トットが一張羅《いつちようら》のオレンジ色のパラシュート・スカートに白のブラウス、という恰好《かつこう》で、「合格者集合室」という貼《は》り紙のドアを開けて、恐《おそ》る恐るのぞくと、すでに、かなりの男女が来ていた。あまり広くない会議室のような部屋だった。みんな、どこにすわっていいかわからない、という感じで、立ったり、机に腰《こし》かけたりしながら、二人とか三人とかのグループになって、話をしていた。トットは、長いこと知りたいと思っていたこと、つまり、(NHKの広告の、�若干名《じやつかんめい》�って、何名なのか?)が、いよいよ、今日、はっきりすると思うと、うれしくなった。トットは念のために、そーっと数えてみた。
「一人、二人、三人……」いまのところ、二十六人だった。ドアが開いて、女の人が入って来た。「二十七人……」また走って、今度は男の人が入って来た。「二十八人……」
(若干名は、二十八人か。ふーん)
数えるとき、ざっと見た感じでは、なんとまあ、奇麗《きれい》な人ばかりだった。年齢《ねんれい》は、バラバラだった。トットのような大学生くらいの人もいれば、高校生のような男の子もいたし、もう見るからに「女優」とわかる女の人も何人かいた。男の人の中には、会社員みたいに見える人もいた。(誰《だれ》か、顔見知りの人が居ないかなあ……)と、少し心細い気持で、トットがキョロキョロし始めたとき、前のほうのドアが開いて、男の中年の人が、書類を手にして入って来た。みんなは、ザワザワと立ち上り、その人のほうをむいた。その人は、書類をテーブルの上に置くと、事務的な感じで言った。
「着席して下さい。私は庶務《しよむ》のものです。みなさんに、今後の方針をお伝えします。これから三ヶ月の養成期間を持ちまして、そこで、最終|審査《しんさ》が行われることは、御存知ですね」
(えーっ!!)トットは、とび上った。
この上、まだ試験があるなんて、全然、知らなかった。もうこれで、全部、終って合格だと思っていた。トットだけが、このことを、どこかで聞き洩《も》らしたことは、他《ほか》の人達《ひとたち》が、「えーっ!!」ともいわないし、静かに聞いてることで、明らかだった。若干名は、二十八名では、なかった。それは、これから三ヶ月後に残った人の数《かず》だと、わかった。庶務の人は続けた。
「そして、その三ヶ月間の、まあ、第一次養成が終りまして、残ったかたが、ひきつづき四月から、来年の三月末までの一年間、第二次養成を受けまして、来年、昭和二十九年の四月から、NHK放送劇団の第五期生、つまり、NHKの専属になって頂くわけです。では、来週からの時間割の紙を渡《わた》します」
これで説明は終りだった。みんなは、時間割の紙をもらいに、前まで立って行った。トットも、いそいで、机の間をぬって、庶務というところの人から紙をもらった。細かい、いろいろな授業の時間割や、授業を受ける「スタジオ」だとか「本読《ほんよみ》室」といった場所が書いてあった。そのとき、トットは、すぐ近くで、他の二人の女の人と話をしている、黒いスーツに赤いバラの花をつけた女の人に気がついた。「あっ、あの人だ!」面接の日、廊下《ろうか》で待っていたとき、係りの男の人から、
「あんまり緊張《きんちよう》しないほうが、いいですよ」と親切そうに注意され、気弱そうに、耳を真赤《まつか》にして、下をむいたまま、うなずいた人だった。トットは、その人の耳を見た。今日は赤くなかった。トットは、
「私、あなたのこと、おぼえてるわ」といおうとして近づいた。その時、耳が赤かった人が、こんなことを言ってるのが聞こえた。威勢《いせい》のいい、カラリとした声だった。
「私、いまは演出のほうやってるの。最近演出したのはね、�はまちどり�って芝居《しばい》!」
トットは、びっくりした。面接のときとは、別人のようだった。顔も、色が白くて、奇麗だった。(わあー、人ってわからないもんだ)耳が赤かった人の前の、小柄《こがら》だけど、グラマーな女の人が、少し甘《あま》ったれた口調でいった。
「じゃ、私の芝居、見て下さったのね」
耳が赤かった人は、いった。
「そう。だから、あなたを、さっき一目、見たとき、�あ、あのとき出た人!�って、すぐ、わかったわ。あなた、凄《すご》くよかった」
もう一人の大柄の、ほっぺたのピカピカした女の人が、ハンカチを握《にぎ》りしめていった。
「だから、あの高校の学生コンクールのとき、私たち、知らなかったけど、みんな同じところに居たわけね。おかしいわねえ」若々しく、三人は声をあげて笑った。うれしそうに。トットは、うらやましく思った。
(みんな同じところに居た、っていったけど、私は、いなかった)それに、耳が赤かった人が、どうやら、監督《かんとく》、というような、凄い能力のあることをやった人らしい、とわかったことは、大ショックだった。そして、他の二人も、プロの俳優に違《ちが》いない、と、トットは判断した。大人の目で見れば、高校演劇をやっていた、ということは、それほどのキャリアではないけれど、全く経験のないトットにすれば、もう自分とは、プロとアマの違いがある、と思ってしまった。トットは、耳の赤かった人に、「あなたのこと、おぼえているわ」と、いいそびれたので、そこを離《はな》れた。そして、まだ、あっちこっちで話してる人の間を、なんとなく偵察《ていさつ》して歩いてみることにした。
一見して女優とわかるお化粧《けしよう》に、胸をぐーっと開《あ》けた赤いドレスの人が、ハンサムな大人の感じの男の人と、話していた。二人の立ったポーズも恰好になっていた。女の人がいった。
「あなたの映画、見たわ」
ハンサムな男の人が、髪《かみ》をかき上げながらいった。
「そうですか。あなた、大映ですか……」
男の人に珍《めず》らしく、えくぼがあった。
トットは、ますます、ユーウツになった。これから三ヶ月間、とにかく、今日、集まった美しいプロの人達と、一緒《いつしよ》にやって行かなくちゃならないことが、決まった。
夕方、台所にいたママは、帰って来たトットが、玄関《げんかん》を開けるなり、
「もう、奇麗な人ばっかり。どうすればいいの?」というのを聞いた。