ずいぶん以前のことだが、夜中に車を走らせていて渋谷の道玄坂の上あたりにさしかかった。
となりの席には、バーの女性が乗っていた。たまたまその女の家が私の家の近くにあるのが分かったので、ついでに乗っていらっしゃい、ということになった。口説くつもりはなかった。
道玄坂を上り切ると、また下り坂になる。その坂の下あたりに「中将湯」の工場があって(いまはどうか知らない)、坂の上までにおいが漂っている。
「中将湯」というのはいかにも古めかしい名前の婦人病の薬だが、いまテレビのコマーシャルに登場しているから、若い人でも知っているだろう。そのにおいは、漢方薬を煎《せん》じているような、くせの強い、いささか物悲しいものに、私には感じられる。
「ああ、中将湯のにおいがする」
と、車の中で私は何気なくそう言った。その瞬間、女の荒々しい声がきこえた。
「なによっ」
男の場合だったら、「てめえ、なんだってんだ、それがどうしたってんだよう」とでもなりそうな、兇暴《きようぼう》さをはらんだ声である。
咄嗟《とつさ》には、なんのことやら分からなかった。
「なによ、って、ここらあたりにその工場があるから、においがしてるじゃないか」
と言うと、
「あら……」
にわかにその女はおとなしくなり、いかにも具合の悪そうな様子になってしまった。ここで、私は分かった。目下、その女は婦人病にかかっており、朝晩その薬を飲んでいる、という以外に考えようがない。
腹の中では、大そうオカしかったが、黙っていた。女も黙っていて、やがて自分の家の傍で降りて行った。このとき、私がこの女を口説こうとおもっていたら、もっと面白い按配になっていたことになる。やはり、そういう気持は萎《な》えただろう。
その女の顔も名前も、どうしてもおもい出せない。ただ、どこの店の女性かだけは、ふしぎに覚えている。
この薬のにおいと、ミルガイや青柳のにおいとが、似通っている。
薬のにおいを嗅《か》いでも不快感はないのだが、ナマの貝を食べようとしたときにこのにおいが口の中に拡がると、どうもいけない。ナマものの湿った感じに、においが絡まりつくところが、苦手なようである。
一方、このにおいがなんともいえず好きだという人もいる。
先日、ある料理屋へ行くと、そこの女将《おかみ》が、
「今日の貝はよく肥えていて、おいしいですから」
と、註文もしないのに、オマケとしてミルガイを皿に盛って出してくれた。好意を受けなくては申し訳ない、と我慢して二、三片食べてみたが、やはりいけない。
「どうも、このにおいが苦手でね」
と白状すると、その女将は、
「わたしはまた、これが大好物なんです」
食べ物の好き嫌いは、私にはほとんどないので、この場合は例外といえる。
嫌いな食べ物というのには、案外深い意味があるもので、母乳で育てられなかった人間は、牛乳が飲めない場合が多い。これは牛乳アレルギーである。
あるいは、私の遠い元祖の一人がミルガイを獲《と》りにいって、溺《おぼ》れ死んだケースでもあるのかもしれない。