堯は華夏民族の始祖・黄帝の子孫で、天性聡明、仁愛なる人物であったので多くの人々に尊敬され、16歳にして部落の首領に推挙された。堯が帝位についてから、才徳ある人材を登用し、氏族を団結させた。すべての文官と武官の仕事を監督し、賞罰が厳正だった。また各部族間の関係をとりもち、庶民の生活を安定させた。国は穏やか、政治は清明、世相は和やかだった。
堯の時代に初めて暦法が制定され、労働者は暦法に基づいて時機を失うことなく季節ごとの農事に励んだ。堯の時代は農耕文化が飛躍的に発展した時代でもあった。
堯の時代は洪水に悩まされた時代であり、人間の生活に深刻な影響を与えていた。堯は各部落の首領の意見を聞き入れ、鲧に治水を命じた。
堯が即位してから70年に後継者選びが始まり、各部落の首領は一様に舜を推挙した。これを受けて堯は舜を試してみることにした。
堯は「五典」、すなわち父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝という五つの美徳を以って人民の行為を指導するよう舜に求めた。人民は喜んで従った。堯はまたすべての文官と武官の管理と政務の処理を命じた。さらに国都の4つの門で、謁見に来た諸侯への対応をさせ、最後に堯を一人で山麓の森林へ行かせ大自然を体験させた。
3年の期間を経て堯は帝位を舜に譲った。
舜は生産を大いに発展させ、水路を整備した。舜の時代に農業技術と工業技術は共に飛躍的に発展した。国を治める面で、舜は庶民と苦楽を共にした。庶民たちの衣食問題を解決するだけでなく、国事を批判することで処罰を受けることも撤廃した。この時代に庶民の生活は安定し、礼儀が重んじられた。政治は明朗であり、物質は豊富で、政治、生産、芸術いずれも輝かしい時代であった。その後、舜は帝位を治水で成功を収めた禹に譲った。
堯と舜は聡明な人や才能のある人を選んで重要な仕事を任せた。心を広くもち高尚な徳行が後の世まで伝えられている。