「ねえ、どうして�テレビジョン�って、いうんですか?」トットは、ふと、思いついて、スタジオの中で休憩《きゆうけい》してる小道具のおじさんに聞いてみた。考えてみると、随分《ずいぶん》いろんなことを習ってきたけど、なぜ、この四角い箱《はこ》の中に写るものを、
「テレビジョン」
というのか、教えてもらった記憶《きおく》は、なかった。小道具のおじさんは、しばらく考えていたけど、
「そうだねえ、なんでかねえ」
というと、通りかかった、大道具のお兄さんに、「テレビジョン、って、どういう意味か、わかるかね?」と聞いた。トンカチをぶら下げた、お兄さんも、頭を掻《か》きながら考えていたけど、
「知らねえ、わかんねえ。テレビジョンだから、テレビジョンじゃねえの?」
というと、行ってしまった。トットは、小さい頃《ころ》から、なんでも、すぐ疑問に思ったことを、「どうして?」と聞くので、大人からは、
「聞きたがり屋の、トットちゃん!」
と、からかわれていた。それなのに、なんで、今まで、
「テレビジョンて、なんで、そういうのか?」って考えてみなかったことに、自分でも驚《おどろ》いた。きっと、大道具のお兄さんのように、「テレビジョンだから、テレビジョン!」と思ってしまっていたに違《ちが》いなかった。ちょっと、スタジオの中の人にも聞いてみたけど、あまり、はっきりした返事が、なかったので、トットは、自分で調べてみることにした。
そして発見したのは、まず、「テレ」の部分だけど、これは、テレ[#「テレ」に傍点]フォン(電話)テレ[#「テレ」に傍点]グラム(電報)テレ[#「テレ」に傍点]スコープ(望遠鏡)といった、遠いもの、に使われている、ということがわかった。英語の辞書にも、「遠距離《えんきより》」とか、「遠隔《えんかく》」と、のっていた。そして、「ビジョン」(本当なら、ヴィジョン)のほうは、「視《み》ること」とか、「視力」とか、「光景」という意味なので、両方あわせた、�テレヴィジョン�とは、�遠視�というか、「遠くを見るもの」と思えばいいのだ、と、トットは理解した。もっとも、ヴィジョンの意味の中には、�幻《まぼろし》�というのもあって、「遠幻《えんげん》」なんて、一寸《ちよつと》ロマンティックでいいな、と、トットは考えた。次にトットは、この言葉を、誰《だれ》が発明したのか、知りたいと思い、NHKの図書室に、もぐりこんで、資料を、探した。そして、わかったことは、とても面白《おもしろ》いことだった。
この、「テレビジョン」という言葉を最初に使ったのは、フランスの、名もない図書係りだった。ところが、いまでは、もう、その人の名前も、何も残っていない、ということだった。二十世紀、世界中の人が注目することになった、「テレビジョン」という言葉を作った人が、忘れられてしまった、という事が、トットには興味があった。一八九二年(明治二十五年)に、マックス・プレスナーという新聞記者が、
「将来、演劇、オペラ、重要事件、議会、教会の礼拝、競技、行進、都市、国王が国民に演説する情景……などを写し出す[#「写し出す」に傍点]、
�テレストロスコープ�
なる、不思議な機械が出来るだろう」
と記事に書き、これは、予言のように、受けとめられた。この人より、もっと前の一八七八年(明治十一年)に、すでに、画を伝送する、
�テレクトロスコープ�
というものを、フランスの、サンレク、という人が考えている。とにかく、「テレビジョン」という風に決まるまで、長い間、いろんな風に、呼ばれていたことが、あまり、沢山《たくさん》は無い資料を、はじから読み漁《あさ》って、トットには、わかった。そんな中で、トットの目をひいたものが、あった。それは、NHKがテレビジョンを本放送するにあたって、アメリカから招聘《しようへい》したテッド・アレグレッティーという人が書いた、
「NHKテレビへの期待」
という文章だった。この人は、昭和二十七年に来日し、NHKのテレビジョン全般《ぜんぱん》にわたる指導、実施《じつし》の企画《きかく》、演出にあたった人で、アメリカのNBCテレビなどで活躍《かつやく》した人物だった。この文章は、日本より七年早く、一九四六年(昭和二十一年)から始まったアメリカのテレビの現状などを、NHKの人のために来日してから書いたものの中に、あったのだった。
「米国のテレビジョンは、ラジオと同様に、商業放送で売るために番組を提供する。番組内容も極度に大衆向きとなり、放送の目的自体が、大衆性にあることになるが、不幸にして、大衆性は、質とは一致《いつち》しない。NHKテレビは、公共放送であるから、知的、情操的な面の向上に大衆を刺戟《しげき》することに、総力を集中し得る立場にある。勿論《もちろん》、NHKたりとも、番組の一般|娯楽《ごらく》性を忘れては、ならないが、それは、番組の中の唯一《ゆいいつ》の支配的要素ではない。私は、NHKでは、ニュースと教養番組が、全体の53%を占《し》めるのを知って、大変面白いと思った。米国のテレビでの、この部分の占める割合は、15%に過ぎない。然《しか》し、公共放送のみに許される、この番組|選択《せんたく》の自由には、重大な責任が伴《ともな》う。常に最良の番組作成に対する努力が払《はら》われるべきであり、自己満足と無気力に陥《おちい》っては、ならない」
そして、続けて、NHKを始めとして、将来、テレビジョンを開始するであろう民放に対するメッセージとして、こうも書いている。
「テレビは、世界に現存する、あらゆる機関の中で、最も有力な教育宣伝の媒介物《ばいかいぶつ》であることは、否定できない。吾々《われわれ》の文化が、向上するか、堕落《だらく》するか、正しい人類向上の道をたどるか、或《あるい》は、その進歩の道をはずれるかは、テレビジョンに、かかっている、ということが出来よう。かくて、世界各国の国民は、テレビジョンの力により、お互《たが》いに自分の姿を、さらけ出すようになり、世界各地の慣行習俗も、今までの孤立《こりつ》の殻《から》を破って、お互いの眼《め》の前に現われてくる。かくて、今まで人類が夢想《むそう》だに出来なかった国際間の、より大いなる理解と永遠の平和の可能性が生れてくる。これがテレビジョンの力なのである。私がアメリカからやって来て、一人|寂《さび》しく働いている人間である、というよりは、日本のテレビジョンの将来に偉大《いだい》な関心を持ち、この偉大な公共物を成功に導くため、全身の努力を傾倒《けいとう》している人間である、ということになれば、私の、最も幸いとする所であろう」
昭和二十八年、NHKが放送を始めた、このころ、テレビジョンに出るのは、俳優として、恥《はじ》だ、と思ってる人も大勢いた時代だった。テレビジョンを、「電気|紙芝居《かみしばい》」と馬鹿《ばか》にして呼ぶ人もいた時代だった。
そんな時に、この人の書いたものは、深くは理解できなかったけど、なにかわからない、不思議な力、そして、安心感を、与《あた》えてくれたように、トットには思えた。