一日に四十本ほど、タバコを喫う。ただし体調のわるいときは、ケムリを口に入れる気分になれず、一本も喫わない。
健康のバロメーターともいえる。
銘柄については、なんでもよいが、あまり元気のないときには両切のピースには手が伸びない。こういうとき、シニアー・サービスというイギリス煙草なら喫えるところをみると、味が分からないのでなんでもいい、というわけでもない。
一時元気のよいとき、細巻き葉巻を愛好したことがあって、脂っこいものを食べたあとの一服を愉しんだ。
その後元気がなくなって、アンソニー・アンド・クレオパトラというリトル・シガーをその名前に釣られて買ってみたが、一本喫っただけで残りは一年間そのままになっている。
他人のたくさんいる場所、たとえばヒコーキの中とかレストランで葉巻を喫うのはエチケット違反という。癖の強いキツイにおいが、まわりに拡がるためだろう。
専売公社がバックになっているPR原稿をうっかり引受けて、閉口したことがある。いざ原稿を書こうとして、依頼書を読んでみると、「婦人に喫煙をすすめる印象を与えるもの」は書いてはいけない、という項目がある。
子供のころ、私の母親はとてもきれいな喫い方で、タバコを愉しんでいた。それがもう四十年以上昔のことである。アメリカには「ヴォーグ」、イギリスには「コックテール」というタバコがあって、赤・黄・青など五種類の紙巻きになっている。箱を開くと鮮かな配色が目に映り、愉しげであるが、男性用とは思えない。
なぜいけないのか、理由をたずねてみると、そういう原稿が活字になると、オシャモジ主婦連から抗議がきて、うるさいためだそうである。
まったくあのババアども(といっても、おそらく私より年下の女が多いだろう)は、なにを考えているのか。赤線地帯を取り潰《つぶ》したババアたちの行動については、是非善悪はさておき、その気持を理解することはできる。
しかし、酒もダメ、タバコもいけない、ということになると、彼女たち自身もそれらを嗜《たしな》むことができない理屈になる。欲求不満の向いどころは、一層悪い方角に行きそうだ。
酒場では、ホステスの喫煙を禁じているところが多い。お行儀が悪いから、という理由らしいが、ホステスが酒を飲んで勘定を増やすことのほうは奨励していることを思い合わせると、分からなくなる。
もっとも、彼女たちが飲んでいるのは色のついた水の場合もあるが、それを責めては気の毒である。「腹も身のうち」だから、毎夜幾杯も酒を飲んでいては体がもたない。酒場でホステスが一番熱心に耳をかたむける話題は、胃腸の健康法と性病の知識だという説もある。
となると、タバコを喫っているヒマに、酒を飲め、ということかと疑いたくなる。善意に解釈すると、タバコを片手にグラスをかたむける恰好は、やはり男のものであって女には似合わない、ということか。
客のタバコにマッチをつけるしか芸のないホステスがいるが、
「あたしが喫いつけてあげるわ」
と親切そうに言う女もいる。
こんなときは、モテたとおもってはいけない。その女の子自身が、タバコが喫いたいときなのだ。
「何度も火をつけるフリをして、喫っていなさい」
と、私は言う。