ところで、合格と決まったことから、
(じゃ、来年になったら放送に出るのかな)
と、漠然《ばくぜん》と考え始めたトットは、あることを思い出して、
「あー!」といった。
それは、数年前の中学三年の頃《ころ》のことだった。ある土曜日、同級生の友達《ともだち》の家に遊びに行った帰り道。「途中《とちゆう》まで送っていく」という友達と二人で、池上線の長原の駅前まで来たときだった。トットは、小さい机を道端《みちばた》に出して、そこに�手相を見ます�という布をたらして座《すわ》ってる、若いおじさんというか、お兄さんのような人を見つけた。へーえ、と思ってトット達が、その前を通りかかると、
「どうですか? 手相、見ますよ?」
と、その人がいった。手相なんていうのは、大人の見てもらうものと決めていたトットは、びっくりした。でも、その二十七、八|歳《さい》くらいの、ねずみ色の、よれよれの着物を着た、小柄《こがら》な人は、やさしそうだった。その頃の日本人が、みんなそうであったように、栄養が悪そうな、白っぽい顔をしていた。トットは、何だか、どうしても、見てもらいたくなった。冒険《ぼうけん》のような気がしたからだった。見料も、トットのお小遣《こづか》いで足りるくらいだった。お財布《さいふ》の中味を確かめ、もじもじしてる友達を説得して、トットは、
「おねがいします」
と、手を出した。その日、トットは、大切な兎《うさぎ》のぬいぐるみを抱《だ》いていた。アメリカのララ物資だか、放出物資の中から、偶然《ぐうぜん》、教会を通して、トットの手に渡《わた》った、当時としては珍《めず》らしい、しかも、トットが何より欲《ほ》しいと思っていた、動物の、ぬいぐるみだった。アメリカ人の子が、寄付してくれた、その兎は、小さくて、フワフワして、トットの宝物だった。トットは、兎を抱いていないほうの手を出した。トットは小さい時から、いつも汚《きた》ない手をしてるので有名だった。知らないうちに、歩きながら、ほうぼうを触《さわ》ったりするらしく、全体に、薄黒《うすぐろ》く、汚《よご》れていた。それは、女学生になっても同じで、その時も手を出してから、(ああ、汚ない手!)と思ったけど、もう遅《おそ》かった。でも、お兄さんは平気で、そのトットの手をとると、天眼鏡で、しばらく、じーっと手のひらを見て、それから、手を離《はな》すと、「そっちの手を見せて下さい」といった。兎を持ちかえて、もう片っぽを出すと、そっちは、もっと汚れていた。
「ごめんなさい。汚なくて」
トットがいうと、お兄さんは、笑いながら、
「大丈夫《だいじようぶ》ですよ」といった。
若いのに、少し疲《つか》れているような笑い顔だった。お兄さんは、手のひらだけじゃなく、横とか爪《つめ》とかを見ると、手をはなした。
そして、トットの顔を見ると、いった。
「結婚《けつこん》は、遅いです。とても遅いです」
トットは、友達と顔を見合わせて笑った。まだ、結婚の話なんて、遠い先のことだのに、それが遅い、というのは、どういうことだろう。おかしい人。笑ってるトット達を見ながら、お兄さんは、まじめに、いった。
「お金には、困りません。それから……」
そういうと、もう一度、トットの手をとって見てから、慎重《しんちよう》な調子で、いった。
「あなたの名前は、津々浦々に、ひろまります」
「津々浦々?」
トットは、聞き返した。お兄さんは、少し困ったように、せきばらいをすると、
「どういう事かは、わかりませんが、そう、出ています」といった。そして、もう一こと、つけ加えた。
「それから、お稲荷《いなり》さんを信仰《しんこう》すると、よろしいです」
トットは、悪いと思ったけど、前より、もっと笑ってしまった。小さいときから、クリスチャンの家庭に育ち、現在、イギリス系のミッションスクールに行ってる女学生に、「お稲荷さん」は、とっぴょうしもないことに聞こえた。本当に、おかしいことをいう。いつまでも笑ってるので、お兄さんは、自信ありそうな、それから、親切そうな調子でいった。
「そうなさったほうが、いいんです」
それでも、お礼をいって、お金を払《はら》い、机から離《はな》れたとき、あたりは、もう薄暗くなっていた。
家に帰って、ママに、
「津々浦々に名前が、ひろまるってさ!」
というと、晩御飯《ばんごはん》の支度《したく》をしてたママは、おなべを、のぞきこみながらいった。
「いやだわ、あなた。なんか悪いことでもして、新聞にでも出るんじゃないの? 気をつけてね」
そして、それっきり、このことを、トットは忘れていた。でも、いま、「放送に出る」ということで、思い出したのだった。あのお兄さんの言ったことは、当っていた。たしかに、NHKの電波は、津々浦々まで行ってるんだから。
それと、あのときは笑ったことだけど、後年、お稲荷さんは芸能人の守り神ということで、俳優仲間、大勢と、大《おお》晦日《みそか》になると、赤坂の豊川《とよかわ》稲荷にお参りに行くようになったのも、考えてみると、不思議なことだった。
兎のぬいぐるみを持って、汚ない手をした女の子の手から、どうやって、あの人は、こんなことを読みとったのだろう。寒そうで、あまり恵《めぐ》まれた生活をしてる人にも見えなかったけど……。
トットは、自分の手のひらを、見てみた。でも、トットには、ただ、相変らず汚れてる、小《ち》っちゃい手、としか、わからなかった。