正定は、歴史が長く古い町ですが、三国時代の趙雲廟、隋の時代の隆興寺のような名所旧跡でもあり、中国国家卓球訓練センター、国際的な日用雑貨卸売市場など代表的な現代化された建物もあります。私が日本の方たちに会ったのは、その国家卓球訓練センターでのことでした。
考えてみれば、少し決まりが悪く、五年間も日本語を習ってきたのに、私は通訳者として日本人と交流した経験が一度もありませんでした。また、いつも「自分は実力が弱すぎる。」と心配ばかりしていたため、日本人に会ったら、なんだか緊張して心細くなってしまいました。しかし、私は通訳という仕事に非常に憧れています。自分の夢に背きたくなく、私は試練を乗り越える覚悟を決めました。従って、面識のない人との付き合いが苦手な私は夏休みに、手伝いだけでもいい、経験をするだけでもいいと、外国人の選手達が集まる国家卓球訓練センターに通いました。
今年で丁度、中日友好四十周年という節目を迎えます。記念行事の一つとして、「中日友好都市中学生卓球交歓試合」が8月17日から20日まで北京で開催されました。各参加チームは、友好都市同士、男女混合の4人で構成されています。正定を統轄する石家庄市は長野市と姉妹都市で、8月15日に長野市の選手一行6人を迎えました。
日中友好協会のメンバーで責任者の峰村さんは、一見厳しそうな顔でした。私が僅かな自信を持ち、また例の心配で不安に駆られました。
「こんにちは。」
と私が挨拶すると、峰村さんは優しい笑顔で、それも何と中国語で
「你好(こんにちは)。」
と返事をしてくれました。思ってもいなかったので私は驚きましたが、峰村さんが親しく感じて、とても嬉しく、気持ちも少し落ち着きました。
「峰村さん、中国語ができるんですか?」と私は聞きました。
「少しだけですよ。」と、眼鏡の奥から温かい眼差しで答えてくれました。
「少しだけ」とは言え、私は非常に安心しました。簡単な会話で心の距離を縮められることは、とても不思議でした。
日本側の選手二人は、中国側の選手二人と新しいチームを組み、四人で卓球交歓試合に出場しました。簡単な挨拶を交わした後、四人はさっそく練習試合を始めました。
穴山慧くん、負けず嫌いな14歳の男の子です。最初は自信満々で試合に臨んでいましたが、結局、中国側の同年の耿くんにすっかり負けてしまいました。悔しくてたまらなかった穴山くんは、休憩時間に一人で体育館の隅へ行き、頭を壁にそっと叩き突けており、悲しそうな姿でした。その様子に気がついた中国側のコーチの陳さんは、穴山くんを慰めながら技の欠点を指摘していました。その会話を通訳した時、私は言葉遣いに気を付けながら、陳さんの気持ちを伝えました。ようやく明るい表情を見せた穴山くんは、微笑んで
「ありがとう。」
と答えてくれました。この瞬間、私は通訳者としての誇りをしみじみと実感しました。
午前中の試合を通じて、双方の選手たちは徐々に相手のコンビに慣れていきました。昼休みの後、四人は興味津々に鉛筆や紙を使ってコミュニケーションを取り始めました。意味が伝わらない所は私が通訳しました。友好的な雰囲気に包まれ、私も非常に嬉しかったです。
実のところ、日本側にも通訳の方が付き添っていました。その通訳の方は雑談をしていた際に私が今回初めて実際の現場で通訳をしたと分かると、
「そうですか、デビューおめでとう。」と言ってくれ、「じゃあ、これからは李さんが主役を務めましょう。私が補助しますから。」
その言葉を聞き、なんて優しい方なんだろうと感激しました。ベテランの彼女が私の気持ちを思いやってくれ、通訳を鍛える良いチャンスを与えてくれました。そのことに私はとても感動しました。
午後は観光でした。観光した場所は正定の人たちが誇りとする、八大寺の一つで最も悠久な歴史を持つ隆興寺でした。ガイドの案内に従って、私たちは神聖且つ閑寂な古刹を訪れました。途中私の通訳が行き詰まった時、峰村さんと日本側の通訳の方がいつも優しく助けてくれ、私の苦しい状態を打開してくれました。
穴山くんは、やっと負けた悔しさから立ち直り、本来の無邪気で明るい笑顔を見せていました。そこの庭には、樹齢五百年のアカシアの木が植えられ、その周りを三周すると幸せになるという言い伝えがあります。穴山くんが男の子らしく元気に駆け出し、楽しそうに木の周りを回り始めました。そこにいた全員が彼の可愛さを微笑ましく思い、和やかなムードが漂っていました。この時、中国側と日本側の絆がますます深まったなと私は感じました。
幸運なデビューでした。
楽しい観光が終わり、いよいよお別れの時間になりました。峰村さんが日中友好協会の記念バッジを私に贈ってくれ、握手をして別れを告げました。穴山くんも持っていた塩飴をくれました。私はとても感動し、自分で書いたカードを彼にあげました。
黄金の夕日を浴び、名残惜しい別れを思い出し私は少しだけ悲しくなりました。今回出合った方たちと、今後再び会うことはないかもしれません。しかし、この日深まった中日友好の絆は、きっと私の心に一生刻まれることでしょう。正にこの時、私は通訳者としての責任と誇りをしみじみと感じたのでした。それに、例の心配はもうなくなり、勇気も湧いてきました。
きっと明日はもっと晴れることでしょう。通訳をした経験も、中日両国の友好も。