これまでの他の試験場にくらべて、落ち着いた部屋だった。いつもより試験官が多く、八人くらいが、まん中の受験者用の椅子《いす》を、かこむように並《なら》べられた机のむこうに、すわっていた。廊下《ろうか》に出された折りたたみ式のイスにすわって順番を待ってるとき、腕章《わんしよう》をつけた係りの若い男の人が、トットの三人くらい先の女の人に、親切そうな声でいってるのが聞こえた。「あんまり緊張《きんちよう》しないほうが、いいですよ」トットがのぞくと、黒いスーツの胸に赤い造花をつけた、その女の人は、下をむいたまま、うなずいた。耳が真赤《まつか》だった。その係りの人は、トットの前を通ったとき、何もいってくれなかった。トットは少し、つまらなかった。
いよいよ番が来て、トットはまん中の椅子に座《すわ》った。いままでの試験官とは違《ちが》った、するどい声の人が加わっていて、矢つぎばやの質問が、八方から飛んだ。
「煙草《たばこ》、吸いますか?」「いいえ」
「酒は?」「飲みません」
「演劇の経験は、ないんだね」「はい」
「この受験用の、君の写真に写ってる自動車は君の?」「違います。私んじゃありません。でも、折角、新らしいオーバー作ってもらったんで、色はエンジなんですけど、で、知らない人の車だけど、その前で撮《と》ったら恰好《かつこう》いいと思ったんで。従兄《いとこ》に撮ってもらいました」
「ピアノ弾《ひ》けます?」「少し」
そのとき、眼鏡をかけた、一番、中心のところにすわってた男の人が、机の上の紙を、のぞきこみながら、いった。
「君、黒柳って、これヴァイオリンの黒柳さんと関係あるの?」「え?!」
履歴書《りれきしよ》の父の欄《らん》に、パパの名前を書かないで出したのだった。(どうしよう。嘘《うそ》はいえない)
仕方なく、トットはいった。「父です」
へーえという声が、試験官の中から聞こえた。
「そう、で、お父さんには相談したの? この試験、受けること」(万事休《ばんじきゆう》す!)
「あの……してません」
「どうして?」
「だって相談したら、こんな、みっともないこと[#「みっともないこと」に傍点]、しちゃいけないって、いうに決まって……あーあ」
口を押《お》さえたけど、遅《おそ》かった。