第四節 公害
公害には、地盤沈下や大気汚染のようにたくさんの原因が重なって起こる都市公害と、ある特定の工場が住民に被害を与える産業公害とがある。日本は、明治維新以来120年余にわたる急速な経済成長の中で、深刻な環境問題を経験してきた。とくに、第二次世界大戦後、重化学工業を中心とする高度経済成長の過程で公害は全国規模で発生し、環境破壊はすさまじい勢いで進行した。
都市公害では、工場・自動車・家庭などによる大気汚染、工場・生活排水などによる河川や海・地下水などの水質汚濁、交通機関や工場・店・建設工事などによる騒音・振動、高層建築や家の建て込みによる日照の低下など、都市特有の公害現象である。また、沖積低地にある都市では、地下水の過剰揚水などにより地盤沈下が起きる。東京の江東区ではこれによって広いゼロメートル地帯ができた。東京・大阪などでは揚水規制をした結果、地盤沈下はほぼ止まったが、規制からもれた周辺の都市で沈下が始まり、東大阪・茨木・浦和・河口などで年間30cmも沈下するところがあった。
近年、大都市の緊急課題となっているものに廃棄物問題がある。事務所・工場・家庭などから出る産業廃棄物や一般廃棄物(ゴミ)は、産業の発展や生活水準の向上によって、大量に、また加速度的に増え続けている。東京都内で発生した廃棄物の約60%が他県で処理されているなど、「越境廃棄物」が地元との摩擦を引き起こしている。廃棄物の中には資源として回収できるものもあることから、福島県いわき市や千葉県松戸市などでは、住民の協力のもとに廃棄ゴミの減量運動を進めている。また、東京都目黒区や世田谷区など、市民が中心となって、ゴミのリサイクル運動を進めているところもある。廃棄物問題には、国政レベルでの抜本的な対策が必要であろう。
産業公害では、銅や亜鉛などの鉱山からの有毒な排水による河川の汚染や精錬に伴う排煙による大気汚染が、足尾(栃木県)、別子(愛媛県)、日立(茨城県)、神通川流域(富山県)などで農作物や住民の健康に著しい被害を与えた。また、水力発電に依存した化学工業の勃興とともに、有機水銀の流出によって水俣湾(熊本県)や阿賀野川(新潟県)を汚染し、そこでとれた魚を食べた人々の多くが健康を害し、死亡する水俣病が発生した。水俣病が発生するとき、手足が痺れ、酷い場合は気が狂って死んでしまう。長い間、病気の原因がはっきりわからず、被害者は苦しい生活を続けていた。その後、この病気は水俣市にある窒素の会社の工場廃水の中にメチル水銀が含まれており、それが魚や貝に入り、それを食べたために起こった水銀中毒だと分かった。
また、イタイイタイ病は、川の上流にある鉱山から出される廃液の中に含まれていたカドミウムが原因で、流域に住む人々の中に手足が痛くなり、骨が簡単に折れる病人が出た。この病気になった人は「痛い、痛い」と言いながら死ぬので、イタイイタイ病と言われるのである。
高度成長に伴う急速な重化学工業化のなかで、製鉄所、製油所、化学工場、火力発電所が集中するコンビナートで大気が汚染され、四日市(三重県)や川崎(神奈川県)で多くの人々が喘息におかされた。四日市には大きな石油コンビナートがあり、そこから出る亜硫酸ガスで空気が非常に汚れた。そのため、沢山の人が喘息になり、死んだり、苦しくて自殺する人も出た。また瀬戸内海や洞海湾(福岡県)などでは工場群からの排水によって海洋が汚染され、、漁業被害が続出した。
こうした地域の環境汚染に対して、各地で住民運動が起き、「公害裁判」が行われ、有害物質を排出した企業の責任が厳しく問われた。また、1967年に公害対策基本法が公布され、工場や自動車が排出する有害物質に対する規制が強化され、企業の公害防止技術も飛躍的に向上し、大気汚染や水質汚染は大幅に改善された。また、特定地域の環境を保全するため1972年には自然環境保全法が公布され、1997年に環境アセスメント法が成立した。