目の前に広々と横たわる湖面の眺めはすばらしかったが、その岸には何も見えなかった。こちらの人数と騒々しさに驚いてあらゆる動物が逃げてしまったらしく、腐肉をあさりながら頭上に輪を描いている数羽の翼手竜をのぞけば、野営地のまわりはひっそりとしずまりかえっていた。しかしバラ色に彩られた中央湖の水面は様子が違う。石板スレート色の巨大な背中や高い鋸状の背びれが水しぶきをあげて水面に突きだすかと思うと、ふたたび水中深くもぐってゆく。遠くの砂洲には不恰好な動物が点々と腹這いになっている。
巨大なカメ、見なれない爬虫類、それに黒い油を塗った革のように平べったい動物が一匹いて、ひくひくけいれんしながらゆっくり水際へ移動していた。ところどころ蛇のような頭が水面に突きでて、前には水泡の襟飾り、うしろにはみお??を引き、白鳥のように優雅な動作で浮き沈みしながら水を切って進んでゆく。この動物がわれわれから数百ヤードのところにある砂洲に這いあがって、樽たるのような胴体と、蛇に似た巨大な首のうしろにある巨大な水かきを現わしたとき、チャレンジャーとあとからやってきたサマリーが、異口同音に驚嘆の叫びを洩らした。
「蛇頸竜だ! 淡水に棲む蛇頸竜だ!」とサマリー、「こんなものを見られるとは、まったく長生きはするものだ! われわれは開闢かいびゃく以来最も恵まれた動物学者というところだな、チャレンジャー君!」 日が暮れて土人たちの焚火が暗闇を赤々と照らしだすころ、二人の科学者はようやく原始時代の湖の魅惑から引きはなされた。暗い湖の岸に横たわっている間にも、そこに棲む巨大な動物たちの鼻息や水にとびこむ音が聞こえてきた。
夜が明ける早々から野営地には活気がみなぎり、一時間後われわれは忘れがたい遠征に出発した。これまで戦争特派記者になることを何度夢見たかしれない。その場合、わたしが任務として報道すべき戦闘の本質というものは、どのような苛烈な戦争の中にあるのだろうか。以下は戦場からのわたしの第一報である。
わが軍の人数は夜の間に洞窟からやってきた新手の一群によって補強され、進撃を開始するころは総勢およそ四、五百人になっていた。前線には斥候せっこうが派遣され、そのあとから全軍が一糸乱れぬ隊列を維持して長い灌木の斜面をのぼり、森のはずれ近くまで近づいた。ここで彼らは槍組、弓組の長い横隊を作って散開した。ロクストンとサマリーが右翼につき、チャレンジャーとわたしは左翼についた。石器時代の軍隊に加わりながら、われわれだけがセント?ジェームズ?ストリートやストランドにある銃砲店の最新の武器を手にしている。
待つほどもなく敵が現われた。森のはずれから荒々しい叫び声がおこって、突然猿人の一団が棍棒や石を手にして現われ、インディアン隊の中央に突進してきた。まことに勇敢だが愚かな行動だった。図体ばかり大きながにまたの猿人は、足が遅く、一方敵は猫のようにすばしこいときている。野獣どもが口から泡をふき目をいからせて、突進してはつかみかかるさまはいかにも恐ろしい眺めだが、いつも機敏な敵に逃げられて全身これ矢ぶすまという結果になる。大きな猿人が一人苦痛のうめき声を発しながらわたしのそばを通りすぎたが、胸からあばらにかけて十数本の矢が突き刺さっていた。わたしが慈悲深いとどめの一発を頭に射ちこむと、そいつはリュウゼツランの茂みに倒れ伏した。しかし銃声はこの一発だけだった。猿人の攻撃は隊列の中央に向かっており、インディアンたちはわれわれの力をかりなくても敵を押しかえしていたからである。空地に走り出てきた猿人は、一人残らず森へ逃げ戻る前にやられてしまったように思う。
しかし木のはえているところまできたとき、楽観は許されなくなった。森へ入ってから一時間かそれ以上もたつのに、依然として死闘がつづいており、一時はわれわれも敵の攻撃を支えきれなくなったほどだった。茂みの中から巨大な棍棒を持った猿人がふいに躍りだして、槍で倒される前に三人か四人のインディアンをなぎ倒すことがしばしばなのである。その壊滅的な打撃は触れるものすべてを粉々に打ち砕いてしまう。サマリーのライフルも一撃をくらってマッチ棒のように折れまがり、もしインディアンの一人が相手の心臓を突き刺さなかったら、つぎの瞬間に彼の脳天も同じ運命に見舞われるところだった。頭上の木にのぼったほかの猿人たちは、石ころや丸太を投げおろし、時にはみずから隊列にとびおりてきて、ようやく倒されるまでめちゃくちゃにあばれまわるのだった。一度など味方はこの圧迫に耐えかねて後退しそうになった。われわれのライフルによる殺戮がなかったら、きっと算を乱して敗走していたに違いない。しかし老酋長のはげましで勇敢に勢いを盛りかえし、今度は逆に猿人どもが退却せざるをえないほど猛烈に攻めたてた。サマリーは武器がなくなってしまったが、わたしは可能なかぎり速く射ちまくった。反対側からは仲間がつづけざまに発砲する音が聞こえてくる。やがて一瞬のうちに恐慌と壊滅がはじまった。猿人どもは叫んだりほえたりしながらくもの子を散らすように茂みの中へ逃げこみ、インディアンたちは喜び狂ってすばやく逃げる敵のあとを追った。何代にもわたる遺恨の数々、狭い歴史の中でくりひろげられた憎悪と暴虐、虐待と迫害の記憶が、この一日ですべて帳消しになるのだ。ついに人間が最高の支配者となり、獣人は人間に従属すべきことを永久に思い知らされた。逃げようとしてもこの足の遅さでは機敏な土人の追跡をかわしきれない。木の枝のからみ合った森のいたるところで、勝利の叫びや、弓鳴りの音や、樹上の隠れ場所から猿人が地上に落ちるドシンという音が聞こえた。
わたしがほかの猿人を追いかけているとき、ジョン卿とサマリーが近づいてきた。
「戦いは終わった」と、ジョン卿が言った。「後始末は彼らにまかせておいていいだろう。見ないほうがよく眠れるさ」 チャレンジャーの目は殺戮の欲望で輝いていた。
「われわれは」と、彼は闘鶏のように興奮して歩きまわりながら言った。「歴史上典型的とも言える重大な戦いの一つに参加する特権に恵まれた――これは世界の運命を決定する戦いだった。一種族による他種族の征服を、諸君はどう思うかね? まったく無意味だ。
常に同じ結果が生じる。しかし、時代の夜明けに穴居人が虎に対抗して戦い、象がはじめて自分たちの支配者を発見したこれらの苛烈な戦いこそ、まさに真の征服というべきだ――勝利だけが問題なのだ。不思議な運命のめぐり合わせによって、われわれはそのような戦いの勝敗を決定するのに手をかした。今後この台地は永久に人間の支配するところとなるだろう」 結局このように悲劇的な手段を正当化するためには、強固な信念というものが必要だった。一緒に森の中へ足を踏み入れると、槍や矢で身動きもできなくなった猿人がそこら中に転がっている。ところどころに圧しつぶされたインディアンの死体がかたまっているが、そこは追いつめられて開きなおった猿人が、あばれ狂って彼らを道連れにした場所だった。前方では絶え間なく叫び声とうなり声が聞こえている。インディアンがその方角へ敵を追いつめているのだ。猿人は村まで後退してそこで最後の抵抗を試みたが、またしても打ち破られた。われわれが到着したときはちょうど最後の恐ろしい見せ場がはじまるところだった。生き残った八十人か百人の男たちが、崖のふちに通じる広場に追いつめられていた。二日前にわれわれが救出の放れ業を演じた場所である。われわれが到着すると同時に、槍を持ったインディアンが半円の包囲網をつくって猿人に襲いかかり、あっという間にすべてが終わった。三十人か四十人はその場で死んだ。残りは悲鳴を発し、空をかきむしりながら、かって彼らの捕虜がそうしたように、六百フィート下の鋭い竹やぶめがけて断崖のふちから落ちていった。チャレンジャーの言う通り、これでメイプル?ホワイトにおける人間の将来は永遠に安泰である。男は絶滅し、猿人村は破壊され、女子供は鎖につながれて生きてゆく。はるか昔からの長い対立はかくして血なまぐさく終わりを告げたのだ。
勝利はわれわれにとってもいろいろと利益をもたらした。ふたたびキャンプへ戻って荷物を手にすることができた。また、サンボとの連絡も復活した。そのサンボは崖のふちからなだれをうって落下する猿人の群を遠くから見てすっかり仰天していた。
「早く降りてきなさい!」彼は大きく目をみはって叫んだ。「ぐずぐずしていると悪魔につかまってしまいます」「あれこそ正常な声だ」サマリーが確信ありげに言った。「われわれは多くの冒険をしたが、いずれもわれわれの性格や立場には不向きなものばかりだった。チャレンジャー君、約束通りこれからはこの恐ろしい土地から脱出して、ふたたび文明世界へ帰ることに専念してくれたまえ」