新中国建国前、中国の古い建築体系はまだ数的な優位性を持っていたが、新たに劇場や酒場、旅館などの娯楽、サービス業の建築、および百貨店、野菜市場などの商業建築も現れ始めた。西洋の建築スタイルも見られるようになり上海、天津、青島、ハルビン、大連などの租界あるいは占領された都市には外国の領事館、商店、銀行、ホテル、クラブなどの外来建築も建てられた。そのうち最も早く出現した西洋建築は教会であった。
この時期の重要な特徴は住宅の変化である。近代の住宅様式は大きく2種類に分けられる。1つは伝統的な住宅に由来するもので、例えば里弄、里院、竹筒屋、騎楼などである。もう1つは西洋の一戸建てか長屋住宅に由来したもので、例えば別荘やマンションなどである。この代表格は上海の石庫門の里弄にある住宅である。
このほか近代の民族建築も相次いで現れ、新たな機能や技術、造形と民族文化との融合が実現した。中国で初の建築家と建築学者もこの時期に登場し、現代における中国の古典建築の伝承と発展を研究し続けた。1928年に中国建築士学会が成立した。
南京中山陵
(南京中山陵)
南京中山陵は、中国の偉大な民主革命の先駆者である孫中山の陵墓であり、南京市・東郊外の鐘山にある。陵墓は1つの建築群となっている。山の地形に合わせて徐々に上がっていくような造りで、非常に雄大である。敷地は大きな鐘のような形をしていて、鐘の先端は麓にあたり、半月状の広場となっている。中山陵は南から北へ中軸線が徐々に高くなり、広場、石坊、参道、陵門、碑亭、祭堂、墓室の順に建築物が置かれている。建築スタイルは中国と西洋の融合で、鐘山の雄大さと陵墓内の建物が、広い緑地と階段によって一体となり、壮観そのものである。「中国の近代建築史上の第一陵」とも呼ばれている。
上海和平飯店
上海和平飯店は1929年に建てられ、当初は華懋飯店と呼ばれた。シカゴ学派ゴシック式の建築で、高さ77メートルの12階建てである。花崗岩で造られた外壁、ピラミッド形で青銅瓦の塔楼や回転ドア、広いロビーと廊下、大理石の床と柱、銅製のシャンデリア、9ヶ国のスタイルを集めた唯一無二のスイートルームなどがある。建物全体は重厚かつ華やかで「極東の第一楼」とも呼ばれた。