返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 中国百科(日语版) » 正文

第十四章:古典文学~「詩仙」李白とその詩

时间: 2015-01-13    进入日语论坛
核心提示: 李白は中国唐代の著名な詩人である。自尊心に富み、誇り高く独立心の強い人格や、豪放洒脱、自由でロマン溢れる感情は唐代知識
(单词翻译:双击或拖选)
 李白は中国唐代の著名な詩人である。自尊心に富み、誇り高く独立心の強い人格や、豪放洒脱、自由でロマン溢れる感情は唐代知識人の性格と精神的な特徴を体現している。 
 
 李白(701-762)は原籍が今日の甘粛だが、出身地や家系は今に至るまで謎である。彼の詩からわかるのは、家族は豊かで教養があり、李白は子供のころから読書好きで、剣も上手であった。李白は見聞を広めるため20歳から各地を旅した。見識が豊かで知恵が優れているため、詩作に傑出した業績を挙げた。当時はまだ印刷や交通が発達していなかったが、人々が互いに交流することで、李白は若い頃から広く名を知られていた。 
 
 李白は若いころ官吏になって身を立てようとして、都の長安に来た。知識を学び、政府の試験を受けることは中国古代の文人が一貫して求めたことだが、詩作に優れていた上、有名人から推薦されたため、742年李白は宮廷に入り文官として仕えるようになった。この時期が李白の生涯で最も得意な時期であった。 
 
 李白は生まれつき誇り高い性格で、役人たちの何の新味もない風潮に不満を持ちっていた。いつか皇帝から重責を任せられ、政治上の才能を発揮できることを望んでいた。しかし、皇帝は彼を詩人としかみていなかった上、役人たちが李白の陰口を言ったため、皇帝は李白を信頼しなくなった。李白は宮廷に失望して長安を離れ、天下を放浪し詩と酒に浸る暮らしを始めた。 
 
 李白は生涯の大部分の時間を旅の中で過ごし、この間に自然を歌う詩を多く書いた。李白が詠んだ「蜀道難、難于上青空」、「君不見黄河之水天上来、奔流到海不復回」などは、誇張の手法と生き生きとした喩えで永遠に詠われる名句である。 
 
 李白の詩はこれまで伝わっているものが900篇あまりあり、ほかに散文が60篇ほどある。特異な発想と壮大な作風は読者を魅了し、後の世代に深い影響を及ぼし、「詩仙」と呼ばれている。 
 
 『詩経』『詩経』中国初の詩集『詩経』 
 
 『詩経』は紀元前7世紀に生まれた中国初の詩集であり、史詩・風刺詩・叙事詩・恋歌・戦争歌・労働歌などがすべてそろっている。一人の創作ではないが、ギリシアのホメロスの詩よりも数百年早いものである。 
 
 『詩経』には西周初年(前11世紀)から春秋半ば(前7世紀)まで500年間の約305編の詩が取り入れられている。『詩経』は風・雅・頌の3部からなり、風は15の国の民謡が160編、雅は周朝の都の歌で105編、頌は祭り歌で40編ある。 
 
 形式からいえば四言詩が多く、二言・三言・五言・六言・七言・八言の詩もある。重複語・双声・韵の繰り返しを多く使った変化に富んだ形式で、読んでいて音楽性も豊かである。内容から見れば、風が『詩経』の精粋である。民間から生まれた歌なので装飾が少なく、周の時代の民謡の素朴な姿を表している。風は一般の労働者の暮らしを描いており、例えば若い男女の恋を歌う「関雎」「其東問を出ず」、本人は労働せず他人の成果を奪う奴隷主を歌う「伐檀」や「碩鼠」、戦争を歌う「揚の水」や「君子が役に」などがある。 
 
 『詩経』の作者には様々な人がいる。詩に歌われる身分を作者の身分と考えれば、労働者・兵士・君子や「士」などがいる。「士」は当時の貴族の最下層で、「君子」は貴族を表す。この他の多くの作者は身分が確定できない。 
 
 『詩経』の作品の多くは儀式の一部として使われたもので、娯楽性のあるものや社会や政治に対する作者の考えを表すものもある。後代になると『詩経』は貴族の教育に使われる教材となり、『詩経』の学習は貴族にとって必須の教養であり、中国で最も重要な古典とされた。こうした教育は言葉を美しくする役割を果たし、社交の場で『詩経』の句を詠んで自らの意思を婉曲に表すことがあった。『論語』は孔子の話として「『詩』がなければ、言葉にならない」と記している。 
 
 全体的に見れば、『詩経』は中国文学の輝かしい出発点で、中国文学がとても早くから発展していた証しである。その内容は、労働・愛情・戦争・圧迫や反抗・風俗と結婚・祭典、宴会・天候・地理・動物・植物など中国古代社会の各方面に及ぶ。その言葉は紀元前11世紀から前6世紀までの中国語を理解する重要な手がかりとなっている。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%