「トットチャンネルを楽しく読んでる」とおっしゃって下さって、吉川義雄先生から、よく、お葉書を頂きました。ここ数年、半身不随《はんしんふずい》で、それでも、ふるえる字で、心に沁《し》みる葉書を書いて、下さってました。私も、よく書きました。この数年、私達は、お逢いする機会は少ないけど、文通は、なにかにつけて、していました。
私は、外国に行けば、必ず、絵葉書を、お出ししました。体は不自由でも、口のほうは、昔《むかし》と変わらない先生でした。この、「テレビジョン」を読んで下さったときの葉書です。
「啓《けい》 いま大阪の『露《つゆ》の五郎』の対談を見終つた(注・「徹子の部屋」)。夏は上京の自動車の便ないので、殆《ほと》んど毎日トットちゃんと逢つている。恋人《こひびと》でもこう逢ふまい。大恋人だ。今日の洋装はガラッと変つて落語家と会見するにふさわしく、且《か》つ上品な衣裳《いしよう》なのにうたれた。こうも人柄《ひとがら》の感じが違ふものなのだろうか。
終了後《しゆうりようご》に、昨日来着した「小説新潮」を読む。いかなる放送史にもとり上げていないテッド・アレグレッティをとり上げていたので、ビックリし感銘《かんめい》を新たにした。彼はテレビ演出の日本の草分けだからだ。わたしがアメリカで契約《けいやく》して来たイタリヤ系の人で、永山弘君の育ての親でした、まさに——、」
思ってもいなかったことなので、私は、とても、この葉書を読んだとき、うれしかったです。