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不死の薬(1)_小川未明童話集_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:不死の薬小川未明一ある夏なつの夜よるでありました。三人にんの子供こどもらが村むらの中うちにあった大おおきなかしの木きの下
(单词翻译:双击或拖选)
 


きみ! 金峰仙きんぷせんって、あのやまかい。」
といっておつは、あちらにえるやまほうしてへいいました。
「ああ、あのやまだって、んだおじいさんがいったよ。」
へいこたえました。
きみはそのはなしをおじいさんからいたのかい。」
こういました。
「ああ。」
と、へいかるくそれにこたえて、またはなしつづけました。
天子てんしさまは家来けらいをおあつめになって、だれかそのくすりってきてくれるものはないかともうされました。みなのものはかお見合みあわして容易よういにそれをおけいたすものがありません。するとそのなか一人ひとり年老としとった家来けらいがありまして、わたくしがまいりますともうました。天子てんしさまは、ごろから忠義ちゅうぎ家来けらいでありましたから、そんならなんじにその不死ふしくすりりにゆくことをめいずるから、なんじひがしほううみわたって、絶海ぜっかい孤島ことうにゆき、そのくに北方ほっぽうにある金峰仙きんぷせんのぼって、不死ふしくすりり、つつがなくかえってくるようにと、くれぐれもいわれました。
その老臣ろうしんは、つつしんで天子てんしさまのめいほうじて、御前ごぜんをさがり、妻子さいし親族しんぞく友人ゆうじんらにわかれをげて、ふねって、ひがしして旅立たびだちいたしましたのであります。その時分じぶんには、まだ汽船きせんなどというものがなかったので、かぜのまにまになみうえただよって、よるひるひがししてきたのでありました。
老臣ろうしんふねうえで、よるになればそら星影ほしかげあおいでふねのゆくえをり、またあさになれば太陽たいようのぼるのをてわずかに東西南北とうざいなんぼくをわきまえたのであります。そのほかはなにひとつまるものもなく、どこをても、ただ茫々ぼうぼうとした青海原あおうなばらでありました。あるときはかぜのためにおもわぬ方向ほうこうふねながされ、あるときはなみられてあやうくいのちたすかり、幾月いくつき幾月いくつきうみうえただよっていましたが、ついにあるのこと、はるかの波間なみましまえたのでおおいによろこび、こころはげましました。
その家来けらいしまがりますと、おもったよりもひろくにでありました。そこでそのくにひとかって金峰仙きんぷせんというやまはどこにあるかといってたずねましたけれど、だれひとりとしてっているものがなかったのです。
その時分じぶん大昔おおむかしのことで、まだこのあたりにはあまりんでいるものもなく、みちひらけていなかったのでありました。家来けらい幾年いくねんとなくそのくにじゅうをさがしてあるきました。そして、ついにこのくににきて、金峰仙きんぷせんというやまのあることをいて、艱難かんなんおかして、そのやまにのぼりました。
「そんな年老としとった家来けらいが、どうしてあんなたかやまにのぼったのだい。」
こう不思議ふしぎそうにしてへいいました。
「ほんとうに、あのやまへはだれものぼれたものがないというよ。」
おつこえをそろえていいました。
「いつであったか、探検隊たんけんたいのぼって、そのうちでちてんだものがあったろう。それからだれものぼったものがないだろう。」
こうがいいました。
「だけれど、その家来けらいはいっしょうけんめいになって、のぼったんだって、おじいさんがいったよ。」
へいがいいました。
「そうかい。それからどうなったい。」
熱心ねっしんおつこう二人ふたりいました。へいはまたかたつづけました。
やまのぼると、巫女みこがいったようにいしさかずきがありました。そしてそのなかきよらかなみずがたまっていました。家来けらいたずさえてきたちいさな徳利とくりなかにそのみずれました。そしてはやくこれをたずさえて、くにへもどって天子てんしさまにさしあげようとおもって、やまくだりました。
家来けらいやまくだって、海辺うみべへきて、毎日まいにちその海岸かいがんとおふねていたのであります。けれど、一そうもにとまりません。毎日まいにち毎日まいにちおきほうては、とおふねていますうちに、そのかいもなく、ふとやまいにかかって、それがもとになって、とお異郷いきょうそらでついにくなってしまいました。
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