(ござんぶんがく)
五山禅林において行われた文学で、漢詩文を表現の手段とする。鎌倉時代から江戸時代の初期にかけて膨大な数の作品がつくられたが、もっとも盛んであったのは南北朝時代から室町時代の前期にかけてである。
五山とは、五つの臨済{りんざい}宗の大寺院を意味し、幕府の定めた寺格の最上位を占めるものである。五山の寺数とその序列はときによって変動しながら、1386年(元中3?至徳3)にほぼ最終的に次のように決定した。五山第一から第五まで、鎌倉では建長寺?円覚{えんがく}寺?寿福寺?浄智{じょうち}寺?浄妙寺。京都では天竜{てんりゅう}寺?相国{しょうこく}寺?建仁{けんにん}寺?東福寺?万寿{まんじゅ}寺の各五寺で、この鎌倉五山、京都五山の10寺の上に南禅寺が置かれた。以上の11か寺を五山(叢林{そうりん})と称する。五山文学というとき、この五山制度内の寺院を活躍場所とした禅僧の文学に限る場合があるが、五山制度外の禅寺をも含んだ中世の禅林全体の文学を概称するのが穏当である。