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9.茶壶

时间: 2010-05-15    作者: jp.tingroom.com    进入日语论坛
核心提示:「こんにちは、私はお茶のポットです。私は陶器でできていますのよ。注ぎ口は細くて長くて素敵でしょう。いつでしたか、どなたかがバレリーなの腕のようと、ほめてくださいま
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   「こんにちは、私はお茶のポットです。私は陶器でできていますのよ。注ぎ口は細くて長くて素敵でしょう。いつでしたか、どなたかがバレリーなの腕のようと、ほめてくださいましたわ。取っ手の幅の広さはどう思いまして?なんと申しましても、陶器は私のように上品で、しかもおしゃれでなくては。なにしろわたしは、一流の職人さんが、それはそれは丁寧に作ってくださいましたのよ。」
  お屋敷の台所で、お茶のポットはいるも自慢していました。

  でも、聞かされるクリーム入れや砂糖入れは、ほめるよりも、もっと別のことをよくいいました。

  「とことで、ポットさんの蓋はどうされました?」

  そのことを言われると、ポットは黙ってしまいます。

  蓋は前に一度壊されて、つぎはぎにされ、継ぎ目はあるのです。

  「そうね。誰でも悪いところに目がいくものよね。でもなんと言われても、わたしはテーブルの上の女王よ。だって、のどが渇いている人間を助けてあげることができるんですもの。この注ぎ口が女王の証拠よ。クリーム入れも砂糖入れも、いってみれば家来じゃないの。」

  そんなある日のこと。

  食事のときにだれかがポットを持ち上げた拍子に、床に落としてしまったのです。

  ポットは床で音を立てて、粉々になってしまいました。

  「それから私は、貧しい家の人にもらわれて行きましたの。そこで土を入れられ、球根を埋められましたわ。私は嬉しく思いました。なぜって球根は、私の体の中でグングンと元気に育ち、目を出したのです。そして、朝を、迎えるたびに大きくなり、ある朝見事な花が咲きましたの。花は娘のようなもの。まあ、お礼は申してくれませんでしたが、私は幸福でしたわ。家のひとたちは花を見て、その美しさをほめてくれました。だれかを生かすために自分の命を使うって、うれしいことです。そのとき初めてそう思いました。でも、家の人たちは「こんなきれいな花は、もっと素敵な植木鉢に植ええたほうがいいね」と、花を連れていき、私を庭の隅に放り投げましたの。でも、私をかわいそうなどと思わないでくださいね。ええ、私は思い出がたくさんあるのですから。これだけは、だれにも壊したり、放り投げたりできませんのよ。」

 “大家好!我是一个茶壶。我可是瓷制的哟。我的壶嘴又细又长多漂亮呀。曾经有人夸奖我的壶嘴像芭蕾舞演员的手臂。你看我的壶把儿是不是也很宽啊?不管怎么说,瓷器就应该像我这样高贵,时髦。反正,我是一流的工匠非常非常细心地制作出来的。”

  在富人家的厨房里,茶壶总是这样骄傲。

  但是每次奶油罐和糖罐听到茶壶自吹自擂,不但不赞美它,反而总是提起另一件事。

  “那么,茶壶,您的盖子是怎么搞的?”

  提到盖子,茶壶就没话说了。

  它的壶盖曾经被摔碎过,现在上面还有接缝。

  是啊。谁都会注意到别人的缺点。不过不管怎么说,我才是茶桌上的女王。因为我可以帮助口渴的人们解渴。我的壶嘴能证明我就是女王。说到底奶油罐和糖罐都只不过是仆人罢了。

  可是,有一天。

  吃饭的时候,有人拿起茶壶,一不小心把茶壶掉到了地上。

  茶壶发出很大声响,被摔碎了。

  “后来我就被送给了穷人家。我的身体里面被装进了土。土里埋了一个球茎。我太高兴了。因为球茎在我的身体里茁壮成长,后来球茎发了芽。每天早晨它都会长得更高,终于有一天早上,球茎开出美丽的花。花就像我的女儿一样。虽然没有人感谢我,但我是幸福的。家里人看到花,都夸它开的美丽。用自己的生命培育别人,这是多么让人高兴的事。那时我第一次有了这种感觉。但是有一天家里的人说:“这么漂亮的花,该换个好一些的花盆。'于是他们把花移走了,把我扔到了院子的角落。但是请不要可怜我。因为,我有很多回忆。只有回忆才是谁都无法破坏,无法夺走的。”

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