餅の的
昔 々むかし、田野たのという所ところの、田舎いなかの人達ひとたちは、その年としも、去年きょねんも、おととしも、お米こめがよく取とれたので、皆みんなが大喜おおよろこびでした。そこは、お米こめを作つくるのに、大変たいへんよい土地とちだったのでしょう。
日照ひでりと言いって、少すこしも雨あめが降ふらないで、田たに水みずが無なくなったら、稲いねはうまく育そだちません。反対はんたいに、長ながい雨あめが降ふり続つづいても、稲いねは、うまく実みのりません。お米作こめづくりは、なかなか厄介やっかいな仕事しごとなのです。
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ところが、田野 たのの人々 ひとびとは、あんまりお米 こめが取 とれるので、だんだんお米 こめのありがたいことを忘 わすれてしまうようになってきました 。「取とれたお米こめで、お酒さけを作つくって飲のもう。」一人ひとりが言いうと、「お米こめで餅もちを搗ついて、腹はらいっぱい食たべよう。」他たの一人ひとりは、そんなふうに言いいます。その内うちに、銘銘めいめい [1] が、自分じぶんの家いえで食たべたり、飲のんだりしているだけではつまらなくなりました。そこで近所 きんじょの人 ひとが大勢集おおぜいあつまって、皆 みんなでご馳走 ちそうを食 たべたり、お酒 さけを飲 のんだりするようになりました 。お酒を飲のむと、皆みんなは、馬鹿ばかに嬉うれしくなって、「それっ、歌うたを歌うたえ。」「それ、踊おどりを踊おどれ。」皆みんなはいい気きになって、何日なんにちも何日なんにちも遊あそび暮くらしていました。
ある日ひ、若わかい男達おとこたちが何人なんにんか集あつまった時ときに、その中なかの一人ひとりが、「どうだ、ここに鏡餅かがみもちがある。この餅 もちを的 まとにして、だれが一番上手 いちばんじょうずに矢 やを的 まとに当 あてる [2] ことができるか、その腕比 うでくらべをし [3] てみようではないか 。」そう言いって、大おおきな丸まるい餅もちを見みせました。
「へえ、餅もちの的まとか。これは、見みたことも聞きいたこともない話はなしだ。面白おもしろい。さっそくやるとしよう。」若わかい男達おとこたちは、ワイワイ [4] 言いいながら、鏡餅かがみもちに紐ひもを付つけて、庭先にわさきの木きの枝えだに吊つり下さげました。
「さあ、誰だれでもよい。やってみろ!」皆みんなが見みていると、一人ひとりの男おとこが弓ゆみに矢やをつがえ [5] 、餅もちの的まとを目めがけて、ヒュッ!と放はなちました。すると、餅もちに矢やが当あたったとたんに、「ああっ!」不思議ふしぎなことに、餅もちは真まっ白しろい鳥とりになって、南みなみの空そらを目指めざし、遠とおく遠とおく飛とんで行いってしまいました。後あとには、木きの枝えだから吊つり下さがった紐ひもだけが、フワリフワリと [6] 、風かぜに揺ゆれているばかりです。
これから後あと、この田野たのという所ところは、少すこしもお米こめが取とれなくなって、貧乏びんぼうになってしまったということです。
[1] 「銘銘」,名词。各自、各各。
[2] 「的に当てる」,射中目标。
[3] 「腕比べをする」,比赛。
[4] 「ワイワイ」,副词。大吵大嚷。
[5] 「弓に矢をつがえる」,给箭搭上弓弦。
[6] 「フワリと」,副词。轻飘飘地。
年糕靶子
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很 久以前,在一个叫“田野”的地方,前年、去年和今年,连续三年大米丰收,村民们都很高兴。这是因为那里的土地非常适合种大米。
如果只有阳光,一点儿也不下雨,田里就没有水,那么水稻便长不好。相反,若是长时间持续下雨,水稻就不结果实。种植大米真是一个麻烦的事情啊。
然而,“田野”的人们因为收获了很多大米,逐渐忘记了大米的宝贵。有人提议说:“用收获的米酿酒喝吧。”另一个人建议道:“用米捣年糕,吃个饱吧。”后来,大家觉得各自在家中吃吃喝喝十分无趣。于是,大伙儿就把附近的人召集起来,一起开怀畅饮。几杯酒下肚,大家都兴奋起来,“来!唱首歌吧。”“来!跳支舞吧。”大家兴致勃勃,每天都在嬉戏度日。
有一天,几个年轻男子聚在一起,其中一人说:“怎么样?这里有个圆形年糕。以这个年糕作为靶子,我们比一比谁射得最快最准好吗?”说着他拿出一个大大的圆形年糕。
“咦?年糕靶子?这可是从来没看过也没听过的新鲜玩意呀。真有趣。那就快动手吧!”年轻男子们一边吵吵嚷嚷,一边用绳子系起年糕,把它吊在庭院里的树枝上。
“好啦!谁都可以。开始吧!”众人只见一个男子拉弓上弦,眼睛瞄准年糕靶子,“嗖!”地放了箭。突然,大家“啊!”地惊叫起来,原来,就在箭射中年糕的一瞬间,那年糕竟然变成了一只雪白的鸟,朝南方的天空,远远地飞走了。只剩那根垂吊在树枝上的绳子,轻轻地随风摇曳。
据说自此以后,这个叫做“田野”的地方,稻米颗粒无收,村民渐渐变得贫穷起来。
语法详解
(1)動詞の連体形+ようになる
表示能力、状态、行为的变化。相当于“变得……了”。
* 子供が歩けるようになった。
小孩逐渐会走了。
* 原作が読めるようななってきた。
现在已经能看原著了。
* 共働きをしていると、夫も家事をするようになる。
夫妻两人都工作时,丈夫也变得开始做家务了。
(2)動詞の推量形(う)ようではないか
强烈表示自己的意志、想法、意见或劝诱对方一起行动。相比「…うか」「…ましょうか」,含有更强的驱使对方的语气,主要为男性用语,女性一般用「…ましょう」的形式。相当于“何不……呢?”“让……吧”“不该……吗?”
* 皆で明るい未来を築こうではないか。
让我们大家一起创造美好的未来吧。
* 困っている人にはできる限り手を貸してあげようではないか。
尽可能向困难的人们伸出援助之手吧。
* これを機会に、たびたび会おうじゃないか。
以今天的见面为契机,以后就多来往吧。
小知识
鏡餅
餅を神仏に供える正月飾りであり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物である。鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。
三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降である。三方にのせ、重ね餅にして飾りたてる。普通2個を重ねるが、3個の所もあり、それにダイダイ、イセエビ、干し柿、昆布、ウラジロなどを添える。1月11日の鏡開きに家人が食べ、あるいは6月1日まで残しておいて歯固めにする例も多い。
镜饼
将年糕供奉给神佛的一种正月装饰,也是给作为谷物神的“年神”的贡品。因形似古代的镜子而得名“镜饼”。也有人说是因为形状像三种神器之一的八咫镜而得名。室町时代,日本的房屋开始出现壁龛,如今供奉年糕的形式正是起源于那个时候。将年糕重叠,放置在三宝台上(注:三宝,带座的白木四角方盘。用于神佛和贵人供献供品。)。一般是2个叠起来,有些地方也有3个叠起来的,上面放置橙子、龙虾、柿子饼、海带干、羊齿等加以装饰。1月11日举行吃供神年糕的仪式,全家人一起吃年糕,有些地方还有将年糕留到6月1日再食用的“健齿”(因齿有“龄”之意,故用“健齿”寓祝健康长寿之意)的习俗。