一年前の10月、私は有難い機会を得て、東京のある大学を2週間訪ねた。着いた日の夜、持て成してきた千穂さんという女性と巡り合った。彼女は太陽のように眩しかった。黒くてしなやかな髪や洗練された化粧、また温かい微笑みは私の心の琴線に触れた。「初めまして、四年生の千穂です。これからの15日間は皆さんと一緒に楽しく過ごしたいです。何かありましたら、いつでも相談に来てください」と言った。そしてその夜、私はベッドに入った後もずっと彼女のことを思っていた。
翌日の早朝、階段を降りていたところ、食卓のそばに座っていた千穂さんと目があった。なぜかわからないか私は忽ち頭を下げた。
「おはよう。金さんじゃない?」
「は、はい。金立です」。話したいことがいっぱいあったものの、日本語初心者の私にはやはり難しすぎ、うまく話すことができなかった。朝ご飯の後、私達は原宿、渋谷に行った。初めて日本の電車に乗り、窓から外の景色を見ていたところ、「金さんは何歳?」と千穂さんから不意に話しかられた。「私は…18歳だ」「18歳?すごいな」。いつの間にか、私は本当の自分を彼女の前に表したいという気持ちが湧いてきて、彼女と楽しくおしゃべりをした。たぶんあの時から、私達の友情は始まったのだと思う。
まだ覚えているのは、来日して7日目、日本の有名な富士電機に訪問した時のことだ。昼に会社の紹介を聞き、夜は立飲パーティーに参加した。これは当時一年生であったの私にとって、貴重な体験だったが、間違った日本語を使うことが怖くて、弱虫になってしまっていた。
「金さん、どうして黙っている」と貴方は突然私の肩を叩いた。
「でも弱いな私、きっと無理だ」
「そんなことないよ。皆親切だよ。さあ、自信出して」と言ったとたんに彼女は私の手を引いて、ある社員のところに連れて行ってくれた。彼女に励ましてもらった私は、ようやく勇気が芽生え、社員たちといろいろな交流をした。その日は初めて言葉の美しさを実感した。言葉は道具ではなく、自分の本音を吐き、相手に伝えることこそは言葉の価値だと考えるようになった。そのことに気づかせてくれた千穂さんにありがとうと伝えたい。「千穂さん、日本語と私の絆を深くさせて、ありがとう。そして、私達を会わせてくれた運命に、ありがとう。」
日本を去る日、見送りにきた千穂さんは必死に手を振り、微笑んだ。これを見た私は、目からは何か真珠のようなものが流れていた。
学校に戻ってからの一か月間は、授業や試験、サークルなどで忙しかった。以前と同じ毎日を過ごした私は、ある日彼女からのメールを受け取った。「金さん、テストはできた?日本はとても寒くなってきたよ」と書いてある。簡単な挨拶なのに、なぜか堪え切れず涙が零れた。日本での千穂さんとの思い出達が目の前に浮かんだ。それは、甘美で花のような思い出だ。
しかし、ショックも受けた。高校の親友に千穂さんのことを話した。すると彼女は信じがたい顔をして、「まじ?」と言った。実は私もよく知っている、昔日本と中国の間に怨念があるのは確かだ。しかし、その怨念に囚われていたら、両方の恨みを買うだけで何も利益を得られない。そもそも中日両国は切っても切れない絆のある隣国だ。経済大国の日本には学ぶべき価値のあることがたくさんあると思う。その上、日本人も中国人も同じ世界で存在している人間だから、違った考え方と行動方式は両国の付き合いを妨げる障害になるわけにはいかない。2012年ロンドオリンピックの際に、日本と中国の選手は何度も一緒に表彰台に立ったり、抱き合ったり、勝利の喜びを分かち合ったりした。こんな場面を見るたびに、胸が詰まった。日中の絆は永遠に否認できないものだ。この絆を育むために、両国民は尊重し合い、共通の発展を追ってこそ、両国の信頼関係を結べるのではないか。
千穂さん、貴方はどう思う?私達はただ普通の民衆にすぎないとはいえ、中日の友好関係を心から真摯に願っている。毎年、中日両国の姉妹校は交換留学生を派遣することになっている。したがってこの機会を通じて、今後たくさんの日本人と中国人が私達二人のような友情を持つことが見通せる。私もこの機会を通して千穂さんが大好きになった。この気持ちは国境を越え、偏見を破る力があり、いつまでも変わらない。だから、私達の間の絆をもっと強く、もっと大切にしていきたい。
本学期、私は日本の大学に留学に行く予定だ。それで、千穂さんと再び会うことができれば、最高な幸せだと言っても過言ではない。その時はぜひ彼女の手を握り締めて、日本の美しさを思い切り味わいたい。千穂さん、いい?