「パパ、ママ、私を探(さが)さないでください」
書き置きをしたのは、それから半年近くたってからのこと。
自由な校風の中で目いっぱいエネルギーを発散させていた。親から車の運転を禁止されたけど、運転したいさかりを半年近くもがまんし、夏休みを迎(むか)えた。たまたまお盆休みに両親が二泊三日で大阪に旅行し、私が留守番(るすばん)をすることになった。
夕方には両親が大阪から帰宅することになっていた留守番三日目、とても蒸(む)し暑い夏の日だった。その日は予備校で英会話の勉強がある日。でも、吉祥寺(きちじようじ)の予備校まで電車で行くのはかったるい。両親の留守をいいことに、父のベンツを拝借(はいしやく)して、それで行こうと考えた。
ベンツのキーはあったけど、取り上げられていた免許証がない。父の書斎(しよさい)を探しまわると、机の引き出しにそれを発見。これさいわいと自分のポーチに入れて、ベンツでさっそうと予備校へ。
なんて、かっこよくいかなかった。予備校の前の有料駐車場に乗り入れたところで、先に駐車していたどこかの車にドスン。あわてて降りてみたら、右のウインカーがむしりとられるように壊(こわ)れていた。もう、目の前が真っ暗。
運転禁止を破り、さらに父の車を無断で……二重の罪(つみ)を犯(おか)したうえに、壊してしまった。
このままじゃ、私は間違いなく父に殺されちゃう。なんとかしなきゃ。
本気でそう思った。
こちらの車はウインカーが壊れただけだったが、相手の車はペコンとへこんでしまった。でも、表(おもて)ざたになったら、いやでも父に知れてしまう。警察ざたになるより、そっちのほうがはるかにこわかった。
ここは、逃げるしかない!
予備校どころではない。私は壊れたウインカーの破片(はへん)をかき集めて運転席に戻(もど)り、大急ぎで駐車場の出口に向かった。こういうのを“当て逃げ”というんだろう。
どこをどう走ったか、よく覚えていない。とにかく一目散(いちもくさん)に自宅に逃げ帰った。しばらく一人で泣きながら、どうしよう、どうしようと部屋の中を歩きまわっていた。ふと、そのころ付き合っていた彼の友だちがベンツの代理店に勤(つと)めていることを思い出し、すぐに電話を入れた。
「パパのベンツ、無断で乗って壊しちゃったんだけど、どうしたらいい。ねえ、ヤナセに勤めてる友だち、いたよね」
「落ち着いて、落ち着いて。車から車検証を持ってきて、読んでくれる?」
車検証を持ち出してきたけど、気がすっかり動転していて、なにをどう読んでいいのかわからないから、ファックスで送った。
彼とその友だちがやってきた。
「あいにく今日は工場がお盆休みで、だれもいないんだよ」
「それじゃあ、困る。もうすぐパパたちが帰ってくる。車を運転したことがバレたら、そのうえ、ぶつけたなんてわかったら、私、パパに殺されちゃう」
私は自分のことしか考えていない。
「大丈夫(だいじようぶ)、なんとか工場は開けてもらえると思うし、そうすれば部品も調達できる。とりあえず、車を借りるよ」
とにかく待っているしかなかった。私はうまくいかなかったときには本気で家を出るつもりで、身支度(みじたく)をととのえ、書き置きをした。
「私を探さないでください」
私はよくよく運がいいのかもしれない。酔(よ)っぱらい運転して人身事故にいたらなかったのも、あの状況から考えたら奇跡(きせき)に近い。
戻ってきた車には、ちゃんとウインカーがついていた。まるでなにごともなかったかのように。見事としかいいようがない。
よくほかのところに傷がつかなかったものだ。私って、よほどぶつけ方がうまいんだな……なんて、当て逃げされた被害者のことなど考えもしないで、胸をなでおろしていた。免許証をもとの場所に戻して、あとは知らん顔。
間一髪(かんいつぱつ)とはこのこと。両親が帰宅したのは、それから四十分後だった。バレやしないかと内心(ないしん)ビクビクしていたけど、いまだになにも言われていない。
「ねえ、パパ、私、もう半年もがまんしたんだから、そろそろ免許証を返してくれてもいいんじゃないかな」
懲(こ)りない女、バレてないとわかったら、いい気なもんで、もうこの始末(しまつ)。甘(あま)い男、それはパパ。
「うーん、そうだな。よし、わかった。許(ゆる)す」
免許証まで返してもらっちゃった。