先日のテレビ放送でのユリ・ゲラーの超能力ぶりをブラウン管を通して多くの人々が目撃した。そしてあの時の興奮と感動は今でも生々しくぼくの全身を電気のように駆けめぐっている。
そしてまた、その数日後やはり日本の超能力少年といわれる関口淳君に逢う機会があり、そこで淳君がぼくの目の前で見せてくれた光景は、もはや神の力が作用しているとしか信じられないようなこの世の奇跡の数々だった。
四本のスプーンに前後左右と書いたものを同時に宙に投げ、「前後左右に曲れ!」と命令すると、スプーンは目にも止らぬ超スピードで一瞬に指示通りの方向に曲って落下してくる。
これだけではない、数本の針金を同時に投げて、「輪になれ!」というと、オリンピックのマークのように連結した輪になって再びぼくの足もとに落下してくる。このような調子で次々、針金が指示通りの横文字になったり、飛行機になったりするのだ。ぼくはあまりの驚きに思わず目から涙をあふれ出したほどだ。
淳君が心の中に描いたイメージを、念力によって一瞬の間に何の人工的な方法も加えずに形象化してしまうのだ。この現代の奇蹟ともいうべき出来事は、いまだ科学者がだれ一人として解明しておらず、われわれの前にはただ、不可思議な超常現象の一種としてしか存在していない。
淳君の奇蹟[#「奇蹟」に傍点]は彼の心の働きが物質に影響を与えたものと考えられるが、淳君に限らずわれわれの日常生活の中でも、知らず知らずのうちにこの心の働きを応用して念願をかなえたり、あるいは危機を脱したりしているはずだ。ただこの宇宙の力ともいうべき偉大な力が人間の内部に潜んでいるという事実を認知し、意識化していないだけの話である。
現代の科学は物質繁栄のための科学になり下ってしまい、真の人間の幸福のための科学が、心の探究にあるということを忘れてしまっているのではないだろうか。
というのも大部分の科学者が超常現象を何かの錯覚であるとか、幻覚である、という具合にいとも簡単に彼らの固定した合理主義的な概念で片づけてしまい、なかなかそうした非合理の世界にメスを入れようとしない。それは彼らがあまりにも学会を意識した出世主義的人間の集りであるからではなかろうか。
今や科学がこの世の中で最も遅れた存在になっているような気がしてならない。