「おっ……敵方から?」
「軍使が見える。軍使だ」
妻女山の一端に立って、絶えず対岸を監視していた物見の小隊は、こう物珍しげに、手をかざしていた。
鬼小島弥太郎は、この辺に屯《たむろ》している兵七十人の組頭だった。ごそごそと、どこからか出てくると、その白あばたのある顔あたりへ手を翳《かざ》しながら、
「うーむ、あれは甲州の初鹿野《はじかの》伝右衛門という話せるさむらいだ。——何しにきたのか」
と、つぶやいた。
当然、ここよりも早く、それを認めていたにちがいない麓の部隊から、さっそく河原の方へ向って駆けてゆく一群が見える。約三、四十人の武者輩《むしやばら》であった。
こちらの岸へ、ガリガリと乗しあげてきた船の舳《みよし》へ向って、
「どこへ通られるか」
と、左右二列にわかれて、槍ぶすまを突きつけている。
これはむしろ軍使を待つ儀式といっていい。戦わざる意志の槍の美しさ。またその白い光の中へ下りてくる日傘の色のきれいさ。併せて、軍使の悪《わる》びれない落着きがよかった。
「これは、甲州の臣、初鹿野伝右衛門です。主君信玄公のお旨を承って、謙信公へ直々お目にかかり申したく、かくは戦場の小閑にお訪ねして参ってござる。ねがわくばお取次を」
「お待ちなさい」
包囲形をそのままにして、一人が部隊へ走る。やがて部将がくる。そして、
「まだ、君の御意をお伺い中でござるが、ここは路傍、それがしの陣地までお越しあって、御休息でも」
と、自分の持場まで導いてきて、床几など与える。程なく山上から新発田尾張守《しばたおわりのかみ》、鬼小島弥太郎などが、迎えというよりは、警固のために降りてきた。
「お目にかかろうと御意あらせられた。いざ、お越しください。御案内申す」
「大儀に存ずる」
一礼して、初鹿野伝右衛門は、ふたりの後《あと》に従った。もちろん部下も日傘も山麓に残してである。——そして単身、一歩一歩、踏み登ってゆく山道は、殆ど、上杉勢の旗と鉄刀と馬と銃と弓との中だった。
その途中、鬼小島弥太郎は、伝右衛門のそばに寄り添って、
「貴公は、それがしの顔を、覚えておいでなさるか」
と、たずねた。
伝右衛門は、微笑《びしよう》をふくみながら、
「あなたの顔は、なかなか忘れ難い。何といっても白あばたがよい目じるしになるしな——左様、あれはもう七、八年も前になりましょうかの」
と、いった。
「いや、七、八年ではききますまい。甲越の両軍が、まだここにまみえない以前ですから。十年にはなる」
「十年。はやいもの」
まるで久闊《きゆうかつ》を叙《の》べ合っている旧友のようだった。しかし二人の古い面識は、そんな温かいものでなく、思い出せばなかなか身の毛のよだつものだったのである。
その頃、小島弥太郎は、謙信の上洛に扈従《こじゆう》して、京都へのぼった途中から、ふいに姿をかくした。それは将来へ大志をいだく謙信が彼に承知で失踪《しつそう》をゆるしたものだといわれている。が、主従の黙契《もつけい》があったや否やはべつとして、弥太郎は少なくもそれから二、三年間は諸国の武備や築城などを見て廻った。後にいうところの武者修行をしていたのである。
そして、いつのころからか、甲府にいた。もちろんそんな使命をおびている者としての入国はむずかしい。城下の鉄砲鍛冶《かじ》の火土捏《ほどこ》ねをしていたのだ。左官職にひとしい泥だらけな手をして、筒金《つつがね》を焼く火土を築《つ》いたり吹鞴《ふいご》の手伝いなどしていた。
甲館に出入りする武田家の武将が、時々、馬上や平服のままで、この家の前を通る。その中に、初鹿野伝右衛門の眼があった。或る時、彼の屋敷から注文のあった鉄砲を、白あばたの男に届けさせてくれとわざわざ指名でいってきた。
弥太郎は、それを届けた。けれど邸内の者に渡しただけで、その場から山越えで甲州を去ってしまったのである。門の内まで入れば、立ちどころに縄目をうけることを、彼もまた未然《みぜん》に覚っていたからである。
しかし、それだけでも、伝右衛門の情といえば情といえる。彼に、必縛《ひつばく》の気があるなら、鍛冶の家を直接包囲すれば遁《のが》さなかっただろうし、また後から騎馬の追手を飛ばせば、弥太郎もついに国外へ遁れきれなかったかもしれないのである。——けれど、その事もなく、彼は無事に、越後へ帰った。
——それ以来の今日であった。今日の偶然な接近だったのである。だから二人の微笑のうちには、言外な回顧の情と皮肉な懐かしさとがつつまれていたわけだった。