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第十五章:民間物語~ポタラ宮の物語

时间: 2015-01-13    进入日语论坛
核心提示: ポタラ宮の物語 神秘な青海チベット高原に、世界で海抜が一番高く最大規模の宮殿式建築群がある。それは雄大で壮観なチベット
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  ポタラ宮の物語 
 
 神秘な青海チベット高原に、世界で海抜が一番高く最大規模の宮殿式建築群がある。それは雄大で壮観なチベット仏教の宮殿式建築、ポタラ宮だ。 
 
 ポタラ宮は西暦7世紀に、吐蕃のソンツェン・ガンポが唐の文成王女を妃に迎えるため建てたもので、"プトロ"または"プト"と訳され、元は観音菩薩が住む島とされたので"第二の普陀羅山"とも呼ばれている。ポタラ宮はラサのポタラ山に建てられ、海抜は3700m、敷地面積は36万m2で、紅宮を中央に、白宮がその前に左右に向けて建造され、紅と白が混じった数層の非常に壮観な建築群である。 
 
 ポタラ宮の中央、つまりポタラ山の最高点はソンツェン・ガンポの修行室だ。ここは岩洞式の仏堂で、中には、ソンツェン・ガンポ、文成王女、ネパールの赤尊王女とソンツェン・ガンポの大臣ルトンツァンなどの塑像が安置してある。これは7世紀の吐蕃時期の貴重な芸術品である。 
 
 ポタラ宮はチベット仏教の典型的な宮殿建築だが、漢民族風の彫刻技術も有している。これは1300年前に、漢民族とチベット族が親戚関係を持った時に残されたものだ。 
 
 7世紀当時のチベットは吐蕃王朝時代にあり、王のソンツェン・ガンポは勤勉に執政に努め民を愛し、吐蕃は日増しに強大になっていった。彼は、中原地区の唐王朝と友好関係を築き、中原の進んだ技術と文化を導入するため唐の文成王女に求婚することを決めた。そこで使者のルトンツァンが土産物を手に唐の都・長安に来たところ、唐の周辺の幾つかの国も才色兼備な文成王女を娶るため使者を派遣して来ていることが分かった。そこで、唐の太宗帝は3つの問を出し、全て答えられた国に王女を娶らせることにした。 
 
 その最初の問題は、庭に上下の太さが同じ10本の材木がある。さて、どちらが根の部分でどちらが先端部分か。賢いルトンツァンは木を水中に放り込み、深く沈んだ方が根の部分だと答えた。根の部分は密度が濃く重いので沈み易いからだと答えたのだ。 
 
 そこで太宗帝は2つ目の問として1つの玉を取り出した。その玉の真ん中には、9つの小さな穴が空いており、その穴は全て玉の中で迷路の様に繋がっていた。太宗帝は使者たちに、「この玉の穴に細い糸を通してみろ」と言った。使者たちは、目を細めて玉の穴に細い糸を差し込んだりしていたが、ルトンツァンだけは違った。1つの玉の穴の口に蜜を塗り、糸で腰を縛った蟻に蜜の匂いを嗅がせ、玉のもう一方の穴の口から中へ入れたところ、蟻は蜜の匂いがする方向へと穴の中を進み、最後には玉のもう一方の口に出てきたのだ。こうしてルトンツァンは又、勝ったのだった。 
 
 太宗帝は今度は第3問として、100匹の母馬と100匹の子馬を一緒にし、どの子馬がどの母馬から生まれたのかを当てさせた。使者たちは、馬の毛色、顔かたちなどを基に色々と工夫したが、いずれも駄目であった。ところがルトンツァンは母馬と子馬を分けて馬小屋に入れ、翌日に母馬を1匹ずつ放したところ、子馬は自分の母が出てきたのを見て一目散に駆け寄り乳を飲んだので、暫くして全て見分けがついた。 
 
 ルトンツァンが全ての問いに見事に答えたのを見た太宗帝は、最後にもう1問出した。それは、500人もの宮女の中から誰が文成王女か当てるというものであった。実は使者たちは誰も文成王女を見たことが無かったので困り果てた。ところがルトンツァンは、文成王女が独特な香水を愛用しており、蜜蜂がこの香水の匂いを好むと聞いていたので、王女を当てる時にこっそり数匹の蜜蜂を持って行き、500人の宮女を前にそれを放したところ、案の定蜜蜂は文成王女の元へ飛んでいった。こうしてルトンツァンは、またも勝ったのである。これを見た太宗帝は、こんなに賢い大臣を遣わせている国王ならば必ずや英明であると信じ、文成王女をソンツェン・ガンポに嫁がせることにした。
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