(すがわら‐の‐みちざね)
平安前期の貴族?学者。是善の子。宇多天皇に仕えて信任を受け、文章博士?蔵人頭?参議などを歴任、894年(寛平6)遣唐使に任ぜられたが、その廃止を建議。醍醐天皇の時、右大臣となったが、901年(延喜1)藤原時平の讒言により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、配所に没。書をよくし、三聖の一。「類聚国史」を編し、「三代実録」の撰に参与。詩文は「菅家文草」「菅家後集」に所収。死後、種々の怪異が現れたため御霊(ごりよう)として北野天満宮に祭られ、のち学問の神として尊崇される。菅公(かんこう)。菅丞相(かんしようじよう)。菅家(かんけ)。(845~903)