フジモリ元大統領
5年前、滞在中の東京から本国のペルーへ突然ファクスで辞表を送りつけたフジモリ元大統領が、今度はペルーの隣のチリに現れ、拘束された。逮捕命令を出しているペルーは身柄の引き渡しを要求した。意表を突く、相変わらずの出没ぶりだ。
5年前,原秘鲁总统藤森突然从旅居地东京以传真形式向本国递交了辞呈。这次他出现在秘鲁的邻国智利,并遭到逮捕。下达逮捕令的秘鲁政府要求引渡藤森。藤森这一贯出乎意料的行动方式依然没有改变。
なぜチリを目指したのか。チリ側が引き渡しに応じない可能性が大きいとフジモリ氏がみた、との説がある。チリとペルーは、領海線の解釈を巡って外交関係が悪化しているという。
为何将目标定于智利。有一种说法是藤森认为智利方面不应承引渡的可能性极大。据说智利和秘鲁就领海权问题,外交关系一直处于紧张状态。
隣国同士にありがちな争いにみえるが、両国の間には、19世紀に「太平洋戦争」と呼ばれる戦いがあった。争いの原因は、当時の戦争の主役ともいえる火薬の原料の硝石だった。1879年、国境付近の硝石の産地などを巡って戦い、チリが勝った。
看样子像是邻国之间的纷争而已,但是这两国,在19世纪就曾爆发过"太平洋战争"。战争的原因是战争中发挥主要功能的火药其原料来源硝石。1879年,为了争夺边境附近的硝石产地两国展开了战争,智利取得了胜利。
しかし、国境を巡る問題は長く尾を引いた。フジモリ氏は、ずっとしこりになっていたチリとの国境問題を大統領在任中に決着させ、国家元首として初めてチリを訪問している。
但是,国境问题却留下了难以解决的尾巴。藤森在任期间却解决了这个隔阂,解决了和智利长期以来悬而未决的国境问题。作为国家元首,他是第一个出访智利的。
そんなチリ政府との良好な関係が、今回のフジモリ氏の行動の背景にはあったのかもしれない。しかし、チリ政府にとって、取り扱いを決めるのは、そう容易なことではあるまい。
和这样的智利政府保持着良好关系,或许正是此次藤森行动的背景吧。但是,对于智利政府而言,决定如何对待此事或许也并不是那么简单的事情。
「私は、ここ、両親が生を享(う)けた土地にただ一人でいた。突然、光が私を照らした。長い、しかし決定的な何秒間であった。当面、日本にとどまらなければならない!」。フジモリ氏は、5年前に東京のホテルでしたという「決意」を、「大統領への道」(中央公論新社)に書いている。地球を股にかけた出没を、どんな決着が待っているのだろうか。
世界をまたにかける:(a)広く各国を歩き回る。(b)広く各国にまたがって活躍する。
"我、在这里、独自一人处于父母出生的土地。突然,光明照耀了我。虽然感觉是漫长的,但做出这个决定却只在几秒之内。目前,我必须留在日本!"藤森于5年前,在东京的饭店里,将他的这份"决定"写在了《通往总统之路》(中央公论新社)一书中。等待着活跃于世界各地的藤森,又会是一个怎样的结局呢?