昭和四十八年の終りから突然、暗い時代になってきた。
雰囲気《ふんいき》も暗いが、石油節約で街の燈も暗い。三十年前の戦時中をおもい出す。
しかし、どうせおもい出すなら、面白いことをおもい出してみよう。
太平洋戦争がはじまったころ、私たち東京の中学生のあいだに、突如「赤マント、あらわる」、という噂《うわさ》がひろまった。
「赤マント」というのは、大きな真黒いマント(二重まわし、というのだったか)を着た怪人で、女学生の前にいきなり出現する。
怪鳥が翼を大きくひろげるように、その黒いマントを開くと、裏地は真赤な布である。そのマントの中に、すっぽり女学生をかかえこみ、頬ずりする。おまけに、その怪人はレプラなのである。この病気はいまでは薬で治ってしまうが、当時はこわい病気の横綱クラスで、鼻は崩れて穴だけになってしまう。
そういう人物に頬ずりされては、これはたまらない。刺戟《しげき》的なおそろしい事件で、きのうは三人、きょうはすでに二人犠牲になったといい、そのうち女学生だけでなく中学生もやられるという噂になった。
心のどこかではデマだろう、とおもっているのだが、中学生のあいだで恐慌がおこるくらい迫真力のある話になってきた。
結局、デマだと分かったが、
「赤マントは、デマである。まどわされてはいけない」
という訓示を、先生が全校生徒に与えた学校もあった。
このデマは、暗い時代にふさわしいが、その時代を一層暗くしたとは言い難い。中学生たちは半ばは信じながら、なにしろ赤マント氏は一人で活躍しているので、順番がまわってくることもあるまい、とタカをくくる。しかし、もしや街角でバッタリ、ともおもい、刺戟を受け|へん《ヽヽ》にいきいきしていた。あのデマの創作者は、ある種の活気を世の中に与えた。
そのころ、また中学生のあいだに、女学生が電球を使ってオナニーしているうちに、その球が破裂して、落命したという噂がつたわってきた。中学生たちはまたしても色めき立ち、さっそく私はその話にオチをつけた。
「おい、その電球が破裂したとき、どんな音がしたか知っているか」
「さあて、分からないなあ、おまえ知っているのか」
「陰《いん》にこもった音がしたにきまっているじゃないか」
都会では都会風に、田舎では田舎風に、中学生の悪たれどもは、ロクなことは考えていない。これは、昔も今も同じである。
そのころ、またまた事件が起った。今度はデマではなくて、新聞のカコミの欄で報道された実話である。
銭湯の番台に坐っていた若い女が、モチを食べていて、咽喉《のど》にひっかかり、あわや窒息しかかって大騒ぎになった、という小事件である。
ただ、それだけのことなのだが、中学生の妄想《もうそう》力は無限である。
そのとき、その女は男湯のほうを眺めていたにちがいない。
「うっ」
と、咽喉がつまるようなものを見たにちがいない、ということになった。
「彼女はなにを見たか」
と、中学生たちは、いろいろと論議する。
この話は、いま思い出してみても、おもわず笑い出してしまう。