自由民权运动
明治初期,藩閥専制政治に反対し国会開設・憲法制定などを要求した政治運動。1874年(明治7),板垣退助らによる民撰議院設立要求に始まり,国会期成同盟を中心に全国的に広まった。運動は81年,10年後の国会開設を約束する詔勅を引き出し,自由党や立憲改進党などの政党結成へと進んだが,政府の弾圧強化と運動内部の対立,福島事件や加波山事件など激化事件が相つぐなかで衰えた。しかし国会開設が近づくと,旧自由党の星亨らは86年民権派の再結集を呼びかけ(大同団結運動),87年,三大事件建白運動が起こり,全国から自由民権家が上京した。それに対し政府は保安条例を出して在京の民権派を東京から追放し,運動は鎮圧された。