「ヤン坊《ぼう》ニン坊トン坊」が始まり、一年が過ぎた。NHKの方針で、ラジオを聞いてる人のイメージをこわさないために、トット達《たち》大人が、子供の声をやってることを、一年間は、伏《ふ》せる約束《やくそく》だったので、相変らず、配役をいうアナウンサーは、放送が終ったとき、
「ただいまの出演
ヤン坊
ニン坊
トン坊」
というだけだった。それが、そろそろ、マスコミも「誰《だれ》がやっているのだろう?」と、騒《さわ》ぎだしたし、一年も過ぎた事だし、ということで、NHKが新聞社などに発表した。すでに、トット達の一年間の養成が終ったとき「NHKがテレビのために養成した女優」ということで、新聞などが、とりあげてくれていた。でも「あの�ヤン坊ニン坊トン坊�の声をやってる三人は、実は子供ではなく、ゴキラと呼ばれている新らしいタイプの、NHKの劇団の五期生でした!」ということで、相当の話題になった。特に、「ヤン坊」たちは白い猿《さる》なんだけど、次の年が、サル年、という事もあり、取材が殺到《さつとう》した。
しっかりものの ヤン坊 里見京子
あばれん坊の ニン坊 横山道代
かわいいチビ助 トン坊 黒柳徹子
毎日々々、三人は「NHKの三人|娘《むすめ》」とか「仲良し三兄弟」という風なタイトルで、新聞に出た。当時のマスコミは、週刊誌というのは、まだ大手新聞社の、朝日、読売、毎日、サンケイぐらい。あとは、松島トモ子、小鳩《こばと》くるみ、などが表紙の、少女雑誌が全盛《ぜんせい》だった。女性週刊誌や、テレビの芸能ニュースが姿を見せるのは、もっと、ずーっと後《あと》のことだった。新聞記者の人達は、みんな男の人だった。そして、それぞれ親切だった。トット達には、マネージャーもいないし、NHKの広報とかの人が、つきそう、ということも、別になかったので、いつも三人固まって、田村町の喫茶店《きつさてん》で、そういう記者の人達のインタビューを受けた。始めは、インタビューなんて、びくびくしてた三人だけど、記者の人達が、優《やさ》しい、とわかってからは、安心して話が出来た。ヤン坊たちが猿、ということもあって、動物園での取材も、かなりあった。たいがい、猿の檻《おり》の前とか、チンパンジーと一緒《いつしよ》に写真に写った。たまには「木にぶら下って下さい」なんていう人も、中にはいたけど、ほとんどの記者の人は、不自然なことは、させようとは、しなかった。「たべものは、何が好き?」と聞いてくれて「栗鹿《くりか》の子《こ》!」なんてトット達が答えると、インタビューの場所を、NHKの近くの甘《あま》いもの屋さんにしてくれる人もいた。どの人も、まだ社会に出てホヤホヤの、西も東もわからないトット達に、丁寧《ていねい》に接してくれた。話もちゃんと聞いてくれた。そして、記事の内容も、話した通りを、うまくまとめてくれて、好意的だった。映画で見るような、メモを手にしたヨレヨレのレインコートの人は、いなくて、スーツに、ネクタイを、きちんとしてる人が大部分で、中には、大学ノートを持ってる記者の人もいた。こういう、一見プロに見えない人ほど、凄《すご》く上手な記事を書くのだ、ということも、トットには驚《おどろ》きだった。一緒に来るカメラマンの人達も、みんな苦労人らしく、ひとこと、何かいうことが、とても意味があって、トットは感心した。本当に、その頃《ころ》のジャーナリズムの人達を、トットは信頼《しんらい》していた。
(何か嘘《うそ》を書くかも知れない)とか、(こんなことを質問してるけど、実は、別のことを聞き出そうとしているのだ)とか、(どうせ聞いたって、始めから書くことは決めてあるんだろう)なんて、そんなこと、これっぽっちも疑った事は、なかった。そして、また、裏切られたこともなかった。自分の話したことが、こんな風な文章になるのかと、トットは、くり返し、印刷されたものを読んで、感動した。
そういう時に、有名な出版社が、週刊誌を出すことになり、記者の人がインタビューに来た。その若い男の人は、とても、ぶしつけに、トットに聞いた。新らしいタイプの週刊誌、ということで張り切っていたに違《ちが》いないけど、のっけから、こんな風だった。このときは、トットだけ、一人だった。まず、その人は、こう聞いた。
「カストロの胸毛《むなげ》について、どう思う?」
トットは、ちょっとびっくりしたけど、カストロの顔や姿を思い出しながら、答えた。
「私の母の友達で、胸毛がなきゃ、いやだ、という人もいますけど、私は、胸毛は、その人によるし、カストロの胸毛、見たことないので、わかりません」その人は次に、
「どんな男性のタイプが好き?」と聞いた。これも、トットには、答えようがなかった。
「タイプで、男性のこと、おはなしするの、難かしくて……」すると、その人は、こういった。
「この間、女優のYに同じ質問したら�私は、芝生《しばふ》に入らないで下さい、と書いてあると、入らないような人が好きです�って。あの答えは、実によかったなあー。そんな風なこと、言ってよ」
トットは、女優のYさんという人は、きっと「きちんとした人が好き」「ルールを守る人が好き」ということを、面白《おもしろ》くいったのだな、と思った。でも、トットは、その記者の人の、威圧《いあつ》的な喋《しやべ》りかたや、態度が、好きになれなかった。その人の気に入るような事も、いえばいえるけど、気持が動かなかった。それでもトットは、一生懸命《いつしようけんめい》に、わかってもらえるように、答えた。
「男性は、その人、その人によって、きっと、いいところが違うと思います。タイプは決まってないけど、私に影響《えいきよう》を、あたえてくれる人が、いいです」その記者の人は、次に、
「いま読んでる本は?」と聞いた。丁度そのとき、トットはストレイチーの「エリザベスとエセックス」を読んでいたところだったので、そう答えた。それから、ちょっとして、その週刊誌が発行された。トットが、それを読んだとき、自分の悲しい気持を、どうしたら早く忘れられるだろうか、と、いつまでも考えたくらいの、内容だった。
——カストロの胸毛を、どう思いますか?
この質問に、トットが、こう答えたように、なっていた。
「胸毛? いいじゃん?」
——どういうタイプの男性が好きですか?
「男なら、なんでも、いいわ」
——今、読んでる本は?
「エリザベスとセックス!」
他《ほか》のいくつかの質問の答えも同じようだった。トットは、自分とは全く別の人格の人間が答えているように思えた。自分が一生懸命、伝えようと思ったことが、こんな風になるのかと、恐怖《きようふ》を感じた。そして「芝生に入らないで下さい、と書いてあると、入らないような人が好き」という言葉を、いいなあー、と言った人が、本当は、ルールも何も無視して、どんどん芝生の中に入るような人だったんだ、と、本当に残念だった。
もっとも、この週刊誌は、有難《ありがた》いことに、数ヶ月で姿を消した。うまく、いかなかった、という話だった。それにしても、これまで知らなかった世界があることを知って、トットは、おびえた。自分らしくあるために、一体、どんな風に生きていったら、いいのかしら。人は、このインタビューを読んで、「どうってことない」って、いうかも知れないけど、少なくとも、私は、いわなかったのに、
「男なら、なんでも、いいわ」
なんて……。トットは、悲しかった。