殷墟は中国の歴史上、文献で記載され、考古学や甲骨文字で証明されている初の都の遺構である。紀元前1300年盤庚がここに遷都して以来、紀元前1046年に国が滅びるまで、小辛、小乙、武丁、祖庚、祖甲、廩辛、康丁、武乙、文丁、帝乙、帝辛、計8代12名の国王が273年間統治した。洹水が流れる殷墟は当時の政治、経済、軍事、文化の中心であった。商が滅びた後、殷墟も廃墟になった。
1928年発掘開始以来、殷墟から110あまりの宮殿宗廟遺跡、12基の王陵遺跡、洹北商城遺跡、甲骨の洞窟などが発掘された。これらの宮殿宗廟の建築は黄土、木材を主な建築材料とし、土の土台の上に建てられ、中国宮殿の特色を持ち、古代早期の宮殿建築の先進レベルを代表している。
そのほか、殷墟から数が驚くほどの甲骨文、青銅器、玉器、陶磁器、骨器などの文物が発掘された。殷墟の規模、面積、宮殿の広さ、文物の質、量から、3300年前の商の都の風貌を知ることができる。当時は中国ないし東方の政治、経済、文化の中心であることが分かった。
世界遺産に登録された理由は、中国の王朝で最も古いとされているのは夏で、その次が殷となっていた。この殷墟の発見により、それまで文献の上だけの存在であった殷という王朝が実際にあったことが確認さた。このことから殷墟は2006年に世界遺産に登録された。