
「来たまえ! まだきみとの話は終わっておらん」 妙に薄気味の悪い言葉だったが、とにかく彼について家の中に入った。木像のように無表情な召使のオースチンが、うしろでドアを閉めた。