ある日のことです。日本の姉妹校から交流団がやってきました。私は田中千理さんという方の案内役を担当することになりました。日本のお客さんが来たら、豫園、バンド、新天地への見学が定番となりました。バンドの素晴らしい夜景を彼女に見せたいので、翌日、バンドへ行く約束をしました。
ゴールデン・ウィークなので地下鉄の混雑を考慮して、二人はいつもより早めに出ました。でも、地下鉄に着いたら、もう目眩しいほどの長蛇の列です。ラッシュだから、人が多くて、とても騒々しい。視線の及ぶところ全部人間の波です。私たちは人の流れに揉まれて、ようやくホームに入り、行列の後ろに並びました。その後、わたしのうしろはプリーフケースを持っておじさんが並んでいました。彼は時々時計を見て、急ぎ事でもあるかのようです。とうとう電車が来ました。みんなは我先に電車に乗るために、列が一瞬で崩れてしまいました。後ろの人に押されながら、私と千理ちゃんが電車に押し込まれました。
後ろにいるあのおじさんも無理矢理に乗り込もうとした。でも、車内はすでに缶詰なので無理です。彼は諦めずに額の汗を拭きながら、もう一度チャレンジした。やはり無理だった。見る見るうちにドアが閉まろうとした。「あの、私たち、もう少し奥へ詰めましょう」と、千理ちゃんは私を引っ張って言いました。私はいやいやながら手に下げたハンドバッグを胸に抱えることにして、一本の木のようにまっすぐ立たされました。おじさんはちょっとした隙を見て辛うじて電車に入り込みました。
ぎゅう詰めの地下鉄を出てようやく開放されました。千理ちゃんとまた先のおじさんのことを話し始めました。「あのおじさん、いやだわ。次の電車に乗ればいいんじゃ。私、知らない人と顔を付き合わせるのがいやだわ」と文句をもらした。千理ちゃんは微笑みながらこう話した。「そうだわ。まったく知らない人だからね。でも、あのおじさんは急用があるかもしれません。思いやりの心をもって一寸だけ譲っただけであのおじさんは電車に乗れました。だれにでもいつか急用があるではないでしょうか」。千理ちゃんの優しい考えに返す言葉を失いました。
今回の民間交流を通して、譲り合うことの大切さを改めて考えさせられました。今の社会ではもっとも足りないのはこの一寸ばかりの思いやりではないでしょうか。あの先哲である孟子の教えには辞譲之心、礼之端也というのがあります。つまり、譲り合う心は礼の始まりだという意味です。思うに今日の中日関係についても同じことが言えるのではないでしょうか。自国の都合だけではなく、常に譲り合う心、つまり、一寸ばかりの思いやりを持つことが何より大切です。