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贋食物誌18

时间: 2018-12-08    进入日语论坛
核心提示:    18 蕎麦(そば) わが国古来からの風習で、「引越しそば」というのがある。この明確な意味を、いま辞書でしらべてみる
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     18 蕎麦(そば)
 
 
 わが国古来からの風習で、「引越しそば」というのがある。この明確な意味を、いま辞書でしらべてみると、
「今度おそばに参りました」
 ということで、近所にくばるのだ、と書いてあった。要するに、語呂合わせのシャレを含んでいる。
 それでは、「年越しそば」は、どういう意味合いか。
『細く長かれと祝って、大《おお》晦日《みそか》の夜または節分の夜に食う蕎麦』
 と、辞書に出ている。
 ただ、この日本語には、いろいろ考えさせられるところがある。
「細く長かれと祝って」という文章は、なにか落着かないが、それはともかく「細く長い」のは目出度いことだと最初からきめているところがある。
 この反対語は、「太く短かく」であるが、「太く長く」という考え方はないのだろうか。外国では、どういう言い方があるか知りたいが、わが国では「太い」場合は、「短かく」なくてはいけないらしい。
「太く長く」などという考え方は、あまりにズウズウしく天も人もともに許さない、というわが国独特の貧しさが感じられる。
 せめて、「年越しうどん」くらいの太さがあってもよいだろう。
「年越しスパゲッティ」はいいが、「年越しマカロニ」は許せない、という考え方がイタリヤにあるかどうか。
 話はうどんに移るが、戦前には「キツネうどん」はあったが、「タヌキうどん」というものは存在しなかった。これを忘れている人が、年配の人にも案外多い。戦前は、天ぷらの揚げ玉を容器に入れて置いてあって、食べる人の好みによって、素《す》うどんにそれを入れていた。当然、揚げ玉の代金は無料である。
「タヌキうどん」ができたのは、昭和二十五年くらいではなかったか。
 当時、私は毎朝百円持って、会社へ行っていた。月給が八千円くらいだったから、それ以上の金を持って出勤することは不可能である。
 その金で、昼めしどきになると、近所のソバ屋へ行く。残りの金でパチンコをやって、タバコを取る。毎日そのことの繰返しであったが、ある日そのソバ屋に忽然《こつぜん》として「タヌキうどん」なるものが出現した。前の日までは揚げ玉の容器があったのだが、それが姿を消し、値段も十円くらいだったか、高くなっている。
 忘れっぽくなっているから、あるいは私の勘違いかもしれない。
 しかし、そういう「タヌキ」が現れたとき、
「ああ、ソバ屋まで、こんなミミッチイことをする世の中になったのか」
 と、長嘆息した記憶が鮮明だから、間違いないとおもう。以来一度として、「タヌキ」なるものを食べたことがない。
 それにしても、なぜ「タヌキうどん」というのだろう。おそらく「キツネ」があるから、「タヌキ」と命名したという、ごく単純な解釈が正しいのではあるまいか。しかし、客の側としては、化かされて余分に金を取られている、という気分になる。
 ソバ屋の主人には頑固者が多い。
 ノリをかけるとソバの風味を消すから、「ザルそば」(正しくは、ザルはノリの問題ではなくて、容器の形を指す、と聞いたが)は自分の店ではつくらない、というようなところはたくさんある。
 そのくせ、「タヌキなんぞは、うちではつくらない」という店がないのも、不思議におもえる。
 
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